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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第三章

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第30話「本性」




「くそっ、くそっ、くそっ! ふざけやがって!」


 家の中を荒らす。大きな鞄に出来る限りの金目のものを詰め込んで、ヒースは苛立ちを隠しもせずに声を張り上げた。引き出しの中身を漁って要らないものは投げ捨てて。棚にあった食糧も鞄に入れて。売れるもので持ち運べるならなんでもいい。滅多と入らないマルセラの寝室にも入った。


 ドレッサーに映る自分の醜い姿が嫌になる。生きていくためならなんでもした。その中で最も最悪だったのが人殺しだ。仲間とつるんでやった。相手は騎士でも軍人でもなく、ただの市民。無抵抗の人間を殴り殺す感触は今も手に残っている。人生で初めてやらなければ良かったと思った仕事だった。


 だがヒースはひどく歪んでいる。元々殺しさえしなければいいと暴力を振るう事に抵抗はない。どんなに罪を重ねたとしても、無実の人間を理由もなく強奪のためだけに襲って殺す事に抵抗があるだけで、理由があるなら殺す事はさほど厭わない。だからこそ傭兵という職に就いていた。最も稼ぎが良かったから。


「あの女、財産も何も残ってなかったくせに、何が愛さえあれば生きていけるって。金がなかったらどうにもならないだろうが……! くそ、あの料理店の親父が旦那ならよほど稼いでると思ったのに当てが外れて、こっちは仕方なく五年も待ったってのに!」


 部屋にあった鉢植えを蹴り飛ばして倒す。ふうふうと荒い息を立てて、興奮を何とか収めようといったん拳を握りしめて壁を殴った。擦りむいた手から血がつうっと垂れるのを見て、僅かに冷静さを取り戻す。


「いけないいけない……。こんな事をしている場合じゃなかったな。ったく、マルセラもなんでこんなに手紙の取り置きなんてしてるんだか」


 全て学園からの手紙だ。シェリアの事でやり取りがあったのだろう、と大して気にも留めず床に捨てて物色を続ける。


「これはノートか? 随分くたびれてるな……ほお、こりゃすごい」


 びっしりと文字が詰められたノート。全て料理のレシピだ。材料は産地までこだわられていて、マルセラとは違う字を見て『前の旦那のものか』とヒースはニヤリとする。これがあればきっと金儲けに使える、と鞄に押し込んで────。


「何をしているの、ヒース。あなたまさか出ていく気?」


「マ、マルセラ……。そうだよ、君も一緒に行こう!」


 狡賢く生きてきた。それもこれも自分が自由でいられるためにだ。いつまでも追いかけられる日々など厄介極まりない。脱却するには金がいる。莫大な金。マルセラを利用する事も、当然していいはずだ。これは僕のためだから。ヒースの邪な考えは、なんとか感情を押し殺して胸の中に隠した。


「公爵家に目を付けられたんだ。君も知っているだろう、僕が以前に人を殺してしまった事。もうここにはいられない。シェリアも連れて小さな村で暮らすんだ。そうだよ、そうすれば家族みんなでもっと時間が────」


 触れられた手をマルセラが振り払った。静かな怒りが沸々と湧いてくる。いまさら母親面をしても遅いかもしれないが、それでも遅すぎる事はない。なにかひとつでも彼女のために出来る事があるのなら。


「……シェリアは養子に出すわ。うちでは到底育てていけないから」


「は? なんで? 彼女は僕らの子供じゃないか……!」


「そうね。でもあなたの事を嫌ってる。大人の融通で嫌な思いをさせたくないの。二人で離れてやり直せないかしら、ヒース?」


 理解してもらいたい。理解してくれるはず。淡い期待。どうにもヒースがシェリアに対する執着心を持っているようでならなかった。学園で見たとき、距離感を詰めようと努力するのではなく、強引に詰め寄っているふうに感じたのだ。


「駄目だよ。家族じゃないか、置いていくなんて。大丈夫、納得してくれるよう僕からも話してみるし、学園も退学させよう。田舎暮らしだって悪くないよ」


「あなたは本当にシェリアの気持ちを一度だって考えた事があるの?」


 突っぱねるような言い方にヒースが苛立ち始め、声が震えた。


「当然だろ、当然じゃないか! 娘の幸せを想っての事だよ!」


「だったらなぜ魔導師の夢を諦めさせるの。応援するのが親の役割だわ」


「夢なんて下らない。魔法使いではいられる。認められる。十分だろ」


「……なんでよ。どうしてあなたはいつもそうなの」


 悔しくて唇を噛む。自分が選んだ男の粗末な考え方に、シェリアが嫌って当然だと思った。純粋で優しく、父親によく似た性格のシェリア。だけどそれ以上に相手をよく観察して、善悪の区別をしっかり付けられる。自分と違う。父親のように、誰にでも優しいというわけでもない。なぜ嫌いなのか、今なら分かった。


「あなたはシェリアに執着しすぎてるわ。これ以上はもう────」


 ぱんっ、と乾いた音がする。頬が赤くなり、痛みが走った。マルセラは自分の左の頬がじんじんして、手でそっと庇いながらヒースを恐怖の目で見る。凍てつく眼差しが見下ろす。ああ、これが本性か。


「いい加減にしないか。手放せるわけないだろう、五年も待ったんだぞ」


「……ご、五年って何よ。何の話をしてるの?」


「仕方ないから教えてやるよ。お前なんて最初から道具に過ぎなかったんだ」


 がしっと手で顔を掴んで跪かせ、ヒースは血走った目で理不尽な怒りを刃のように鋭くしてマルセラを映す。


「もう十六歳ともなればいい年頃だ。貴族だったなら社交界で華々しく自分を着飾る年齢さ。────僕はね。売り飛ばせる歳まで待ったんだよ、マルセラ」

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