第29話「親心」
ただシェリアを救いたいという気持ちだけではない。ユリシスが多方面からの考察を重ねた結果、その方が良いと判断したからだ。シェリアだけではなく、母親であるマルセラを救うためにも。
「……いいわ、話を聞きましょう」
席に着いたマルセラは、その場にいる面々の物々しさに不安を覚える。自分だけが場違いに思って居心地が悪くなり、僅かに冷や汗が滲む。
「リラックスしてください、マルセラさん。さっそく話を再開しますが、シェリアさんを養子にお迎えしたいというのは本気です」
「私たちの家が貧しいから、そうやって取り上げようというんですか」
攻撃的なマルセラにシェリアが否定しようとするのをディアミドが止めた。今は黙ってユリシスに任せておけと首を横に振って。
「そんな考えはありません。支援とはつまり、彼女の才能に対する惜しみないものです。そして身の安全を守るためにも必要な事でして。もちろん、彼女を養子に迎えられる事ができれば、マルセラさんにも公爵家でお過ごし頂いて構いません。我が子と離れるのはお辛いでしょう。私もお二人の仲を引き裂きたくはないので」
「……都合が良すぎます。なにか裏があるのでは? たとえばシェリアを娘ではなく側室に迎え入れるためとか。何を根拠にあなたを信じればいいの?」
公爵家ほどの大きな家門だ、まともな理由などあるはずがない。偏った認識でモノを言われても、ユリシスはぴくりとも反応をみせなかった。
「現に、私が養子に迎えた子がそこに座っています。アデルハイトは実に優秀な魔法使いです。孤児院にいた所を私が引き取りました。そんな事実がない事は彼女が証明してくれるでしょう。それはそれとして、もうひとつ」
きっと激しい口論になるだろうな、と覚悟してユリシスは告げた。
「ヒースさんは、あなたの元旦那さんを殺害した疑いがあります。物的な証拠はありませんが、既に当時関わっていた者たちからの証言も得ています」
ひどく取り乱すであろう緊張の一瞬。意外にもマルセラは静かに聞いて、視線を少し下げて、まるでがっかりでもしたような反応をする。
「……そう。知っている事はそれだけですか」
予想外の言葉が飛び出てくると、シェリアががたっと、椅子を揺らす。
「なに、お母さん……もしかして知ってたの?」
「知っていたわ。あなたの父親を殺した事までは知らなかったけど」
再婚する前、マルセラは親しくなったユースから告白を受けた。
『僕は昔、人を殺したことがある。生きるのに必要を迫られたんだ。でも後悔してる。あんな事、二度としたくない。怖いんだ、今も殺したときの感触が忘れられない。傭兵をやっていたなんて思い出したくもない』
罪に対する懺悔。愛するゆえにそうしてくれたと信じた。最初は。だからシェリアに紹介した。きっと喜んでくれる、新しい家族になれると、ぽっかり抜けた穴を埋めてくれるはずだと。
しかし、現実は違った。シェリアはユースをひどく嫌っていて、関わりたくもないふうだった。そして同様に最初こそ落ち着いた雰囲気だったユースも、家族の目がないところでは悪態を吐くようになった。
『なんでガキってのはああも我が侭なんだ、くそっ!』
握りしめた拳を壁に叩きつける寸前で止めている姿を何度も見た。そのうち手を出すのではないかという猜疑心がマルセラに芽生え、シェリアには何度も説得を試みた。今のうちに仲良くなってくれた方がよほど安心して暮らせる。ユースは自分の罪と向き合っているのだから。
「……まやかしなのかもしれないわね。今日の事も、彼は随分と怒っていたから。でも私には、縋れるのがあの人しかいなかった。貴女は子供だから、いつか大きくなったら私の元を離れてく。そんな寂しい人生はもう嫌なの」
場がしんと静まり返る中、ディアミドが見かねて口を開く。
「あんた、もう親じゃねえな」
「なんですって?」
睨まれるとディアミドはそよ風のように穏やかな視線で返す。
「自分のガキより、自分の幸せに縋って、大事なもん見失うほど傷付いちまったんだろ。その辛さは俺もよく知ってる。妻を亡くして随分長く独りっきりだ。でもな。自分のガキの幸せを考えらんねえほど落魄れちゃいねえよ」
マルセラには返す言葉がない。そんな事はないと否定できなかった。我が子を遠い昔に置き去りにしてきたようで、申し訳ないとさえ思う。支えであった夫を失った事で無気力になり、愛する娘を直視できなくなった。面影を見る度に亡くなった日を思い出してゾッとする。だから無関心に徹するようにした。そうすれば思い出さなくて済むし、シェリアを必要以上に傷つけないから。
ヒースは希望だった。落魄れた自分を愛してくれる。きっとシェリアとも仲良くなれる。そうすれば、また以前のように団らんが訪れる。盲目的に突き進んで、そして今に至った。間違っていると分かっていながら、泥濘にはまっていくのが分かっていながら、良くなると信じ続けて。
「俺は自分のガキが幸せんなってくれりゃそれでいい。あんただってそうだったんじゃねえのか。それともシェリアはテメーの老後を支えるための道具か?」
「違う……! シェリアにそんな思いはさせたくない……!」
いつからだっただろう。マルセラは夫を失って悲しみに暮れ、やがてシェリアもいなくなるのだと思うと、嫌で嫌で仕方なかった。所有物のように、同時に腫れもののように扱って、どんどん広がっていく溝を埋める方法が分からないでいた。ディアミドの言葉にようやく本音を吐きだす事ができた。
────私は、大切な子供の母親でありたかったのに。
「……わかったわ。シェリアが出ていくのは認める。ううん、好きなようにさせてあげたい。あなたはどうしたいの、シェリア?」
「ボクは大魔導師になりたい。立派な姿をお母さんに見せるために」
会えなくなるわけじゃない。公爵家の養女となってもユリシスは母親も公爵邸で過ごせばいいと提案をしてくれている。任せても良い相手だと今は信じられる。子供の事を自分より真剣に考えてくれる人々だから。
「公爵様。……娘の件、よろしくお願いします。私は帰って夫に話してみます。きっと同意してくれると思いますから……」
「わかりました。何か問題がありましたら、私やディアミドさんの名前を出せばどこでも受け入れてくれます。後で近衛隊から迎えも送りましょう」
席を立って、マルセラは深く頭を下げた。
「それじゃあ、シェリア。また夜にでも会いましょう」
「うん。分かった、……楽しみにしてる」
照れるシェリアを見て、自分は馬鹿だったなとマルセラは自分にひどく呆れた。失ったものの大きさは同じだったはずなのに、いつの間にか自分ばかりを鏡で見て、大切だった娘を蔑ろにしてしまったと後悔する。
部屋を出る前、開いた扉に手を掛けたままマルセラは振り返った。
「それから言い忘れていたけど、今日の授業は良かったわ。輝いて見えた」
「……! お母さん来てたの!? あ、だからこんなに早く……」
「じゃあね。それでは皆様、シェリアの事をよろしくお願いします」
小さく会釈して、マルセラは芽吹いた想いを抱いて帰路に就いた。




