第三章─エピローグ─『フソウの九尾②』
それは蹂躙に等しかった。無数の傀儡人形たちは女の動かす手に従って複雑だが統制の取れた一糸乱れぬ動きで魔族たちに襲い掛かる。空席に座すとはいえ魔将ともなれば実力は紛れもなく、リリオラたちに一歩及ばぬまでも人形をいくらか退けてみせた。だが、それまで。数の暴力には敵わない。
「な、なんだ、これは!? ボルトガ!」
「うるっせえ、狼狽えるんじゃねえ! たかがこれしきの数……!」
さて、いくら人形を倒したか分からない。それでも数は減る気配がない。いや、そうではない。ボルトガは気付く。倒れた人形が異様な速度で修復されているのだ。バラバラになった破片が糸で繋がったように元通りに。
その全ては女の魔力によって織りなされるもので、仲間二人が徐々に劣勢になって傷付き始めたのを気にも留めず、ボルトガは注意を払って観察する。そして異常さを理解する。────女の魔力は底のない沼のように深く、重く、まるで減る様子がない。しかし無数に存在し再生し続ける人形たちを敷くために割かれた魔力の量は、ボルトガでなくとも魔族なら大概はひと目で見抜くだろう。
「(あ、ありえない……。同じ魔族とは思えない! メルカルト、いや、エースバルトのような龍種でさえ生ぬるい……! 持久戦では俺たちが不利だ!)」
無限に湧く泉だ。女の魔力は減っては元に戻ってを繰り返して人形たちを操っている。ボルトガは、もし殺し切るならまだ侮っている今こそが機会だと、仲間を振り返った。まだなんとか耐えてはいるが限界が近い。人形はやはり無限に蘇り、倒しても倒してもきりがなかった。
「ちっ、仕方ねえ。こうなりゃ手はひとつだ、賭けに出るか!」
周囲の人形を蹴散らして、ボルトガが仲間の元へ駆けて────金棒が、仲間の腹を直撃する。
「ぼ、ボルト、ガ……俺は仲間……」
「阿呆か。この期に及んで何が仲間だ、てめえらと死ねるかい!」
行われたのは捕食。同胞に容赦なく金棒を叩き込んで二体とも始末し、その血肉を喰らう。女は「ほう、面白い」とわざと人形たちを引き上げさせた。生き残るためならなんでもやるオークらしい、とせせら笑って。
「なんだ、人形遊びは終わりか?」
「なんじゃ、もう少し遊んで欲しいんか?」
即座に返されて、眉間にしわを寄せて青筋を立てる。ボルトガは両手に強く金棒を握りしめて女に飛び掛かった。勝負は一瞬、全ての一撃を籠めて叩き殺す。迷いはない。魔族となったオークの膂力はまさしく龍種に勝るとも劣らない。いかなエースバルトでも外殻は保てないという自負すらあった。
なのに、退屈そうに腕を組んでいた女は微動だにせず、指を添えるように手に持った煙管でコツンと軽く受け止めた。理解が追い付かない。紛れもなく破壊力はあった。周囲の建物も、衝撃だけで吹き飛んで一帯を更地にした。足下の石畳は砕けて醜くなった姿を晒しているし、人形たちも形らしい形さえ残っていない。
だが女はそこに立っている。涼しい顔で、ボルトガを冷たく見つめて。
「けっ。強くなったと言うても、この程度とはのう」
「な、なぜ……こんな簡単に受け止められるはずが……」
「かっかっか! 過ぎたる蛮勇、まこと愚かなり。てめえに俺は倒せまいよ」
こん、と強く煙管で弾くように叩いただけでボルトガは金棒を握っていられず、勢いに手放してしまう。女は瞬きするよりも早くに宙を舞った金棒を手にして背後に回り、勢いよく振りかぶって殴り飛ばす。
巨体がうめき声もまともに上げられないほどの痛みが意識を掠め取り、ボルトガの体は地面を何度も跳ねて転がっていく。なんとか手に握りしめた意識を手放さず、滑っていく体を必死に地面にしがみついて止めた。
「おうおう、なんじゃい。まだ生きとるんか」
からんころんと下駄を鳴らして、金棒を肩に担いでやってくる。九尾、いやいや、そうではない。どちらかといえば鬼に見えた。だからボルトガは怖ろしくなった。小さな体に巨大な金棒を担ぐ姿が、死ぬぞと本能に警鐘を響かせた。
「ま、待ってくれ……俺が悪かった! 不遜な態度を取った事も謝る、生意気な態度だった事も……だからどうか……!」
謝罪。頭を下げ、今を生き残ろうとしたか。否、不意を討つつもりだ。油断していれば、いくら九尾の女狐でも防げる一撃を防げまい、と。
しかしそれは甘い。女はするりと長い髪を指に引っ掛けて持ち上げた。
「俺様には耳が四つある。ケモノの耳は遥か遠くの波の音さえ聞き分けられる。そしてもうひとつは、ヒトの耳。こいつはあらゆる心の声を聞き分けられる」
しっかり見せつけた後、金棒をボルトガの頭に振り下ろして叩き潰す。躊躇なく、それが正しい行い、弱肉強食の在り方であると証明するように。
「てめえの薄汚え腐った性根なぞ見え透いておるわ、愚か者めが。大体、ハナっから命乞いは手を血に染めた者にゃ赦されちゃいねえよ。代わりにこの禍津八鬼姫の名、地獄の通行手形に持っていけ」
金棒を捨て置き、その場に座って着物の袖から煙管を取り出す。咥えてその場に座ると、花が散るように景色は消え失せて元の部屋に戻ってくる。待っていましたとばかりに従者の女が、襖を開けて片膝をつきながら────。
「後始末はお任せください」
「おうともよ。……ああ、ところで央佳」
呼び止められて、央佳と呼ばれた女が振り向く。
「は、なんでしょうか?」
「メシの支度をするゆえ、厨房を空けさせろ。クソガキ共が帰ってくる」




