第55話「希望を託して」
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二か月は想像していたよりも、あっという間だった。
ユリシスからの報告で帝都は無事だが、エースバルトが通った道は削り取られるように破壊されていた事。そして再建のために皆が協力し合って以前よりもギスギスとした雰囲気が解消されている現状を知った。しかし依然としてネヴァンとギルダの行方は分かっておらず、捜索が続いている。
計画は変わらない。アデルハイトたちは、残された十か月の間に戦力を整えるため大きな港に来ていた。巨大な船はジュールスタン公爵家から与えられたもので、今後の事を知る数少ない協力者だ。
「アデルハイト卿。潮風は心地よさそうだな」
「ヨナス。船をありがとう、お前には礼を言わないと」
「いやあ、構わん。愚息のためのパーティに来てくれた礼だとも」
大きな船を見あげて、ヨナスは少し寂し気な顔をする。
「元々は商船だ。私もこれに乗って海へ出るのが夢だった。生憎ながら、そんなものは叶わなかったが、代わりにお前たちが使って欲しい」
「助かる。必ずフソウで良い結果を持ち帰ると約束するよ」
そろそろ準備が出来る、と船からシェリアに声を掛けられて手を振った。
「気を付けてな、アデルハイト卿」
「ああ。……そうだ、それから、これはお前だから話すが」
「ん? なんだね、役に立つだろうから聞いておこう」
王国の未来に関わる重大な話。隠していればいずれは問題になる、と先んじてヨナスにならば伝えておいていいだろう、とアデルハイトは告げた。
「私たちが不在の間、王都を守るのは魔族だ。魔界と人間界双方の未来を案じて、私たちと共に戦ってくれる事を誓った」
「……うむ。本来ならば聞き届ける事もないが、お前の話なら信じよう」
アデルハイトが一枚の紙を手渡す。協力者である魔族について書かれたものだ。決して裏切らないために、誓約を行った血の印が施されている。
「血の盟約。破れば命を落とすものを魔族が?」
「ああ。特別な理由がない限り、人間を襲う事はないと」
「……は、お前はどこまで私を驚かせてくれるのだ」
「さあ、どこまでも驚かせるかもしれない。では、また会おう」
アデルハイトが乗り込んで船がゆっくり動き出すのを見送っていると、ヨナスの隣にやってきてユリシスが一緒に見あげた。
「まさかあんたがここまでアデルハイトに優しくするなんてね」
「緊急事態なのだから当然だな。それにしても……いつまであれで誤魔化せているつもりなのだろうな。元々は軍人だろう、あの小娘」
ユリシスがぴくっと口端を動かす。
「はは……、気付いてらしたんですか」
「伊達に長生きしてはおらん。お前が娘ではなく恋人を見るような熱い目をしていたのも知っている。上手くいっているのか?」
年若いユリシスはヨナスにしてみれば我が子のようなものだ。からかうつもりで尋ねて、いささか不愉快そうな視線を向けられた。
「俺よりもあんたこそ、再婚相手を探した方が良いんじゃないですか。まだ別れた奥さんに未練でもあるんですか」
強く返されて、ヨナスはからから笑った。
「ああ、あるね。あれほど良い女は他にいない。お前もせいぜい、逃がした魚は大きかったと後悔しないようにする事だな。女は中々に繊細だぞ」
「やめてくれよ、まだ付き合いだしたばっかりなんだから……!」
肘で小突いて迷惑だと言わんばかりのユリシスをヨナスは可笑しがった。以前はこんなにも笑う事があっただろうか、とふいに振り返った。
「人間とは変わるものだな、ユリシス。それまで閉じていた扉が、たったひとり鍵を握りしめてきただけで、こんなにも世界は美しいのだと知れた」
公爵家としての地位も名誉も。本当に手の中に握りしめたかったものではない。『そうあるべき』に縛られて、身動きが取れず、自分の感情を押し殺して生きてきた数十年。なんとも無駄な日々であったと呆れた。
何が公爵だ、馬鹿馬鹿しい。地位も名誉も、自分の人生を生きるために役立った事など殆どないではないか。気付くのが遅すぎて、まったく疲れてしまった。
「勿体ない人生だった。愚息たちにはもう少し真面目に生きてもらいたいが、まあ、私のようにもなってほしくはないと今では思うよ。お前はどうかね。自分の子供ができたら、やはり公爵家を継がせるのか?」
将来の話を振られて、ユリシスは首を横に振った。
「そのときの俺に任せます。でもまずは隣に立つ事から始めたい。昔から追いかけ続けてきた背中に、やっと触れられるようになったばかりですから」
遠ざかっていく船に背を向けて、ユリシスは歩き出す。
「今の俺たちがやるべき事は未来を想う事じゃなくて未来を守る事です。だからさっさと準備を進めましょう。王都で皆が待ってる」
若いのに太い大木のようにずっしりと根を張った考えを持つユリシスに、ヨナスはなんとも頼もしく育った奴もいるものだと感心する。
「……フ、若造め。私が耄碌したとでもいいたいのかね?」
「まさか。あんたを頼りにしてるって言ってるんですよ、閣下」




