第46話「変化する未来」
温かく、濃度の高い魔力の中に包み込まれる。黒と白の入り乱れる魔力の輝きに視界を奪われ、自分に抱き着いていたはずのヴィンセンティアの感触がなくなった。自分だけが過去に送られる事に、寂しさと不安を抱く。
彼女にとっては十一回目の奇跡。自分にとって最初で最後の好機。メルカルトという魔族に対して沸々と怒りが湧いてくる。たとえどれほどの相手であろうと必ず打ち砕いてみせると固く決意する。
やがて地にしっかり足のつく感覚と夜風に吹かれる肌の冷たさに意識をはっきりさせ、バルコニーで皆で酒を飲んだり料理を楽しみながら涼んでいた頃に戻ってきた事を確信する。ディアミドがいなくなってしばらくした後の時間だ。
「なんじゃ、どうした、アデルハイト?」
「……冷たい風を浴びすぎたようだ。阿修羅、一緒に来てくれ」
「ぬ。まあ構わんが。それでは休憩室に行くと────うおっ」
阿修羅が言い終えるよりも先に腕を掴んで、ツカツカと急ぎ足で休憩室に向かう。他の顔ぶれはまだ騒いでいて、気付く様子もない。
「落ち着け、落ち着かんか。どうしたんじゃ?」
「今すぐポータルを開く。聖都へ向かう。他の奴には見られずにな」
休憩室の扉を開けると、部屋の中に煙草の香りが充満している。入ってくるのを待っていたと言わんばかりにローマンが新聞を読んで待っていた。
「おお、来たかね。ヴィンセンティアから事情は聞いている」
「……奴はどうなった。もうどこにもいないのか」
「どこかに死体が転がっているだろうな。誰かが回収するそうだよ」
「他にも魔族がいるという事か?」
「いや、いないはずだ。詳しい話は後にしないかね、アデルハイト」
状況がまったく呑み込めず、阿修羅が『よもやわちきが嘘を吐いたのがバレたのか?』と不安そうに身を縮こまらせて二人を交互に見る。かなり怒られるに決まってる。ディアミドを戦地へ送って黙っていたのだから、と。
「阿修羅」
「ひっ、はい! なんじゃろか!?」
「気遣ってくれてありがとう。でも、行かないと」
「……様子が変じゃな。ぬしよ、何があったか後で聞かせてくれるか?」
「ああ。だが今は急がないとディアミドもアンニッキも死ぬ事になる」
トリムルティの杖を手に、軽く振っただけで瞬時にポータルが開く。いつもならば手間取っていたところを魔力の流れから見て阿修羅は目を見開いた。アデルハイトの魔力が戻ってきている。もう戻る事のない魔力の器が治っていた。
「な、なんじゃ……。わちきの知らん間に何が……?」
驚いて固まる阿修羅の方をぽん、としわのある大きい手が叩く。
「あまり深く考え過ぎん方が体に良いぞ、レディ。足りない頭ではエネルギーを無駄に使うだけだ。君に必要なのは腕っぷしだけではないかね」
「はっ倒されてえのか」
ローマンは何か悪い事を言ったのかと不思議そうに首を傾げた。正しい事を言ったつもりなのだ。
「馬鹿な事言ってないで急ぐぞ。聖都はすぐ目の前だ!」
三人、揃ってポータルを抜ける。アデルハイトはまっすぐ誰よりも素早く駆け抜け、ほぼ荒野と化した聖都の中心にいるアンニッキとエステファニアを見つけ、込み上げてくる感情を抑え込んで杖を構えた。
「(────気配が遠くから、それもとんでもない速度だ。私が一歩でも出遅れたら間に合わない……!)」
想像以上にメルカルトの接近は速かった。なぜ気配も感じずにアンニッキが背後から貫かれたのか、エステファニアの言葉を聞いても信じられなかったが、理由が分かる。とてつもない、ローマンと初めて会ったときより異常な魔力。
「ふむ。君は遅いな、アデルハイト。私に任せたまえ」
「ローマン! 出来るのか!?」
「出来るとも。まあ見ていたまえ」
駆けながら聖都に両手を翳して、ぎゅっと拳を握る。瞬間、黒い渦が発生して遠くに見えてきたアンニッキたちが異常に気付いて周囲を警戒する。いくらメルカルトが素早くとも、エースバルトも回収しなければならない以上、アンニッキたちにトドメを刺すのは不可能になった。
「私に気付けば、メルカルトも無理には留まれまい。そのうえ私が張った重力の中を移動するのだ。エースバルトを回収するくらいは許すだろうが、アンニッキを守るのには間に合うだろう」
「……ハハ、味方だとこんなにも頼もしいんだな」
この場にヴィンセンティアがいれば。そんな事を想いながら、アンニッキを目の前にした瞬間に重力が解かれ、アデルハイトは素早くアンニッキとエステファニアを守るための強固な結界を張った。
「うわっ、アデル!? どうしてここにいるんだ?」
「話は後だ、アンニッキ!」
結界の外側に手が触れ、罅が入る。メルカルトが苛立ちを笑みに隠す。
「まったくタイミングが良すぎるよ、君は」
「そいつだけ回収して帰るんだな。これ以上は時間がないんだろう?」
「いいや、君たちを片付けていく事はできなくもないが……」
力でねじ伏せるだけの強さはある。メルカルトの殺気はおぞましく全身が痺れた。だが、そこへローマンと阿修羅が到着すると流石に厳しいと感じたのか、結界から離れて、人間体になったエースバルトの傷を魔力で塞いで肩に担ぐ。
「ローマン……。君が連れてきたのか?」
「さあ、どうだろうね。君の計画には遅れがでそうだな、メルカルト」
痛い所を突かれて、メルカルトはチッと舌を鳴らす。
「ああ、そうだ。エースバルトがこのザマだと、治癒までにはどれだけ頑張っても一年は掛かる。本当に面倒な事を、偵察だけにしろと言ったのにね」
腹立たしさに拳を握りしめながらも怒りを露わにはしない。あくまで冷静に、遥か遠くの空を見つめて────。
「後二分くらいしかない。もう少し話していたかったけど、エースバルトを此処で失うのは痛手になる。今回は見逃してあげるよ。────次は全員、覚悟しておくといい。どちらがより優れた存在であるかは、そのときに分かるだろう」




