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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第三章

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第48話「九尾の魔族」



 小さな小さな阿修羅。よく聞いておくれ。てめえはずうっと強くなって、いつかはフソウの国を背負うはずじゃ。ただ強いだけじゃあ二流。他人様(ひとさま)の声を聞けて一流。そうして頂きに立ったらば、てめえはフソウの長となる。


 俺様は、そのあとゆぅっくりさせてもらうぜ。いつかてめえが、俺様よりも強くなるときまで。他の奴に食い散らかされる獣の死体のようにくたばるんじゃねえ。楽しみがなくなっちまったら、楽しくねえじゃろう。


「ん……。よう寝たのう。久しぶりに嫌な夢」


 恐ろしい夢でもあり、懐かしい夢でもある。フソウの国を飛び出したのも、ただ大陸でエルハルトを蘇らせたかったからだけではない。阿修羅にとって大陸には多くの未知が存在する。何度か訪れても、全土を回った事はない。


 師匠の修業があまりにもキツかったからとは口が裂けても言えなかった。


「ったく、昨夜に嫌な話をしたからやもしれぬのう」


 フソウの国の九尾。真の名は阿修羅でさえ知らない。どこからともなく現れて、幼い阿修羅の武の師匠となり、今もなおフソウの長をして『とても敵う相手ではない』と明言できるほどの怪物。魔族でありながら魔族に与せず、自由奔放に生きる在り方が、自分たち鬼人族と似通っていて好きだった。


『なに、魔族は人間が嫌いじゃろうと? かっかっか! そりゃまさに昔はそうであったわいのう。しかしまあ、長生きしてりゃ感性も変わるもんでの』


 九尾は人間が好きだと言った。どれほど長い気なのかは分からないが、普段は見えない尻尾がときたま青い炎のようにふわりと見える事があって、フソウの国では古くから伝わる妖狐なのだろうと阿修羅も信じた。


 しかし実際は、いつどのようにしてフソウにやってきたのかは分からない。自分を魔族だと言って、魔界から来たのかと尋ねると『どこの魔界からかなどいちいち覚えておらぬ』と肩を竦めて答えたのを覚えている。


 だから一度も口にした事はない。まさか、そんなはずはないだろうと頭の片隅にしまい込んで思い出しもしなかった。だがローマンの口ぶりからして、九尾は決して彼らの知るところにいないのだと分かった。


「……うむ、やはり言うてみるべきじゃのう」


 師匠の美しい姿を思い出す。清流のように穏やかに腰まで伸びた白銀の髪。空や海よりも惹きこまれる青藍の瞳。ときおりひょこっと見える獣の耳が愛らしい。なにより、着物を胸元を見せびらかすように着崩して、縁側で月明かりの下、煙管(きせる)をふかす女の姿が美術品にすら思えた。


「(よもや、また会う事になろうとは。せっかく逃げてきたのに)」


 落ち着き払った美しさとは裏腹に、修業は過酷そのものだ。大岩を担がせたまま、フソウの島を端から端へ歩かせるといった事は日常茶飯事で、休憩は許されない。水も食事も与えられず。背負った大岩も最初こそ軽かったが、段々と重たく感じて来るほど肉体的な疲労に襲われて、いったい何度、このままくたばってやろうかと思ったかも分からない。


 ある日には稽古だと言って戦わされ、三日三晩動けず眠り続けた事もある。まさにろくでなしの師匠。思い返せば思い返すほど涙が出そうだった。


「天は二物を与えずとは言うが、美しさの代償に性格が死ぬとはのう」


 大きなあくびが出る。考えたくもない。洗面所に顔でも洗いに行くかと部屋を出ると、プレートに食事を乗せてやってきたアデルハイトに出くわす。


「あ、おはよう。もう昼過ぎなのに起きて来ないから、何か食べた方がいいんじゃないかと思って持って来たんだが……すまない、これから食堂に?」


「そのつもりじゃったが、ここで食えるなら行くつもりはない。まあ入れ、ぬしとは少し二人で話したい事もある。ローマンもいれば良かったんじゃが」


 魔界が複数存在する可能性について何か意見交換でも出来ればと期待したが、寮に滞在するわけもなかったな、と諦める。


「私に何か聞きたい事でもあるのかね、レディ?」


「ぬおぉ────っ!? なんでわちきの部屋の中におるんじゃ!?」


「おっと、覗いていたわけではないぞ。窓が開いていたもので」


「なんで窓から入ってくるんじゃ、たわけが!」


「ハハハ。それよりアデルハイトを中に入れてあげたまえ、困っている」


「っぐ……このクソが、さっきからいけしゃあしゃあと……!」


「口が悪いよ、レディ。もっと美しくいたまえ、美貌が勿体ない」


 阿修羅はどうしてもローマンとそりが合わずにイライラする。


「ちっ、今回は構わん。すまぬのう、アデル。入ってくれ」


「ありがとう。ちょうどお前の師匠の話も聞きたかったんだ」


 テーブルに昼食を運ぶと、アデルは椅子を引いて阿修羅が座りやすいように動かしてからベッドにちょんと腰掛けて話を聞く態勢に入る。ローマンも窓の外を眺めて櫛で髪を整えながら、それとなく耳を傾けた。


「……うむ。そうじゃのう。やはりきちんと話しておくべきじゃろう。あの者の正体については誰も知らぬ。わちきさえも。じゃが、分かる事がひとつ」


 サンドイッチをひと口齧り、しっかり咀嚼して呑み込んでから────。


「わちきの師匠は自分を鬼姫(オニヒメ)と名乗っておった。そして、おそらく師匠は────ローマンたちとはまた違う、別の魔界(・・・・)から来た可能性がある」

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