第45話「あなたに託す物語」
最初の戦いではアデルハイトを筆頭に、実力ある魔法使いは全員がエースバルトによって葬られた。情報がないまま、突如現れた桁違いの戦力。加えてそこには、今とは違う、ミトラにリリオラまでが敵に回っていた。
最初は帝国との戦争で終わり、ゴーヴがリリオラを召喚する事はなかった。それが失敗だった。アデルハイトたちの物語はそこで終わりを迎えるはずで、後に封印を解いて現れるエースバルトに対する手立てがなく、一方的に蹂躙された。
二回目は時間を戻して、封印される前に人間界へ隠れて過ごし、時期がきたらアデルハイトを探したが、そこではエンリケたちに殺害されたと分かり、未来が変わってしまったのだと思い込んで新たな策を考えるために旅をした。
そして、復活の時がきた。アデルハイト・ヴィセンテと名前を変えて現れた姿を見つけて希望を感じた。だが結局は叶わなかった。戦力を蓄えさせたものの、エースバルトを倒す後一歩のところでリリオラの邪魔が入って全滅。間一髪で時間を戻したヴィンセンティアは、また新しい策を練り直す事になった。
「そもそもリリオラが敵に回るはずがないのに、あなたたちの前に何度も彼女は立ちはだかった。だけど、常にそこにはローマンがいなかった。私、私はローマンがきっと味方になってくれると信じて、魔界へ戻る決断をしたわ」
ヴィンセンティアの力は自分以外の誰かひとりのみ、共に時間遡行が行える。三度目に時間を戻したときは、自分が人間界に逃げ込んだ瞬間を軸にして魔界へ戻り、ローマンに全てを伝えて時間を巻き戻す事にした。
しかし、問題はそこから。何度も失敗を重ねた。メルカルトを侮って先に仕留めようとしたローマンが敗れ、死ぬ前に急いで四回目へ転がった。あと一歩のところで、やはり鬼門となったのがリリオラだった。どうしてメルカルトの指示に従うのかが分からないまま時が過ぎ、八回目の巻き戻しでようやく全容を掴んだ。
「メルカルト・チュータテス……。あいつは本当に強い。そのうえ、他の魔族を服従させる何かを持っているみたいなの。それを突き止めたのはローマンで、彼も一度は殺された。わ、私……もうどうすればいいのか分かんなくなって、やっと、繰り返した失敗を元に此処まできたの。もう失敗はできない」
元々、リリオラは魔界に連れて来られた人間と仲良くなった事で穏健派の仲間になった。それゆえに友好的で人間社会にも興味が強い。そこでメルカルトから引き離すために、ローマンを通じて人間界へ送り込む事にした。
「メルカルトが何の目的でミトラまで送り込んだのかは分からないけど……。でもここまで来たら、後は進むだけ。あの男が魔界を牛耳るような事が起きれば、わ、私たちも皆、死んじゃう。穏健派の皆が、あなたたちの世界がなくなってしまう。でも、そのための鍵は揃った。もう大丈夫ってやっと信じられる」
アデルハイトに触れる両手が震える。本当は消えたくない。それでも、消えてしまうのなら選択の余地はない。もうヴィンセンティアに振り返る時間は残されていなかった。後は誰かに託すだけ。それだけしか、出来ない。
「い、い、いいかな。アデルハイト、あなたの友達を救うためには、全員生き残るためには。過ぎた未来を振り返らないで。私の事は覚えなくていい。……だからひとつだけお願い。リリオラを頼むわね。あの子は臆病なの」
「ヴィンセンティア? お前、まさか死ぬつもりなのか?」
仕方ない、とヴィンセンティアは悲しそうに頷く。
「この先の未来、ディアミドもアンニッキも心強い味方になる。戦えない私ではどうにもならないけど、あの二人なら、あなたを支えてくれる。他の人たちも。だからどうかお願い。皆を助けて。私の友達を、あるべき未来を守って」
ごほっ、と咳き込むと大量の血を吐きだす。
「……もう、能力を使わずとも呪いがじわじわと体を浸食して、長くは生きられない。これまで何度も、遠い時間まで巻き戻してきたけど、次がおそらく限界。でもその前に。最後に、これくらいは贈らせて。あなたの未来には必要な事だから」
胸に触れると、黒白の魔力が強く輝きを放った。体に沁みる大きな魔力が、胸の痛みに代わっていく。だが、嫌な気配をヴィンセンティアから感じないアデルハイトは黙って耐えた。激痛だった。締め付けられる痛みに呼吸もままならないが、目の前で必死になっているのは自分だけではない。ヴィンセンティアも苦しそうにして、顔色が青ざめていく。共に分かち合っているのだと信じられた。
「ふ、……ふう……ふう……これで大丈夫、のはず。どうかなぁ」
「ああ。とても体が軽い。底から魔力が湧き上がってくるのを感じるよ」
「ふふふ、良かった。魔力の器は……これで元通り、だネ」
全身の重たさに膝を突きそうになるのをアデルハイトが支えた。もう幾許もない命。首を絞めるように這い上がってきた呪いが体を黒く染めていく。
「ヴィンセンティア。その呪いはどうやっても解けないのか?」
「うん。メルカルトの魔力を超えるものが必要だけど、今のあなたにはそれがない。でも必ず、必ずあなたはメルカルトを倒す。わ、私には分かるの」
喉が詰まる。息が殆ど入っていかない。生きているのもやっとなほどに苦しいのを自分の魔力でなんとか呪いをギリギリまで抑え込んだ。
「ふひ……が、頑張ってネ、アデルハイト。わた、私はここまでだけど、皆の知らないところですごく頑張ったって、褒めてくれると嬉しい、な」
ぎゅっとアデルハイトに抱き着いて、ホッとする。温かくて優しい。抱き締められると心が伝わってくる。戦ってよかった。そう思えた。
「じゃあ行こう、アデルハイト。私の力でも、もうアンニッキが襲撃される少し前にしか戻せない。けど大丈夫。きっと上手くいく。し、信じてる」
「……ああ、ありがとう。お前の願いは必ず私が叶えてみせるよ」
思わず二人共涙が出てきた。会ったばかりで、相手の心を知ったばかりで別れなければならない痛みを共有した。それはヴィンセンティアが最期に感じた、人間という存在の大きさだった。
「うん。ふひひ、よかった。またいつか会えるといいなぁ」