第32話「島は静寂と共に」
馬鹿な事を言いながらも、皆が前向きに捉えてくれた。ヴィンセンティアの言っていた扶桑の九尾と呼ばれた八鬼姫と、夏の島の賢人セレスタンを訪ねた事でオフェリアとシャーリンの協力も得られる事になった。
目まぐるしく変化の訪れる日常は、いったん穏やかさを取り戻す。滞在はいくらでも構わないというセレスタンの厚意と王都に駆け付けたミトラたちの事も考えて、少しだけ休んでから帰ろうと話し合って結論を出した。
そう、それが大きな問題となった。のんびり過ごして、五日ほどが経った日。外から来たオフェリアの言葉によって事態は発覚する。
「────え、知らなかったんですか?」
唖然とする一同に対してセレスタンはどこ吹く風で、自分は悪くないとでも言いたげに視線を逸らす。
「なぜすぐに言ってくれなかったんだ、セレスタン!」
アデルハイトに詰め寄られると、両手でどうどうと制しながら。
「違うんだ、アデルハイト。忘れていただけだ。此処で暮らしているのも随分長くなって、当たり前のように時間が過ぎていたから……」
セレスタン自身もまだ異空間に来て日が浅いとすら言える。だから、深く頭に刻み込まれておらず失念していた。オフェリアが外からやってきて『お久しぶりですう』と声を掛けなければ発覚しなかった事だ。
「此処は外とは時間の流れが違うんですよお。非常にゆっくりでえ。今、外はあなたたちと出会って数か月以上は経ってますねえ」
「たった一日でどれだけ進むんだ。王都はどうなったか分かるか?」
不在が長く続いてさぞや心配を掛けているだろうと思い尋ねると、オフェリアはニコニコしながら首を横に振って大丈夫だと言った。
「此処を出た日からシャーリンが既にあなた方の大陸へ渡っていますう。特に目立った連絡もなくて、退屈な日記みたいなお返事貰ってますから、問題ないとは思いますよお。事情もきちんと伝えてありますし。ねえ、セレスタン?」
「そ、そうだな……。まあ、ともかく急いで出発した方がいいだろう」
セレスタンが庭に出て、大きなポータルを開く。本来ならばポータルを通して向こう側の空間が見えているはずだが、異空間の性質なのか渦の向こうは真っ暗闇でどうなっているかも分からない。それでも問題はないと言った。
「君たちには悪いが、私はこの先で力を貸す事は出来ない。知っての通り、このア空間に縛り付けられた哀れな魂が私という人間の形を作っているに過ぎない。とはいえ君たちを送り出し、その背中は見届けてさせてもらおう」
本当ならば傍に立って戦いたい。役に立ちたい。セレスタンは心苦しい想いの中で彼女たちの未来に光あらんことを、と祈った。
「行ってきますねえ、セレスタン。お土産持ってきますから」
「あなたにはお世話になりました、セレスタン卿。それではまた」
「いつかボクがリベンジしに来るまで元気にしててよ!」
それぞれが別れの言葉と共にポータルを潜っていく。
「寂しくなるな、アデルハイト」
「何が。また会いに来るよ。お前にとっては短いだろう?」
今生の別れでもあるまいにと笑うと、セレスタンは首を横に振った。
「いいや、君は……お前はもう会えないさ、アデルハイト。その背負った運命は、さぞや大きいんだろう。だからこれだけ伝えておく」
ぽん、とアデルハイトの背中を優しく叩いて────。
「お前は勝てる。ヴィンセンティアは、そのために出会わせた。だけど信じるなよ。あれも魔族だ。良いふうに見えるが目的のためには手段を択ばない。たとえそれがお前の命を焼き尽くす太陽のもとへ放り出すとしても」
それ以上の言葉を交わすつもりはないとポータルへ押し込む。
ひとりぽつんと取り残され、島にはまた静寂がやってきた。
「……やれやれ、あの蜘蛛は狡い奴だ。全員の命を救うために、たったひとりの命を犠牲に選ぶとは。そのために利用されたのも気に入らん」
穴のぽっかり開いた胸に手を当てて、苦い気分にさせられた。アデルハイトの目はどこか死んでいた。達観していた。周りはそれに気付かない。気付いていたとしても口にはしない。心のどこかで自分達には出来ない事をアデルハイトならしてくれると、未来を背負うのではなく託しているからだ。
ヴィンセンティアも分かっていたはずだ。命を捨てる覚悟で臨まなければ倒せない相手だと。そして自分は結末を見届ける事もなく死ぬ事も。
魔法使いとして生き、魔法使いとして仲間に全てを託して死んだセレスタンは、アデルハイトの辿る道が何となくわかる。それが許せなかった。
「いいだろう。夜のうちには此処を発つとしよう。……皆には悪いが、今日で今度こそお別れだな。私がいなくなれば此処も消える。二度と会う事はない」
理解している。自分が縛られた異空間は自分が創り出した場所だ。天国にでも地獄にも行けず、生きたかった未来にしがみついた。だから在る。
「弟子にでも会いに行くとするか。きっとお叱りの言葉は受けるだろうが……まあ、それも悪くない。この想い、誰かに継いでもらわねば後悔しそうだ」




