第37話「雪原を屠る」
灼熱から身を護るために、アンニッキが仰向けにした手をスッと軽くあげると更地となった広場をぐるりと囲むように巨大な氷の柱が立っていく。強烈な冷気を放ち、自身のフィールドを形成する。魔力が通った氷はエースバルトの熱量にも耐え、術者であるアンニッキや、自身が対象とする味方を守る機能を持った。
「ハハハハハ! どこまでも俺を楽しませてくれる、アンニッキ! 初めてだ、人間に対して好意を感じるのは! いいぞ、もっと俺を怒りから解放してくれ! いい加減うんざりだ、目につくもの全てにイライラするのは!」
まっすぐ上空へエースバルトが飛んでいく。高い空に位置を取ったとき、アンニッキは何をしてくるかを察知する。聖都へやってきたときに使ったものを、今度は地面に向けて放とうとしていた。
「おっと、こりゃまずい。エステファニア、この氷の柱を使って聖域を作れ! あれが突っ込んできたら聖都そのものが吹っ飛ぶぞ!」
最初に見たときよりも凝縮された魔力を灼熱として体に纏い、隕石の如く落下する。エースバルト・イスクルの技のひとつ────。
「さあ耐えてみろ! 《メテオニック・アイトワラス》!」
直線に落下すると身に纏った灼熱が長い胴を持つ龍のようにうねった。エステファニアが創り出した聖域の結界を突き破り、地面へ激突。灼熱の魔力が大爆発を引き起こす。アンニッキたちは身を護りながら聖域の維持にリソースを割き、軽々と吹き飛ばされそうな体を必死に地面に身を屈めて張り付く。
「なんて馬鹿げた威力だ……! エステファニアの聖力が重なってなかったらとっくに蒸発してる! まったく冗談も大概にしてくれよな……!」
「言ってる場合ではないですよ! このままじゃ聖域が持ちません!」
強く光り輝く聖域が爆炎と衝撃波を押し留めているが、自分たちを守る事さえ厳しい状況で全リソースを割けるわけがなく、徐々に罅割れていく。多少の威力は抑えられるとしても、聖都に甚大な被害をもたらす破壊力であるのは間違いない。沈静化など待ってはいらない状況で、アンニッキは自身の冷気の結界を解くかで迷う。一瞬の賭け、自身の領域に引きずり込むのが正解だろう、と。
「エステファニア、私の合図で結界を解いて私たちの周囲に聖域を! タイミング遅れるなよ! いち、にい────今だ!」
高く指を掲げ、白い輝きが周囲に広がっていくと同時に聖域は消滅する。だが聖都に被害は一切ない。爆心地からようやく状況が見えてきたエースバルトが見たのは、一面に広がる大雪原。夜空の月明かりに照らされた白い世界。
「……なんだ、こりゃあ。俺の技を防ぐどころか、異空間へ飛ばしたってのか? ハハッ、人間のくせに滅茶苦茶な魔法を使いやがる!」
強い者は好きだ。殺し甲斐がある。たとえ本気を出して一撃で消し炭になろうとも、強さを認めた時点でエースバルトは敬意を払う。今回も簡単に沈んでしまうだろうと残念に思っていたが、良い意味で期待を裏切られた。
驚いたのはエースバルトだけではない。エステファニアも感嘆した。
「やるじゃありませんか、アンニッキさん」
「ふふん、こういうときの領域魔法だ。とはいえ範囲拡大で使うのは中々に骨が折れる。少なくとも半分くらいは魔力を使ったと言ってもいい」
汗が頬から顎を伝って滴り落ちる。雪にぽたりと沈んでいく。一度に魔力の半分を失うのは、アンニッキの魔力量では肉体に大きな負担を掛けた。今すぐ膝を突きたくなるくらいには全身が悲鳴をあげている。
「座っていてください。状況を察したプルスカが、今頃は皆様の避難を急いでいるはずです。私たちは皆様が安全を確保するまで時間を稼ぎましょう」
「同意見だ。私の領域も、アイツを相手には長く持たないだろうしね」
本来は接触できないゆえに外部からの干渉ができるのなら領域魔法は簡単に崩れてしまうほど脆い。しかし、だからといってアンニッキの領域魔法を破壊するのには大賢者に至った者以上でなければ無理難題にも等しい。
それをいともたやすく実行に移したローマン・ガルガリンの存在が脳裏に焼き付いて離れない。エースバルトの実力は分からずとも、領域魔法を内側からでも破壊できるだけの強さを持っているという嫌な確信があった。
「なんだ、今ので随分と魔力を使ったらしいな。俺たちの方が生命力と魔力が肉体に直結しているはずだが。種族として非力なくせに力を得た代償か?」
「かもしれない。私はそこまで万能な魔法使いじゃないし」
再び手に氷剣・ノートを生成する。エースバルトの外殻を破壊できるのはエステファニアか、あるいは自分の剣だけ。接近戦以外では砕けない。
「私が前に出ます、アンニッキ様。囮にでも使ってください」
「はは、冗談。前衛は任せるが、君に負担を押し付けるつもりはない。同時に行こう、他に方法なんてないだろ? 一緒に生き残────」
隙があっただろうか。いや、なかった。視線は一度だってエースバルトから逸らしていない。速すぎた。身体強化でいくら性能をあげても、その眼球が動きを捉えるには、エースバルトは巨体をものともしない常識を逸した速度だった。
大あごを開き、エステファニアの眼前に迫った瞬間。喰われると分かって、咄嗟にアンニッキは庇った。突き飛ばした直後に腕を凍らせて盾にし、残る魔力をさらに半分も使うほど防御に全霊を注ぐ。
「────《ツイスター・シュガール》」
高速の突進に加え、アンニッキの腕にがっちり咬みついたかと思いと、巨大な双翼を羽ばたかせて上空へ飛びあがり、高速で回転しながら地面へ突っ込む。雪が粉塵の如く舞い、衝撃波にエステファニアが吹き飛ばされる。
「くっ……! アンニッキ様、御無事……で……!?」
白い霧のように広がった雪が落ち着いて景色が取り戻されたとき、エステファニアは絶句する。恐怖と絶望で言葉を失ってしまった。
叩きつけられたアンニッキは完全に意識を持っていかれた。片腕は魔力の通った硬い氷ごと食い千切られ、エースバルトがそれを咀嚼している。
「上質な魔力だ。こんなものは他の魔族連中を喰ったとしてもあり得ない。俺たちと同じ魔将クラスと認めてやるぞ、アンニッキ」




