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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第四章

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第17話「安息の十年よりも」

 魔剣スルトの一撃をまともに受け止めたとき、シェリアは紛れもなく死に直面していた。生きているのも不思議なくらいのぎりぎりを彷徨った。そして受けた治療が不完全で、形は保っているものの体中の魔力回路がズタズタになったままだった。魔力の器は治癒しきれていない体をなんとか保とうと必死に魔力を多分に流し、そうして魔力が生成されるより僅かに早いペースで消耗を続けている状態だ。


 非情で非常に緩やかな死。体調を崩した程度に感じて、そのまま死ぬ。シェリアに実感がないのはそのためだ。死する未来にさえ気付かないで死を迎える。絶対的な避けられない運命を、本人さえ知らぬところで辿っていた。


「え……ボ、ボク死ぬの? 嘘だよね?」


「治療できないのか、八鬼姫」


 手を引き抜いた八鬼姫はジッとシェリアを見つめ、腰に手を当てて、とても厄介な事になったと溜息を吐く。


「出来ん事もない。じゃが、このまま放っておいても十年は生きる。それでは足らぬか、人の子よ。生きようと足掻く先が死すら生ぬるい地獄でも?」


 治療はできる。ただし、かなりの荒療治だ。もしかすると、そのショックで死ぬかもしれないし、生きていたとしても痛みが原因で廃人と化す可能性もある。そうなれば生きている事の方が苦しく感じるかもしれない。


 そんな八鬼姫の心配も、シェリアは気高く突っぱねた。


「ボクは安息の十年なんて求めてない。たとえどれだけ苦しくとも、救ってくれた人に恩のひとつ返せない人生は望まない。それがボクの生き方だ」


 一度だけアデルハイトに視線が流れた。いつも寄り添ってくれた、共に戦って守ってくれた人に、ただ礼を言うだけの生き方はシェリアにはない。何か一つでも恩を返したい。共に肩を並べたい。魔法使いならば夢みる事だ。大賢者と共にあるなど、何度人生を歩めばそんな幸運に辿り着けるのか。


 だったら、やるしかない。痛くとも、苦しくとも、厳しくとも。それが乗り越えるべき壁ならば乗り越えてやる。だって、たった一度の人生だから。


「……仕方のねえ奴じゃのう。わかった、当初の手筈通りに進めるが、その際に俺様が治療も施す。ただしかなりの荒療治だ。激痛で済めばいい。心臓が止まったとしても動かしてやる。しかし、魔力の器も未熟なのに無理をさせる事になる。ややもすると、二度と魔法使いにも戻れんかもしれんぞ」


 わかっている、とシェリアは静かに頷いてアデルハイトの前に座った。いつでも準備は良い。ともすれば仕方あるまいと八鬼姫もアデルハイトも覚悟を決める。たったひとり、いいや、そんな小さなものではない人生を背負う覚悟だ。


「アデルハイト。小さいときにね、怖いときはこうすると怖くないでしょってお母さんがしてくれたことがあるんだけど、お願いしていいかな。ボクにとっての無敵のおまじないなんだ。……ここに、額にキスをしてほしくって」


「ああ、いいとも。それくらいお安い御用さ、頑張ろうな」


 額に手を当てて前髪をそっと持ち上げる。さらさらの肌。柔らかな額に口づけをして、そっと離す。これでいいかと尋ねられて、シェリアはうんと嬉しそうに頷いて、青かった顔色が元に戻った。


「準備は出来たようじゃな。ではいくぞ……気張れよ、小娘」


 手が突っ込まれる。するりと入り、ルシルのときと同様に魔力の器に触れる。幸いにも、弱った魔力の器では抵抗は少ない。八鬼姫が触れても、きりきりと痛む程度で済んだ。問題はその先。魔力の器を通じて過分に八鬼姫の魔力を流し込む事で、全身を満たし、ズタズタになった魔力回路を駆け巡らせた。痛みが起きるのは、八鬼姫が流した魔力が魔族のものであり、人間の体には本来適応するのが難しく、重大な拒絶反応を引き起こす。全身を無理やり引き裂かれる感覚と内臓が風船のように膨らんで破裂するかの痛みには、声すら出てこない。歯を食いしばれば舌をかみちぎるかもしれないから、とアデルハイトが肩を噛ませた。


 常人ならざる力に肉が裂け、血がどろどろと流れる。それでもアデルハイトは顔色ひとつ変えずに、シェリアを優しく抱きしめ続けた。


「あとどれくらいかかる、八鬼姫」


 額に汗を滲ませて、真剣な目をして見向きもせずに八鬼姫は答えた。


「言ったろ、並の苦痛じゃない。痛いだけならともかく、この苦しみは一分や二分で済まぬ。全身の回路が俺様の魔力で満ち、傷ついた部分が修復されきるまで、五分。既に一分経っておるから残り四分じゃ」


 治す事自体は難しくはない。問題は施術を受ける者がどれだけ耐えられるかという半ば根性論に寄った荒療治だ。たった数日、修業もせぬまま返してはどのみち犬死してしまうゆえに急ぎ出した結論だった。


 声にならぬ叫びと全身の激痛。二分、三分。常人なら気を失うどころか心肺停止に陥ってもおかしくない状況で、シェリアはまだ意識を保っている。残り一分に差し迫ったとき、八鬼姫の魔力による魔力回路の修復を終え、徐々に痛みは薄らいでいく。空っぽ寸前まで使い切られたシェリアの魔力も補充された。


 そして五分。魔力の器が抵抗力を取り戻しつつも、八鬼姫の魔力に順応した事によって手を放す際にはもう痛みはなかった。


「無事終わったぞ。……しかし驚いたのう。まさかガキの体で五分も耐え抜くとは、並の人間に出来る事じゃねえ。才能もあるが、なんつう根性してやがる」


「へ、へへ……そりゃ、どうも……」


 全身から力が抜けて掴まっていたアデルハイトの体からずり落ちる。


「おっと、大丈夫か。頑張ったな、シェリア」


「アデルハイトこそ、痛かっただろ。ごめんね……」


「いいさ。親友のためだ、これくらいへっちゃらだよ」


 肩は食い千切られて、部分的に繋がっているだけ。それでもアデルハイトは心配をかけさせまいと涼しい顔を浮かべる。早急に治療せねばならん、と八鬼姫が手を触れて、蒼い炎で傷口を包む。


「うぐっ……う……! 魔族の魔力だとこうも痛むものなのか……!?」


「人間と魔族では異なるからの。治るだけでも感謝せよ」


 綺麗に傷の治った肩をバシッと叩く。


「ああ、まったくだな。さて……シェリア、立てるか?」


「もちろんだよ。今はすごく疲れた~って感じ」


 疲弊しきった二人がふらふらと立ちあがるのを八鬼姫も満足そうに見つめる。人間の未来はまだまだ明るそうだ、と。


「さて、それでは湯でも浴びて来るがよい。血と汗を流したら、明日は昼まで眠れ。夜からは俺様が稽古をつけてやるゆえ、それまでは休息を取るように」

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