第44話「救いたいのなら」
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王都の神殿で、ふたつの棺を前に少女は立った。いっぱいの花に囲まれた棺の虚しさたるや、色を失った世界を見ているようで気分が優れない。
あまりにも背負ったものが大きすぎた。不信感から生まれた新しい絆は、アデルハイトの背中に重く圧し掛かった。愛する者の死を経験しなかったわけじゃない。ジルベルトが死んだときも辛かった。だが、それ以上に────。
「私は、何を下らない事にうつつを抜かしていたんだろうな」
何も知らなかった若い頃。偶然にも出会ったアンニッキは心から優しく接してくれた。それこそ我が子にそうするのと同じように。
『お互い、寂しがりだろ? 友達になろう。悪くない提案じゃないかな』
アンニッキは多くの知識を持っていた。独学で魔法を扱うアデルハイトに、もっと多く魔法を授けてやろうとあらゆる本を貸してくれもした。軍に入ってからなおさら魔法使いとして磨きが掛かったのは、アンニッキがくれた知識のおかげだ。母親を知らないアデルハイトにとっては友人であり、母親のような人でもあった。
恋愛などふざけた事に気をやって、大切な誰かの命懸けの戦いの裏でパーティを楽しんでいたなど、永遠に心の傷として残るだろう。自分に腹が立って、悔しくて、悲しくて仕方ない。なのに泣くわけにはいかない。本当に泣きたいのは自分ではなく、カイラやシェリアの方だと思ったから。
「何のために……私は戦っていたんだ?」
大切なものを護って、穏やかに生きていたかった。ただそれだけだったはずなのに、いつも事態は大きくなっていく。そう運命が決まっているかのように。何度繰り返せば終わるのか。握りしめた拳の中で、行き場のない怒りが燃える。
「あ、こ、ここにいたんだネ……。二人共ちゃんと、死んだ?」
いきなり不躾な言葉が飛んできて、振り返ってぎろっと睨む。黒いローブに身を包んだ背の低い誰かの口元が、にやりと緩んだ。
「誰だ、お前?」
するりとローブを脱いで露わになったのは、どこか陰気な雰囲気を持つ少女。ぼさぼさの長い髪が生い茂った雑草のようで、そばかすのある顔が整っていて愛らしさを感じる。こんな参列者がいたか? とアデルハイトは疑問に感じた。
「お前、アンニッキかディアミドの知り合いか?」
「わ、私が誰かは分からないようだね。いいよ、お、教えてあげる」
少し得意げな顔をするのが腹立たしいが、あえて黙って耳を傾けた。
「私はヴィンセンティア。き、君たちを救うために、此処へ来た!」
「……お前が? そのだらしない感じで?」
イメージしていたのは、もっと凛々しくはっきりとモノを言うタイプの魔族だった。先にローマンやリリオラ、ミトラを見ていた事もあって魔族とは皆が堂々としたものだという先入観があったので、ヴィンセンティアの様子に驚く。
「だらしないとか言わないで……傷付く。だ、だって忙しくてぇ……」
落ち着きなくキョロキョロと周囲に誰もいないかを確かめて、ヴィンセンティアがアデルハイトの手をぱっと握った。
「は、話があるの。少し長くなる。リリオラたちには見つかりたくないから、力を貸して。────あなたのお友達二人を救うために、ううん、それ以上。世界を救うためには、あなたの力が必要になる」
「二人を、ディアミド達を救う方法があるのか!?」
さきほどまでの警戒心は消え、期待が目に宿った。
「う、うん……。とにかく場所を移そうよ。か、隠れないと」
「わかった。何か分からんが理由があるんだな。こっちへ来てくれ」
神殿には使われていない部屋が多い。寝泊りする神官の部屋以外は殆どが物置だ。適当な場所を見繕って、アデルハイトは部屋の中にヴィンセンティアを入れたら、魔法で音と気配を完全に遮断し、扉に認識阻害の魔法を掛けて、誰も気づかないようにしてから、近くの木箱に腰掛けた。
「今の私では大した時間は保たない。さっそく話をしてもらえるか?」
最初からそのつもりだったヴィンセンティアはコクコクと頷く。
「あ、ありがと。私、喋るのあんまりす、好きじゃなくて。こんなだから。で、でも信じてくれてありがとう。き、気合入れるから待ってね」
すうっ、と息を吸い込んでゆっくり吐いてから頬を両手でばちっと叩く。
「ごめん。じゃあ順を追って話そうか、アデルハイト」
先程とはまるで雰囲気が逆。力強い声色をしてアデルハイトを驚かせた。
「事の発端は一年先の未来。うん、おそらく今は結果が違うとは思うが、私が最初に時間を巻き戻した未来はひどいものだった。人間の持つ豊富な資源を求めた中立派の魔族たちは、メルカルトという強力な魔族を首長に戦争を仕掛けたんだ。私はそれを阻止しようとして失敗してしまった」
数千の魔族を従えての大進撃。閉ざされていた魔界の門は、メルカルトが一年を掛けて構築した魔力による強制開通によって封印から解き放たれた。出遅れたヴィンセンティアがメルカルトを襲撃するも、返り討ちに遭った。
「私は人間に救われた事がある。だから同胞たちが人間を殺すなんて耐えられなかった。和解の道があるはずだと模索したかった。でもメルカルトによって私の計画は水の泡になった。私の時を司る能力に、あの男は枷を嵌めた」
出された左腕を見てアデルハイトがゾッとする。壊死でもしたかのように肘から指先までが黒ずんでいて、魔力の流れをまったく感じなかった。
「これは呪い。私が能力を使えば使うほど、私の命は縮んでいく」
タートルネックを指で引っ張って、服の中を覗き込みながら言った。
「見えてないけど、もう体も大部分が同じ感じなの。最初は左腕だけだったんだ。能力が使えないせいで左腕が疼いて仕方ない……」
「妄言じゃなかったのか……。リリオラめ、適当に聞き流してたな」
ヴィンセンティアは何を言っているのか分からず首をかしげたが、今は気にしている場合ではないと話を戻す。
「ともかく。私の時間を巻き戻す能力を最初に使って戻したのが今から約六年前。魔界の扉が封印される前まで戻して、私は人間界に隠れる事にした。メルカルトの野望を打ち砕くために。そのときに目を付けたのがあなただった」
アデルハイトにぐいっと近寄って、両手をぎゅっと握りしめた。
「お願い。メルカルトだけじゃない。数千いる魔族も魔将候補と言える怪物ばかり。だから勝つためにもっと力が必要なの。もう何回もあなたたちが殺されるのは見たくない。今度こそ、全員が生き残る未来が見たいの」
「もちろん、私たちも負けるつもりはないが……」
違う、とヴィンセンティアは首を横に振った。
「もう十回も全滅した。今回が私にとっても皆にとっても、最後のチャンス。────ディアミドとアンニッキを救いたいなら、今から私の話す事を全て聞いて」




