第14話「臆している暇はない」
全身が震えるほどの威圧感。九つの尾が揺らめき、その場にいた全員がゾッとした。もはや魔力とは呼べない、その領域を遥かに超えた生物。ただの魔族と呼ぶにはあまりにも禍々しく、そして神々しさすらあった。
「……っ……オレでもこれかよ……!」
立っていられるだけでも上出来。既に左舷や右舷は天と地の差に圧されるように膝を突き、リリオラは体を抱えてガタガタ震えている。臆病風に吹かれたのではない。ただひたすらに八鬼姫が常軌を逸した強さを持つだけ。もし敵に回れば、誰にも勝ち目はないと分かる恐怖だけで五臓六腑が握り潰される感覚に陥った。
────ただ一人を除いて。
八鬼姫に光が迫った。雷撃だ。放ったのはアデルハイトで、臆するどころか、むしろ喜んで勝負を挑んでいるようにも見えた。
「今の威圧で怯まんとは気狂いか、おのれは」
八鬼姫が軽々と向けた指先から魔力の壁を張って弾く。それでもアデルハイトは恐れず、雷撃の光に紛れて背後に回り込んで杖から炎を放った。相討ち覚悟で爆炎に呑み込まれながらも。
「くっ……! これでも掠り傷は負わないのか!」
「かっかっか! 根性は認めやるが、それは蛮勇か。それとも挑戦か?」
「挑戦さ、八鬼姫。あなたが敵でない事が今は嬉しくてたまらない」
強くなれる。たった三日でも、自分より遥かに大きな相手と戦える好機は今をおいて他にない。その想いが他の面々にも伝播していく。恐怖が消え、皆が顔を合わせて決意を瞳に宿す。戦うなら、今しかない。
「ハッ……どいつもこいつも勝てんのに挑んでくる。こりゃあ、俺様も殺さない程度に遊んでやらねばのう。世界の広さ……教えてやろうではないか」
真正面から駆け抜けてきた左舷と右舷の金棒を真正面から素手で受け止める。分厚い壁にでもぶつかったように、二人は揃って勢いに負けて金棒から手を放す。そのうち一本を八鬼姫は空に向かって投げ、一本を握りしめた。
「透けて見えてんだよ、阿修羅」
頭上から降りてきた阿修羅が飛んできた金棒を弾いてマガツノツルギを構えたが、八鬼姫に打ち返されて剣がへし折れて消滅する。
「ちいっ、なんじゃ!? この馬鹿力は────ぐおおっ!」
二撃目に阿修羅の体が突風のように飛んでいく。防ぐ暇さえない。
「かっかっか! てめえは俺様から逃げた分、痛い思いをしてもらわんとのう! ほれ、次ぃ! さっさと来ねえか雑魚共!」
金棒を肩に担ぎ、催促する。目の前に立ったミトラに意識を向けた。
「なんでえ。さっさと来ねえか、一撃くらい入れさせてやっても構わんぞ」
「なら受けてもらうぜ。魔性解放────《モルガーナ・ベルゼビュート》」
全身に炎の鎧を纏う。八鬼姫はじろっと見て、それが自身の尾と同じくゆらめく炎に見えるほど可視化した魔力だと分かる。試しにもっていた金棒を投げてみると、ミトラが受け止めた瞬間に細かい泡のように消滅した。
「ハッ……。魔人種か、面白い。構わんぞ、打ち込んで来い」
「じゃあ────遠慮なくッ!」
狙ったのは顔面だ。確実な一撃を狙っての魔力を纏った拳に、八鬼姫は僅かに動いて額を殴らせた。ただ殴らせただけ。なのに、ミトラが打ち負けた。周囲一帯を更地にする威力の拳が、八鬼姫には掠り傷もつけられない。
「はん、軽い拳よのう。後は……アデルハイトとリリオラか」
完全にノックアウトして拳から伝わった衝撃で気絶したミトラをそのまま放置して、背後にあるふたつの気配へ振り返る。二人共武器を構えてはいるが、戦おうという意志が感じられなかった。
「なんじゃ、来ねえのか?」
意外に思った八鬼姫がきょとんとして尋ねると、アデルハイトが杖を引っ込めて、リリオラと顔を見合わせてからにへっ、と笑った。
「いやあ、やろうと思ったんだが使える魔力がなくて。結構殺す気で挑んだから、さっきので使い果たしてしまった」
「……あぁ、思い返してみれば相当な威力ではあったのう」
八鬼姫が電撃を弾いたのは、決して実力の差を見せつけるためではない。喰らってはいけないと思ったから防いだ。それだけ高密度の魔力で放たれた魔法だったからだ。ミトラの攻撃に比べれば緩く見えるが、貫通力は遥かに高い。
しかし、八鬼姫に通用するほどの威力ともなれば魔力は限界まで使う必要があった。結果的には弾かれてしまったが、選択は正しかった。
「まあ、初日にしては上出来かのう。てめえらは俺様を恐れなかった。いや、恐れなくなった。じゃが、アデルハイト。てめえがいなければ誰も立てなかった。命懸けの戦いとは足が竦んだ瞬間にもう負けておる。葛藤だのなんだの、そんなものを抱いて立ったところで、本物の戦は瞬きひとつの油断で命を落とすと知れ」
力強い目に納得したところで八鬼姫はリリオラをジト目で見た。
「それで、てめえはなんで戦わんのじゃ?」
「えっ。いやあ、アデルハイトが戦わないならいっかなって」
「……はあ。ま、てめえが強いのは間違いないが明日からはそうはいかんぞ」