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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第三章

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第31話「死ぬ事になっても」

 ニンマリと歪に微笑んで、ヒースは喜々として語りだす。


「僕だって、最初は興味もなかった。近づくつもりなんてなかったさ。でもね、気付いてしまったんだよ。君の旦那さん、結構たくさんお金稼いでたでしょ。だからその財産をもらおうって思ったんだけど、ほら。君が使い込んでたから。あの子……シェリアちゃんは顔も可愛いしスタイルも良い。だから高く売れるんだ」


 傭兵だったヒースは、闇市場にも顔が広い。人身売買を行っている商人が貴族と取り次いで、もし気に入ってもらえれば数年は遊んで暮らせる額になる。特に見目が良ければ値は張り、シェリアの見た目なら十年は堅い可能性があった。


「なのに君ときたらなんだね。いきなりシェリアを養子に出すなんて本気で言ってるのか? いい金になる。あんな我が侭で言う事も聞けないガキなんて売り飛ばしてしまえばいい。その方が君だって気楽だろ、なぁ!?」


 床に押し倒して、マルセラを踏むように蹴りつけた。


「それを! 勝手な事をして! 僕に図々しいとは思わないのか!」


 何度も、何度も蹴られた。マルセラは悲鳴のひとつもあげず、隙を見てユースの足を引っ張った。その勢いで転んで頭を打った隙に逃げようとする。だが、どうしても放っておけないものがあった。


「(……そうだ、レシピ本! この男に持っていかれちゃダメ……!)」


 大切な形見のレシピ本。心から愛した男の遺したもの。いつかシェリアに渡そうと思って持っていた。自分はもう料理をする事が出来ないほど傷付いてしまったから、シェリアがいつでも父親の味を思い出せるように。


 だが、一足遅い。引き出しの中には入っていない。すぐにヒースの鞄の中に入っているのだと気付いて取り返そうとする。


「このクソ女! よくも僕にこんな仕打ちを!」


 立ちあがったヒースがマルセラの髪を掴んで引っ張る。抵抗するが、いくら傭兵としては腕のない男でも、なにひとつ鍛えていない女に負けるほどやわ(・・)ではない。うずくまるマルセラを無遠慮に怒り任せに蹴り倒す。


「再婚してからは僕が養ってやったんだろうが! なのに逆らうなんてどうかしてる! 君も、何も知らないままなら大切にしてやったものを! 少し情が湧いてきたと思っていたらこれだ、この役立たずが!」


 罵詈雑言を浴びせられ、骨が折れたと分かるほどの激痛にもマルセラは耐えた。必死になって耐えた。血と痣に塗れ、必死にレシピノートを抱きしめながら。


 この男を放っておいてはならない。もし逃げ出しでもしたら、どこかで必ずシェリアに報復するのは分かっている。だがここで自分がとにかく耐えていれば、迎えに来させると言っていた近衛隊の人が来るかもしれない。自分はそのための時間稼ぎ。捨て駒でいい。ヒースを逃がさない事を優先して命を擲った。


「ふう……ふう……。し、死んでないよな……? 殺すつもりはないんだ。だ、だけど言う事を聞かない君が悪いよ、マルセラ。僕にここまでさせるから」


 蹴るだけ蹴って落ち着いたヒースは自分の鞄を持って家を出ようとする。ひと悶着はあったがマルセラが叫びもしなかったので、誰も気にする事はなかった。白昼堂々に殺す寸前まで痛めつけて逃げようとする男がいるとは思わない。


────しかし、マルセラの希望は実った。


『すみません、マルセラ・ジネットさん。お迎えにあがりました、近衛隊のアラナと申します。いらっしゃいませんか、マルセラさん?』


 声が聞こえてきたとき、ヒースはまずいと鞄を抱きかかえて扉に耳を澄ます。まさか入ってはくるまいと慎重に行動しようと呼吸も静かにする。


 だが、この好機をマルセラは逃さない。痛む体が限界を迎える中で、振り絞った声で叫んだ。届いてくれと祈りを込めて────。


「助けて下さい、夫に殺されます! お願いします、早く来て!」


「この馬鹿女……! まだ僕に迷惑をかけるっていうのか!?」


 返事はない。緊急事態と分かって、扉がどかんと勢いよく破壊された音が聞こえてきて、ヒースは慌てた。心臓がばくばく鳴って、どうすればいいか考えてから鞄を放り出して「来い、君が盾になるんだ」とマルセラを抱え、首に腕を回す。


 部屋の扉が蹴破られると、ヒースは深呼吸して近衛隊員に言った。


「う、動くなよ……。静かに出て行け。でなきゃ女の首をへし折るぞ」


 へらへら笑って、これでひとまずは逃げられると確信した。────しかし、目の前の近衛隊員二人組は平然とした顔で剣を引き抜く。


「私は近衛隊副隊長のアラナだ。あなたがヒース・ジネットだな?」


「そ、それがどうした……! 僕を逮捕するって言うのか、今ここで!?」


「ええ、その通り。残念ながら逃がすわけにはいかない」


 ヒースの腕の中で項垂れて動かないマルセラを見て、眉間にしわを寄せた。


「アーヴィング、ヒース・ジネットを捕えろ」


「え……、いいんですか、副隊長。マルセラさんは?」


 いくら速度特化のソードマスターと言えども窓際まで下がったヒースが行動に移すより速く殺すのは難しい。────人質が生きていれば。


 悔しさの滲んだ顔で、アラナは首をゆっくり横に振った。


「残念だが、既に死亡している可能性が高い。我々の仕事を果たそう」

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