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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第三章

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第49話「しばらくの休息」

 真実は定かではない。だが鬼姫と名乗る九尾ほどの強大な魔族が、魔界で名も知られていないのは不自然だ。ミトラやリリオラのように、若くして魔族となって力をつけてきた存在でさえ知られているのだから。


「違う魔界か……。ローマンは心当たりとかは」


「うむ、他の魔界の可能性ならゼロではないだろう。私見程度の持論で良ければ、少し語ってもよろしいかな?」


 二人が聞く態勢に入ると、ローマンは櫛をベストの胸ポケットにしまい、後ろ手に組んで、思い出すように視線がやんわり上を向く。


「我々の知る魔界で、長きに亘って生きる魔族は私を除けばヴィンセンティアだけだ。しかし彼女がどこから来て、どう生きる魔族なのかは知らない。ただ、一度だけ聞いた事がある。『ここの魔界はとても静か』と、そう言っていた。とりとめもない話の最中だったし、いつも言葉に詰まりながら話すから、それだと思っていたんだが……もしかしたらそうではないかもしれない」


 ローマンは、それから何かに気付いたように顎に手を添えて深く考え込む。魔界には不可解な点がそもそも幾つかあった。荒廃して何もない場所で、人間界へ繋がる道はひとつだけというのが当然の知識だったが、長く魔界で過ごしてきたローマンはいくつかの異空間の痕跡を見た事がある。アンニッキの領域魔法のように複雑化された魔力によって生み出される空間、あるいは魔力を通じてあらゆる場所に繋がるポータルを思わせる、古い魔力の痕跡を。


「あれはもしや、ゲートの痕跡だった? ふむ、それなら調べてみる価値はありそうだ。他の魔界に繋がるゲートが人間界にも存在するなら塞いでおいた方が良いかもしれないが知的探求心の観点からいけば……いや、失敬。話の途中だった」


 我に返ったローマンが謝罪するも、アデルハイトも似た思考をしていた。もし他の魔界が存在するのなら、人間界も複数同時に存在するのか? と。その結論を出すためには、やはり複数の魔界の存在を確認するのが手っ取り早いのだが。


「とにかくじゃ。今はさほど問題点ではなかろう。わちきらに必要とされているのは新しい戦力。メルカルトとエースバルトが魔族を引き連れて大戦争を起こす一年後に備えて、わちきらは仲間を増やさねばならん」


 魔界にはびこる魔族の規模は年々増している。広い魔界では魔物同士が生存競争の為に喰らい合う中、魔族となった者たちは三つ巴となった派閥のいずれかに属する事で命を守り、互いに生き残ろうとしたからだ。そうして、結果的には人間界における大魔導師クラスの魔族は二千にのぼり、魔将候補と呼ばれる上位の存在だけでも百はいるのがローマンから得た情報で分かった。


 対抗策はただひとつ。今よりも大きな戦力を得て王都防衛戦に勝利する事。魔界の門が開いた事により、帝国とも連絡が取れておらず、現在は聖都と同様に廃墟と化している可能性は十分に高い。敵はほぼ直接、王都を目指して来る。多くの魔族に対抗しうる防衛の要を得るためにはフソウへ行くのが最優先だ。


「フソウに行きたいというのは昨夜、ルシルに話しておいた。ある程度事情は通じているから快諾はしてくれたが、学生の身でおいそれと旅行とは学園も許可できないだろうから、数か月先にはなるが修学旅行という形でどうかと」


「ほお。その行き先をわちきの国との交流目的でフソウにするわけじゃな。実に良い。鬼姫は滞在してはおるが、フソウ自体はわちきが治めておる。ぬしらは盛大に迎え入れよう。手紙を送っておかねばな」


 話が決まったところで、ローマンがふと尋ねた。


「その修学旅行とやらは二ヶ月先だろう。私に頼みたい事はないのか?」


 元々人間界でローマンがやるべきだったのはヴィンセンティアとの連携を取って、エースバルト襲撃に備えておく事。既に用が済んだ以上、特にやるべき事も本当に観光以外になく、暇を持て余しそうで嫌なのだ。


「……あ~。うん。万が一に備えて王都にいてくれると」


「そ、そうか。うむ、ではそうしよう」


 本音はちょっと修学旅行についていきたくてソワソワしたが、アデルハイトの言う事は尤もだと残念そうにしながらも承諾した。


「では先に失礼する。……よいしょっと」


「じゃから窓から出入りすんのやめろ! 扉あっちじゃろうが!」


「ハッハッハ。君の反応が面白かったもので。ではまた会おう」


「あーもー! なんじゃろうなあ、このイライラ感!」


 どうあっても仲良くなれそうにない、と怒る阿修羅をよそにアデルハイトはとても可笑しそうに壁に顔を伏せて体をぷるぷる震わせた。


「ちっ、なんじゃどいつもこいつも。……あぁ、それより。もう昼じゃが、ディアミドはどうなったんじゃ。きっちり生き返らせてやったんか?」


「ああ。だが肉体への負担が大きすぎたらしくて、アンニッキが言うには目が覚めるまではしばらく掛かるだろうと。今はシェリアがつきっきりだよ」


 告白したその日に振られて、挙句の果てにはディアミドが死体で帰って来て流石のシェリアも意識を失ったが、今朝からはアンニッキに付き添って蘇生が済んだら『自分がお世話します!』と傍を離れようとしなかった。


 しばらくは学業に見舞いにと忙しくなるだろう。アデルハイトも定期的に見舞いに行く予定で、いわば二か月間の休息の時間ができた。焦って事を成すよりも、冷静に休めるときは休む、がモットーだ。


「では私も少し魔法の研究でもしてくるよ。戦闘用の魔法は殆どやり尽くしたけど、生活用の魔法はまだまだ未開拓らしいから」


「かーっ、ぬしも辛気臭いのが好きじゃのう。わかった、頑張れよ」


 阿修羅が食事を再開して、アデルハイトも話がひと段落ついたと部屋を後にする。自室に戻ろうとして、『ぽーん。ぽーん』と高い音が寮内に響いた。毎月届くヘルメス寮専用の食料が届いたのだろうと受け取りに向かう。


 玄関ホールでは大量の箱を下ろす女性が、やってきたアデルハイトに気付いて帽子を脱ぐと軽く一礼をした。


「ちわっす、エッケザックス配達です」


 黒髪のウルフヘアに明るい紫のインナーカラーがよく目立ち、星の形をしたピアスが片耳でちゃり、と

小さく揺れる。アイスグリーンの透き通った瞳が、吸い込まれそうだと思うほど魅力的で美しく感じた。


「いつもご苦労様。ああ、荷物は後で運ぶよ。ドリンクをあげよう」


 アデルハイトが手を翳すと水のボトルがぽんっ、と現れた。


「おっ、魔法か。こっちは本当に進んでるなぁ」


「……? 気に入ってくれたなら何よりだ」


 変わった言い方をする人もいるな、と思いながら帰っていく女性に手を振った。いつもひとりで大量の荷物を運んでいるが馬車などはなく、そういえば歩いて帰るのだろうかと思ったら、背の高い格子門をひょいっと軽く跳んで乗り越えていったのを見てアデルハイトはあんぐりと口を開けて驚く。


「ただの配達員だよな? 何者なんだ、あの人?」

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