第51話「元気を出して」
どんな人なのかはよく聞かせてもらう。アデルハイトの母親、エルハルトはとても優しくて勇敢で、どこまでも心地の良い風のような人だった。そう言われるたびに会いたい気持ちが強くなる。周りが母親の話をすると、アデルハイトはいつも表情にはおくびにも出さないが、どこか疎外感を覚えていた。
『私だって、普通の生活が送ってみたかった』
口に出せば何もかもが終わってしまいそうな呪いの言葉。だから一度たりとも口にはしなかった。親子の関係はとても羨ましかったが、きっとディアミドにこんな話をしたなら拭えない深い傷を抉るのだろうな、と。
父親がいるのは嬉しい事だ。ずっと傍で見守ってくれていた事も。だが理想的な親子の関係ではいられなかったのは、アデルハイトも気にしていた。もっと普通の女の子として、ありふれた家庭の娘として、生きてみたかった。
「アデルちゃん。本当に寂しいよね」
後ろから抱き締められて、アデルハイトはどきっと驚く。温かくて優しい女性の腕に包まれ、寂しくなった気持ちが込みあげてくる。いつもなら敬語で接するルシルが、我が子に接するような優しい声色に変わった。
「我が侭言っても良いんだよ、たまには。誰も怒らないもの」
「……うん。そうだな、ちょっとやっぱり、辛いときがあるんだ」
「だよね。会った事なくても、お母さんが大好きなんでしょ」
「うん。すごく好きだよ。尊敬できる人だって、いつも伝わってくる」
よくやったね、よく頑張ってるね。そんなふうに褒められてみたかった。子供の体になって、失った自分の時間は取り戻せても、返ってこないものはある。ルシルの腕を握りしめて、口を結ぶ。目が涙で潤む。
「情けないよな。こんな体だけど、それなりには生きてるのに」
「情けないわけないよ。今のあなたは子供でしょ」
ルシルはアデルの前に少し屈んで、優しく微笑みかけながら頬を撫でた。
「どんなに強くたって、どんなに生きてたって、辛い事は辛いと言っていいの。抱え込んでいたら、いつか壊れてしまうでしょ。今のあなたは子供を経験してるの。だから大人の自分じゃなくて、子供らしい自分と向き合ってあげなくちゃ」
諭されてみて、アデルハイトは小さく頷く。強くても泣いていいんだと言われ、認められた事が心を落ち着かせた。どうしてこんなにも涙脆くなってしまったのか、と自分が可笑しくなってしまう。
「いいのかな。これから忙しいってときに」
「まだ時間はあるもの。ね、それならちょっと出かけない?」
「え。出かけるって、町に?」
「うん、そう。色んな屋台が並ぶノルン通りに気晴らしに!」
本当は夕方から皆揃って出かけるつもりだったが、今のアデルハイトを見て、とても他の子たちを連れて一緒には楽しめないかもな、とルシルはせっかくならこれを機に、少女の気持ちに少しでも彩りを与えたかった。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。あ、そうだ。でもお金が……」
「それは私に任せて。私と一緒なら外出の許可証も要らないから行きましょ」
「ん、わかったよ。今日は甘えていいって事だな」
「その通り。私が連れ回したいから。それでいいでしょ?」
「うん。お前の……いや、ルシルの言う通りにするよ」
それでよし、とルシルは優しく頭を撫でてアデルハイトの手を引いた。
「そうと決まれば早速出発! 他の子に見られないうちに!」
手を引かれて部屋を出る。普段は行けない場所へ行くのはワクワクして童心に帰った気がした。────束の間ではあったが。
「わちきがおるの忘れとるんか、ぬしらは?」
「ぬはあっ……!? あ、阿修羅ちゃんもいたんですね……!」
「聞いた事のない叫びをあげるな」
むくれた顔で、阿修羅は二人を睨む。
「二人で遊びに行こうなぞと、ずるいではないか。わちきとて外で遊びたい盛りの可愛い娘ではないか。ええ、おい。見ぬか、このもちもち柔肌ボディを」
「お前、自分でそれ言ってて恥ずかしくならないのか」
苦言を呈されようが、阿修羅はふふんと腰に手を当てて胸を張った。
「────可愛ければ、正義!」
何が悪いと言わんばかりの態度に呆れるアデルハイトの横で、ルシルはなぜか感心したようにパチパチと手を叩いて「確かにその通りですね」と頷いた。せっかくなら一人くらい増えてもいい、と。
「まったく。だが、その気遣いは嬉しいよ」
「ぬ……、ぬううぅぅ……! そういうのずるいぞ……!」
扉の裏で黙って聞いていた阿修羅も、落ち込んでいるアデルハイトを元気付けたかった。しかし、聞き耳を立てたのはどうなのかと自分でも思い、しれっとそこに偶然立ち寄ったふうを装って、一緒に遊びたかった。騒ぐ友人のひとりくらいは必要じゃないか、とアデルハイトには見抜かれてしまって照れくさくなった。
「なんだか悪いな。私のわがままにつき合わせるみたいで」
そう言いながらもアデルハイトは楽しそうに笑う。幼かった頃のトラウマが蕩けて消えていき、今は温かく沁みるような幸せを実感できた。
「じゃあ、今日はよろしく頼むよ」




