第22話「長い稽古を終えて」
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それはもう、ひどかった。最終日には全身が筋肉痛で動けなくなるほどの稽古。回復力の高い魔族であるミトラやリリオラまでもが音をあげた。とはいえ、よくぞやりきったと八鬼姫は彼らに大きな感心を抱く。
「やあ、よく頑張ったのう! ぬしらもやるではないか!」
大浴場で湯舟にどっぷり浸かりながら、八鬼姫がニコニコと褒める。その前には、すっかり疲れ切った面々が空を仰ぎ見たりと自分たちの時間に浸った。
「つ、疲れたよアデル……。ボク、頑張ったよねぇ……?」
「よく頑張ってたよ。私も随分疲れた。他の皆も」
阿修羅たちは慣れているのか、疲れきっていても愉快な表情で三人揃ってワイワイといつもと変わらない会話をしている。ルシルは大人の雰囲気たっぷりに落ち着いていて、疲れていても癒しの中にあると心地よさそうだった。
「ねえねえ、ミトラ、すごくない!? アタシ、泳ぐの好きかも!」
「はしゃぐなって。さっきから飛沫……ちょっ……落ち着けって」
各々が各々の楽しみ方をする中、八鬼姫はお盆の上にとっくりとお猪口を載せてフワフワと浮かせ、アデルハイトに呑むのを勧めた。
「ま、ま、一献傾けようではないか。酒は疲れを癒してくれる」
「変わった容器だな。これはなんという?」
「なんでえ、大陸にはねえのか。こっちがとっくり、こっちがお猪口。ぐいっと飲まずに味わって飲めよ。風呂で飲む酒も悪くねえゆえな」
お猪口を受け取り、八鬼姫に注がれると、一口だけ飲んでみる。
「……へえ、これは美味い。大陸にはない酒もそれなりに呑ませてもらった事はあるが、これはなんというか、口当たりがまろやかで好みだ」
「へっ、そうじゃろ。ちなみにそいつには俺様の魔力が含まれてる。明日の朝、帰る頃には疲れも吹っ飛んでるはずだ。ま、ここまでの労いって奴じゃな」
勧められてルシルもちび、と飲んで、目を丸くした。
「まあ、本当に美味しいですね。大陸で主流な者とは違うから好みは分かれるでしょうけど、私はこの深みのある味わいは好きです」
「かっかっか! 気に入ってもらえて何より。持ってきた甲斐がある!」
一年近く先で決死の戦いが待っているという雰囲気とは遠い穏やかな空気。それでも、今いる面々はずっと強くなった。
初めての完敗をリリオラ相手に喫した阿修羅は左舷、右舷と共にさらに強さに磨きが掛かり、後退よりも前進の道を選んで前向きになった。ミトラとリリオラは、自分たちだけの独りよがりな戦いと訣別した。シェリアとルシルは魔力の器の拡張という形で、今やかつての賢者であり英雄であったエンリケにも並ぶ、あるいはそれよりも大きな強さを身に着ける事ができた。
そしてアデルハイトは────────。
「落ち着かない、という顔じゃのう」
「あはは……、分かるか。すまない、あれほど鍛えてもらったのに」
「気にするな。てめえの気持ちは伝わってるさ」
どれだけ気を強く持っていたとしても、失わないために力をつける以上、失うかもしれないという不安や恐怖は付き纏う。もっと早く行動すべきでないかと自分の背中を押そうとする何かに、アデルハイトはどうしても落ち着けなかった。
「ま、実際のところ早く帰るべきなんじゃろうが、俺様も万能じゃねえ。遠く離れた島から向こうまで数人なら飛ばせるが、船ごとは無理だ」
「気遣いをありがとう。だがそこまでしてもらう必要は────」
突然、二人の会話を途切れさせるようにリリオラの声が響いた。
「た、大変大変! ちょっと皆!」
歓談が瞬時に緊張感に変わる。リリオラが深刻そうに片手に持つ魔石が、ぴかぴか光ってローマンの声を届けたのだ。
『聞こえるかね、諸君。良い報告と非常に悪い報告がある。まず良い報告だが、かねてより頼まれていた夏の島の賢人の所在が分かった。そして非常に悪い報告になるのだが、実は先刻より────』
『よお、ガキ共! 聞こえてんだろ!? 緊急事態だ!』
割り込んできたディアミドの声。隣でローマンの溜息が小さく聞こえた。
「緊急事態というのはどういう事だ、ディアミド?」
『王都が襲撃を受けた、魔物の大群だ! なんとか押し返しちゃいるが、数が尋常じゃねえ! 門を観測していた連中は全滅したらしい!』
魔界の門が予定よりも早く開いた。いや、早く開けたというべきか。幸いにも魔族たちは出て来ておらず、ほとんどをローマンが単独で消滅させているものの、事態は帝国および王国全域に広がっていて手に負えない状況だった。
『アデル、聞こえるかい。状況はめちゃくちゃだ、魔物の強さもピンキリで私たちでも簡単に仕留めさせてくれない連中もいる。とはいえ焦る必要はない。どうやら魔族は一匹も現れていないようだから』
『アンニッキさん。そんな甘えた事言ってる場合じゃないでしょう。王都の防衛で手一杯なのに、あちこちから救援要請が来てる。このままじゃ魔物だけで各国が壊滅的打撃を受けてしまう』
もはや通信はぐちゃぐちゃだ。連絡を入れるのも僅かな時間を作っての状況での連絡には、ああするべきこうするべきと意見が纏まらないし、纏めている時間がない。アデルハイトたちに頼るか否かで揉め始めてしまった。
「よう、リリオラ。俺様にちょっとそいつを貸せ」
「あ、うん……。はい、どうぞ」
「おう。────聞こえるか、てめえら」
聞きなれない声に言い争いがぴたりと収まった。
「俺様の名は八鬼姫。今からそちらにてめえらの仲間を送ってやる。じゃが、数人だけじゃ。夏の島の賢人……その居場所は分かるか?」
『親愛なる八鬼姫殿。このローマンが自信を持ってお答えしよう。座標は魔石を通じてあなたに私の記憶をお渡しさせてもらおう』
魔石がさらに強く輝き、八鬼姫は目を瞑る。頭の中に流れ込んでくるローマンの記憶を見終えたら、ぱちっと目を開いた。
「良かろう。ではリリオラ、ミトラ。そして阿修羅たちよ。てめえらは今すぐ王都に迎え。アデルハイト、ルシル、シェリアは夏の島に送ってやる」
気合ばっちりと阿修羅がざばっと立ちあがった。
「フッ、良かろう! では転移門を頼む!」
「阿呆か、先に服を着ろ。露出狂の英雄になりたいのか」