第三章─エピローグ─『フソウの九尾①』
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────扶桑国は大鬨城・最上階。
「九尾様、失礼いたします。ご報告が」
ふすまを開けられて、九尾と呼ばれた女は頭についた耳をぴくと動かす。振り向きもせず、返事もない。だが従者はそのまま話を続けた。
「メルカルトと名乗る魔族の遣いがお目通りを願っております」
女は退屈そうに、ふーっ、と煙を吐いて煙管の中にある灰をトン、と灰皿へ捨てる。やはり振り返ろうとはせず、座ったままだ。
「今日は満月じゃ、気分が乗らん。追い返してやれ」
「は……しかし……」
「阿修羅の言葉でなけりゃ聞けねえか?」
「いえ、そうではなくて。お目通り願うまでは帰らないと」
ようやく、そこで女が振り返った。とても刺々しい顔つきで。
「なんだあ? 俺様が会わなきゃ荒らすつもりだってか、厄介な連中じゃのう。こっちはただの賓客として来とるだけじゃってのによ」
従者の赤い肌をした女が臆する事もなくハッキリ告げた。
「九尾様。賓客とは言われましても、阿修羅様の代理なれば。この程度の事でも対応をしてもらわねば我々も困ります。それに彼らの目的は阿修羅様ではなく、どうやら九尾様のご様子。なおさら、この都を想えば────」
「ええい、わかった煩い奴じゃな。良かろう、ここへ通してやれ」
満足そうに下がっていく従者に、女は不機嫌になる。
「はぁ……。言われておった通りじゃったな。よもや俺様の事まで調べ上げているとは念入りな魔族もいたもんじゃ、下らねえ」
しばらく待っていると、また襖が開いた。従者の女が連れてきたのは、三体の魔族。女はちらと見やってから、外を眺めるのに戻った。
「おい、会いに来たのに背中を向けるのか?」
「畳の縁を踏むんじゃねえよ、ボケナス。会いに来るなら相応の礼儀くらい学んどかんかい、下っ端風情が。俺様に軍門に下れとでも言いに来たんじゃろ」
扶桑は魔族に近い種族が住む国だ。魔物戦争が起きた際にも、まったく手を貸す事はなく、自国に被害が及ばなければ戦わない事を選んだ。しかし個々が強い力を持っている事もあり、メルカルトは取り込めれば確実に人間界と魔界の双方を手中に収められると考えた。
エースバルトを回収する際に他の魔族も人間界に送り込み、『必要に迫られた場合以外の戦闘を許可しない』と命令して、戦力を集めさせる。そうしてアデルハイトたちから一粒の希望も残さず刈り取ろうとした。
扶桑の民は、そのための重要な戦力。なにより頂点に居座るのが魔族であれば、当然仲間に引き入れられると思ったのは間違いない。そして、それが過ちであったとそのうちに知る事になるのだ。
「はっ、挨拶でもしろと。生意気な女狐め。俺はメルカルトに選ばれた魔将が一人、オーク族のボルトガ。我らに従えば悪いようには────」
「くさい息を吐くな、忌々しい」
ぴしゃっと言い放って女は立ちあがり、冷たい怒りの宿る瞳で振り向く。
「豚のくせによう囀るじゃあねえの。肥え太った鶏であったか?」
明らかな敵意と侮蔑を向けられて、ボルトガは怒りを露わにして声を荒げた。
「よくも調子に乗りやがって、苗床にもならん小さな女狐が! 俺たちは魔将に選ばれた優れた魔族だ、この城と共に眠らせてやってもいいんだぞ!」
「……はぁ、なるほど? つまりてめえらは俺様に勝てると言ったのか」
ボルトガたちが戦闘態勢に入る。魔将の空席を埋めるためとはいえ、実力は紛れもなく魔族では随一。たとえメルカルトが『扶桑の魔族には気を付けろ』と忠告していても、そこまで理性を制御できるほど彼らは賢い方ではない。
だから喧嘩を売ってしまった。売ってはいけない相手とも知らずに。
「良かろう、遊んでやるとしようか。年季の違いって奴を教えてやる」
「ハッ! こっちは三匹だがお前は一匹! どうやって俺たちに勝つ!?」
数的不利まで持ち出して、露骨に嘲った。魔族となってやや体つきは本来のオークよりも小さいものの、脂肪ではなく筋肉をたっぷり蓄えた肉体は、そこいらの魔族とも比較できない破壊力で暴威を振るう。たかが目の前の小さな女狐如き相手にもなるわけがないと高を括って、腰に提げた金棒を握ろうともしない。
「きっひっひ……良いのう、良いのう……。歴然たる力の差も分からず、空いた席に座っただけで実力者気取りとは、なんとも笑わせてくれるわいのう」
煙管をひっくり返して、灰を畳に落とす。ぽとりと落ちて火が点けば、燃え広がって足下から景色は変わっていく。大きな城の一室は畳ではなく石畳の長い道を造り、居並ぶ木造の赤と黒の家屋が居並ぶ世界が広がった。空は紅い月に満ちて世界を照らし、女の背に見えるは燃え盛る炎のような九本の尾。
見れば周囲には無数の大きな傀儡人形。手には鎌や斧、槍に弓。あるいは大小と長さの異なった刀を持って、甲冑や着物を身に着けている。それらはカラカラと音をたてながら鈍く動き、ボルトガたちに狙いを付けた。
「大結界────《傀儡箱庭・絡繰遊郭》。さあ、俺様を楽しませてみろ」




