第53話「子供でいたい気持ち」
二人の想いをよそに阿修羅はリンゴ飴を手にしてぱたぱたと帰って来る。甘い匂いが漂う。お祭りの日以外ではあまり見る機会は少ないが、ノルン通りに来れば、いつだって売っている。少し値は張るが。
「なんじゃ、辛気臭い顔しとるのう。ほれ、喰うて元気を出さぬか」
受け取ったアデルハイトはぺろぺろと飴を舐めて「甘いな」と素朴な感想を口にする。一見すると大した反応ではないのだが、甘党のアデルハイトには最高の食べ物だった。阿修羅はちっちっ、と指を振って飴を齧った。
「ちんたらしておったらリンゴに辿り着けぬぞ。こうやって齧って、飴の甘さと一緒にリンゴの酸味を楽しむんじゃ。そうそう、ちょっと硬いから……」
「あはは、本当だ。いいな、これは好きだ」
二人が笑う一方、ルシルは齧りもせずリンゴ飴を眺める。
「私、これ好きなの。綺麗な飴の中にリンゴが閉じ込められてて、光沢を感じるでしょう。ひとつの芸術品みたいに思わない?」
「うむ、確かにのう。食い物で無ければ飾っても────」
人混みを避けていたつもりだが、歩いていた誰かがどんっ、と阿修羅にぶつかった。食べている途中のリンゴ飴を手からぽろっと落としてしまう。
「おう、悪い悪い。嬢ちゃんも気を付けろよ」
数人の若い男たちがげらげら笑いながら、阿修羅の事を一瞬だけ見て、リンゴ飴を落としたのに気付いているのに気にもせず立ち去っていく。
「ちょっと待て、ぬしら。謝るべきじゃろう」
「あ? んだよ。こんな人混みで食ってる奴の方が悪いだろ」
男たちは悪びれもせず、むしろ苛立って強く言った。
「そうだそうだ。人が楽しんでるときに邪魔してんじゃねえよ」
「頭に角なんか付けて何を気取っちゃってるのかな、可愛いじゃん」
あからさまに小馬鹿にされるので、阿修羅が元の姿に戻ってやろうとしたが、ルシルがそっと触れて首を横に振った。人混みのあるノルン通りでやれば、多くの人目に晒される。巨躯を持つ阿修羅を魔族と勘違いしてパニックに陥る可能性もあり、大人しくするよう言うしかなかった。
「む……しかし、ルシル! わちきは────」
「大人の言う事を聞きなさい」
しー、っと口元で指を立ててルシルはニヤッとする。何か考えがあるのか、と思うと懐から取り出した銀製のブローチを男たちに向けた。
「王国軍魔導部隊・上級魔導隊所属のルシル・フリーマンです。あなた方が私の娘たちに行った行為について咎める事も出来ますが如何でしょう。大人しく弁償をして下さるのでしたら大事には致しませんが?」
一般市民への脅迫は軍の規定で禁止されている。だがルシルは阿修羅が馬鹿にされた事に腹を立てた。暴力の振るえない場所で彼らを黙らせるのに最も効果的。だからアデルハイトも黙って眺めていた。
「ぐ、軍人……!? なんでこんなところに……」
「おい、行こうぜ。どうせ脅しだ、こんな場所で暴れるわきゃねえよ」
これ以上関わるなというサインだと思って引き下がろうとした男たちに、ルシルはブローチを仕舞うと、虚空に手を翳す。風が巻いて薄緑の輝きが輪を作る。掴めば光は弾け飛び、代わりに握られたのは鞭だった。
「すみませんが逃がすつもりはありません。話ができないのであれば強硬的に捕縛せざるを得ないでしょう。まさか、ぶつかっておいて黙って去るだなんてつれない事は言いませんよね。もし逃げたら骨の数本は覚悟してもらいます」
にこやかだが口は滑らかに饒舌で、見せかけの笑顔は怒りに燃えている。揉め事に周囲の視線も集まり、男たちも逃げ場を失うと顔を青くして、慌てて懐から銀貨を数枚取り出してルシルに投げた。
「くそっ、これでいいだろ! 行こうぜ、ったく……!」
それ以上、ルシルは止める事はなかった。投げつけられた銀貨が散らばったのを阿修羅が拾って集めるとルシルに渡し、丁寧に枚数が数えられる。
「ひ、ふ、み……ははは、七枚くらいありますね」
「リンゴ飴十本くらい買えそうじゃのう」
悪い大人だな、とアデルハイトは二人を見て口端を引き攣らせた。相手が悪いとはいえ、元の金額より派手に巻き上げる姿を決してアデリアに学ばせてはいけないと思い、後でワイアットにそれとなく伝えようと静かに決めた。
「さ、騒ぎも収まりましたから次の遊び場を探しましょう!」
「ええのう、ええのう! 次は何をするかえ!」
楽しそうに店を探す間、アデルハイトはずっとルシルを見つめる。『私の娘』という言葉の余韻にずっとむずむずした。実の母親がいないからなのか、胸の奥から包み込まれるような温かさを感じるのは初めてだった。
「ふう~、人混みは疲れるわいのう」
ひとしきり遊んだ後は、ノルン通りの広場で休む。すっかり歩き疲れて、魔法とは無縁だった一日に足が筋肉痛になりそうになる。
「おっ、そうじゃ。わちきが飲み物を買ってきてやろう。せっかくあれこれと連れ回してもらった礼をせねばなるまい。……まあ金はルシルのものじゃが」
「じゃあ、お願いしよっか。頼むわね、阿修羅ちゃん」
どん、と胸を叩いて阿修羅はふんすと鼻を鳴らす。
「まっかせておけい! では待っとれよ~!」
駆けて行く阿修羅をルシルがくすっと笑う。
「ああ見ると普通の子供だね。私よりずっと年上だなんて不思議」
「だな。私もあいつが子供にしか見えない……いや、そうありたいのかもな」
「そうありたい、かあ。アデルちゃんはどうなの?」
阿修羅は自分がどれだけ歳を重ねても、持っていなかったものを手に入れるように童心に戻って楽しんでいる。アデルハイトは尋ねられて、では自分はどうなのかと手をさすりながら、僅かに首を傾げた。
「分からないんだ。自分の背負ったものが大きくて……こんなにも体が小さいと、つい我が侭を言いたくなる自分が怖いよ」
「う~ん、アデルちゃんはやっぱり真面目なんだね」
傍に寄ってアデルハイトを抱き寄せ、そっと頭を突き合わせ────。
「いいんだよ、我が侭言っても。今日くらいは、あなたのお母さんでいたいから。私じゃ大して代わりにもならないかもしれないけれど」
照れくさそうにアデルハイトが小さく頷く。
「……ありがとう。今日のルシルはすごくかっこよくて、私にもこんな母親がいればなって思ったよ。あの気難しいワイアットが心を許すのが分かる」
「でしょ。あの人って堅苦しいし、誤解されやすいから」
夫でもあり、困ったときは大きな息子のようだとも言って笑った。
「ね、だからアデルちゃん。あなたも私の娘でいいの。ほら、せっかくだからお母さんって読んでみてもいいんだよ。どうかな?」
「流石にそれは恥ずかしいな。で、でも一回くらいなら……」
呼んでみたい。面と向かって。ひとつの経験で、きっと自分にとってプラスになる事だ。しかし実年齢もあってか気恥ずかしく、向かい合うと途端に顔が真っ赤になって俯き、口をぱくぱくさせるも声が出せない。
ルシルはじっと待っている。ニコニコと微笑んで、ゆっくりでいいと言うように。だから、やっとの思いで絞り出して呼ぼうと一歩踏み出して────。
「おか……「すまぬ、遅れた!」
割って入ってくる元気の良い声にアデルハイトがぐぬぬと悔しさを滲ませ、ルシルはお腹を抱えてけらけら笑った。
「な、なんじゃ? わちきが何かしてしもうたのか?」
「ああ、なんだかすごく帰りたくなってしまったな」




