第33話「夜風に乗せた告白」
午後七時、ヴィセンテ公爵邸。
現場であるジネット家でいつまでもマルセラを寝かせているわけにもいかないだろう、とユリシスが公爵邸に運んで休ませている間、学園に一度戻ったアデルハイトたちはルシルとフェデリコに相談して特別に外泊許可を得て、ヘルメス寮の生徒は全員が公爵邸での特別授業という名目で一泊する事になった。
それからユリシスは、あれこれと問題が解決したのだから、少しくらいはぱあっと騒いでも良いのではないかと見知った顔だけでパーティを開く。
ホールに用意された食事の数々と、メイドたちの手によって普段とは違う着飾った姿で参加するアデルハイトたち。実に美しい光景だな、とユリシスは一人で静かに頷きながら、そっとワインを飲む。
「何を満足げな顔してやがる、公爵さんよ」
「ディアミド。あんたは嬉しくないのか、娘のドレス姿」
「軍のパーティでもよく見たからな。だが、まあ、皆綺麗なもんだ」
「うちのメイドは優秀なんだ。私服なのはあんたくらいなものさ」
「知るかよ、ドレスコードなんて。これが俺の正装だっつうの」
大人組は楽しそうにはしゃぐ子供たちを見てのんびり隅で片手間に食べられるものを持って、酒を楽しむ。ディアミドの穏やかな視線に、ユリシスは少し迷ってから、ひとつ息を吐いてワインをぐいっと飲む。
「……なあ、ディアミド。実は、あんたの娘に告白したんだ。ずっと昔から好きだった。親に何も言わないのはフェアじゃないと思ってさ」
娘を大切に想うディアミドだ。きっと怒るかもしれない。緊張に鼓動が速くなる。駄目だと言われても諦められないのに、駄目だと言われるのが怖い。
「知るか、どうでもいい。ガキの色恋に首突っ込むほど野暮じゃねえよ」
「な、じゃあ許してくれるのか?」
「あぁ。アデルの人生はアデルのもんだ。アドバイスはしても指示はしねえさ」
カナッペをひと口に頬張り、楽しそうに友人と談笑するアデルハイトを見つめる。ずっと大切にしてきた娘。今はもうすっかり自分を超える存在になり、誰からも慕われる良い娘が、一人の男を選んだのなら。
「お前は良い奴だ。俺ぁ、それだけ分かりゃ十分だと思うがね」
「ハハハ、あんたらしいな。英雄様も人の親か……」
「いつかはお前もそうなるさ。目に入れても痛くないガキの親によ」
バシッとユリシスの背中を叩いて、ディアミドは豪快に笑う。
「せいぜい嫌われないように頑張んな、坊主。俺ぁ、少し風に当たってくるわ。ちっとばかし飲みすぎちまったみたいよ。頭がふわふわしてきやがった」
本当はちっとも酔ってなどいない。樽いっぱい飲んだとて酔わない酒豪も酒豪だ。ただ、自分が人の親なのだなあ、と感慨深くなり、夜風に当たりたくなった。過ぎていく時を感じて、ふと物思いに耽る事にしたのだ。
しかしバルコニーには先客がいる。ぼんやりとジュースの入ったグラス片手に上った月を眺めて、仄かな寂しさを背中に感じさせた。
「おう、シェリア。何やってんだ?」
「ディアミドさん。ううん、なんでもない。良かったなぁって思って」
「おふくろさんの事か。仲直りできそうで何よりだ」
「えへへ……。ディアミドさんのおかげでもあるかも」
無邪気なシェリアの頬をきゅっ、とつまんでから、隣に立って月を見あげた。
「俺は何にもしてねーよ。だけどまぁ、あのときはなんとなく腹が立っちまってな。親ってのは、自分の幸せのためにガキに荷物背負わせちゃいけねえ。だから、なんかつい口を挟んじまった。悪かったな」
余計な口を挟まなければ、マルセラが大怪我を負って命の危機にまで陥る事もなかった。自責の念に駆られる部分もあり、シェリアをまっすぐ見られない。恨まれているんだろうな、と思ったから。だが実際は、その逆だった。
「ううん、ボクはあれで良かったと思う。卒業まであんな関係が続いてたら、それこそ心が離れ離れになって、いくら手紙を読んでも手遅れだったかもしれない。でも、今日の事があったからボクたちはまた話し合えるときが来たんだもん」
一度壊れてしまった関係は二度と元通りには戻らない。ギクシャクしたままの関係が続き、お互いに歩み寄る事ができないままになる。ディアミドは切っ掛けをくれた、とシェリアはむしろ感謝の念を抱いていた。
他人なのに自分の事のように怒ってくれる姿を見て、改めて感じた。
「……うん、やっぱり好きだな」
「あ? 何が?」
涼しい風が、さらりと通り抜ける。きっと分かり切っている結末。それでも伝えずにはいられなかった。寂しさと期待の入り混じった想いに、シェリアは精いっぱいの感情を込めて、ディアミドをまっすぐ見つめた。
「ボクと付き合ってくれませんか?」
初めて出会ったとき、心の底から頼れる人だと直感した。優しくて、ちょっと抜けてるところもあるかもしれないけれど、一緒にいて退屈しない。むしろ笑顔にさせてくれる。自分より他人を優先できる強さがある。だから────。
「悪いな、お嬢ちゃん」
大きな手がシェリアの肩をポンと優しく叩く。申し訳なさそうな顔を浮かべるディアミドに、気丈に振舞ってみせた。
「……ううん、いいの。わかってんだ、ボクも。だ、だけど、絶対じゃないよね。また告白してもいいよね! 絶対、絶対振り向かせるから……だから……」
「おう。お前もまだガキだ。大きくなってイイ女になったら、また来な。そのとき、お前の気持ちが変わってなきゃあ、少しくらいは考えてやるさ」