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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第三章

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第36話「怒りの災厄」

 人型の龍種。そんなものは聞いた事がない。見た事もない。常識外れの存在こそが魔将。そして、アンニッキは既に魔将がどれほどの怪物かを知っている。


 たった一瞬の隙さえ見せられない。領域魔法も意味を成さない。外部からの干渉が出来るという事は内側からも破壊される可能性が高い。まずは相手の出方を窺って、その実力を見極めようと氷の矢を幾本も飛ばす。


 魔法陣から放たれた氷の矢はエースバルトに直撃するが、その全てが高い威力でありながら体表を覆う分厚い真っ白な外殻に傷ひとつ付けられない。


「おいおい、そんなちまちまと俺の鎧を抉るつもりか。何年掛かるか分かりゃしねえ。まさかその程度の力で俺の強さを見極められるとでも」


「思ってないよ。もしかして私がひとりで相手してやると思ったか?」


 背後に回り込んだエステファニアの棘付きの鉄球がエースバルトの背中を強く殴打する。アンニッキの氷の矢よりも遥かに威力が高いが、それでも外殻が僅かに傷つく程度で、本体へは到底ダメージを与えられない。


「かゆいな……。失せろ、女。その力、見ているだけで目障りだ」


 尻尾がエステファニアを叩き飛ばす。防いでも耐え切れずに、崩れた建物の瓦礫の中に突っ込んだ。


「エステファニア!……くそ、あいつも英雄なのになあ!」


 手に氷の剣を生成する。氷剣・ノートならば外殻を切り裂ける可能性を感じて振るうも、エースバルトは堂々と手で掴んで、ニタリとする。


「無理だ、無理無理。そんなもので俺が倒せるわけがねえ」


「どうかな。こいつは触れる事の方が問題なんだよ。斬るというより削るに近い武器でね。その外殻が何処まで硬いかをみるのには丁度いいのさ」


 そんな事が出来るものかと高を括っていたエースバルトが、握りしめた剣の超高密度の魔力の波を感じて咄嗟に手放して下がる。たらりと掌から血が垂れたのを見て、牙を剥いて喜んだ。


「おお、やるな! 俺のこの白い鎧はいわば変質した鱗だ。それを切り裂くとなりゃあ、生半可な技術では不可能でね。……人間、些か気に入ったぜ」


「そりゃどうも。私は君が気に入らない、せっかくの旅行が台無しだよ」


 首に提げていたマフラーを手に、縄のように投げる。魔力を通したマフラーは自在に動いてエースバルトの手首にぐるりと巻き付く。


「(……! なんだこいつは、引っ張っても千切れねぇのか?)」


 アンニッキの魔力が通されたマフラーは縄よりもさらに頑丈だ。たとえエースバルトのような怪力無双とも取れる魔族でも、簡単には千切れない。


「ちっ、めんどくせえ。これで何を────」


「《押し寄せる極寒(タルヴィ・アールト)》。凍りついてもらうぜ、お坊ちゃん」


 注がれた魔力は絡みついたエースバルトの腕を瞬く間に氷漬けにする。外殻がいかに硬かろうと、アンニッキの魔力によって凍った部位は脆くなる弱体化(デバフ)の魔法だ。後は打ち砕くだけ────のはずだった。


「馬鹿馬鹿しい」


 外殻が真っ赤に変色していくと氷が溶けてぼたぼたと地を濡らす。絡みついていたマフラーが燃えあがり、エースバルトの炎がアンニッキに襲い掛かった。咄嗟にマフラーを話したが、手に着けていた黒い革手袋に火が点く。


「あっづぅぁ!? あっ、あっち、あちちっ! ちょっと待って、外す!」


「誰が待つかよ、意味分からねえ事言ってんじゃねえ!」


 拳がアンニッキの顔を捉える。振り抜かれた瞬間、そのギリギリをアンニッキはしなやかな体を逸らして回避し、ふわりと空に跳ねて距離を取った。最初からある程度の距離があったはずなのに、とアンニッキは不敵に笑いながらも冷や汗が頬を伝う。目で追い切れず、躱せたのは奇跡に近かったなと嘆く。


「ケチな奴だな。龍ってのは皆が君みたいな奴なのかい、まったく」


「フッ……。良い身のこなしだ、人間。次は何を魅せてくれる?」


「うーん、そうだなぁ。たとえば────左に注意、とか」


 気付かなかった。エースバルトは背後から迫った殺気に振り返ろうとして、棘付きの鉄球が顔面を直撃する。神殿の鐘にも負けない音が響き、巨体が宙に浮く。予想だにしなかった一撃をまともに貰って、地面に叩きつけられるまで驚いて動けなかった。エースバルトの外殻が罅割れたのだ。


 尻尾で叩いて体を跳ねさせて立ちあがると自身の顔に触れて驚愕する。さきほど確かに殺したと思った聖女は、傷ついてこそいるものの、元気そうに棘付き鉄球のグリップを強く握りしめて鋭い目をして立っている。


「ウソだろ……。さっきの威力の比じゃねえ……何者だ、てめえは」


「自己紹介が遅れましたね。私はエステファニア、聖女です」


「おいおい、マジかよ。聖女様が棍棒みてーなもん振り回してんのか!?」


 流石に魔族でも聖女がどんな存在かは知っている。人々を慈しみ、祝福を与える存在。それが物騒極まりない殺意に満ちた武器を握りしめているので、とてもそうは見えないと大声で笑うほかなかった。


「くふっ……ハハハハ! 人間ってのはつくづく理解ができねえ! 俺たちよりも知性と理性に溢れているのかと思えば、なんたる野蛮さか!」


「あなたに言われたくありませんね。ただの災害が人間を語るなど」


 苛立たせるつもりで放った言葉に、エースバルトはしんと静まった。


「そりゃそうだ。魔族ってのは災害でしかない。ただの魔物も含めて一匹残らずが災害そのもの。喰らい、喰らわれ、生きるか死ぬかの世界で勝ち残ってきた。だから人間の世界も奪う、それが当然だからな」


 蛮族である。災害である。恐怖である。それら全てを呑み込んで、魔族とは生態系の頂点に立った。魔将とは、その魔族でさえも喰らってきた最強格。ただの災害だの、語るなだの言われたところで、怒りには響かない。


「だが俺たち龍は違う。貴様ら弱小種族共に目を掛けてやったのに、俺の祖先は迫害を受け、魔界で暮らす事を余儀なくされた。此処はそもそもからして俺たちの大地! 俺たちの世界! 貴様らのようなゴミクズに騙された我が祖先にも苛立つが、当然、奪うだけ奪ってのうのうと平和に生きている弱者にも反吐が出る!」


 全身が燃えあがり、熱を帯びた白い外殻が赤い輝きを帯びる。


「小手調べは終わりだ、アンニッキ! そしてエステファニア、貴様らだけは憎くともたかが人間とは見下すまい! 強者よ、俺の怒りを超えてみろ!」

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