第28話「深い闇」
誰も言葉を発しない。発する事が出来ない。そして誰より驚愕したのは当事者とも言えるシェリアで、顔面蒼白になって小さく「え?」と零す。信じ難い話をユリシスは落ち着くのを待つ事なく再開した。
「アデルハイト。六年前のケルニッツ商会の事件は覚えてるか?」
「あぁ、覚えてるよ。商会が山賊や傭兵とグルになって、取引相手を騙して金品を奪っていた事件だ。とっ捕まえるまでは私が担当していたから」
既に解体されたケルニッツ商会は、高利貸も行っていた。傭兵を雇って商売に使う小麦などを駄目にしたら、偶然そこに居合わせたケルニッツ商会の人間が取引を持ち掛ける。自分たちの紹介で仕入れるなら安く済む。馬車も貸すので、自分たちで荷物を受け取りに行って欲しいと。ただし輸送中のトラブルなどで商品を紛失した場合にも自己責任として代金を支払わせるのだが、これを決まったルートで山賊襲わせて強奪。それから自分たちの倉庫に持ち込んで『先約があるが事情を話して在庫分を正規の値段で譲ってもいい』と話しを持ち掛けるのだ。
当然、仕入れのために用意した金など尽きているので、後払いでも構わないとなると応じる者は決して少なくなかった。しかし、それも長くは続かない。口八丁で契約書に署名をさせたら、自殺するまで追い詰めるなどざらだ。
結果的に、その行いは山賊と傭兵の悪行の積み重ねによって露呈し、事件を担当する事になったアデルハイトとフェデリコの二人に瞬く間に捕縛。ケルニッツ商会は解体する事が決定し、おおよそは投獄が決まった。
「当時、軍の尋問官に金を払ってまで逃げた連中は何人かいる。ヒース・ジネットはそのひとりだ。まあ、あの頃は司令部も魔物の案件が多くてね。深く関わっている余裕がなかったんだが、今年度になって色々と整理していくうちに分かった事だ。……シェリア、話すのも辛いだろうが聞かせてくれ。心当たりは?」
深く傷ついて動揺しながらも、シェリアはゆっくり頷いた。
「……昔、お父さんは料理が好きだった。お店は繁盛してて小さいけど人気でね。ある日、料理に使う小麦粉がいつまで経っても届かなくて、在庫はあるから大丈夫だって言ってた矢先に、誰かが泥棒に入って駄目にされてしまって。その通りだよ、そのときケルニッツ商会から三人くらいが話を持ち掛けてきた。それから三日後、仕入れの目処が立って、ひと山先にある町まで取りに行くって……。でも、その帰りに傭兵団に出くわしたらしいって、お父さんは二度と帰ってこなかった」
絶望の日々だった。父親の店を手伝っていた母親は、気力を失って店を閉めてしまい、コツコツと貯めていた貯金を崩す生活が続いた。ようやくそれではいけないと新たな職に就いたのが、一年が過ぎた頃。それでも失った気力は戻らず、愛情を注いでいたはずの娘にさえ興味が持てなくなった。
そんなある日、ヒース・ジネットを連れてきた。『あなたの新しいお父さんよ。挨拶しなさい』と、そんな簡単に言われて受け入れられるはずがなかった。いくら優しいと言っても多感な時期に入ったばかりのシェリアには無理があった。
「ひ、ヒースさんがお父さんを殺した可能性って言うのは……」
震える声。知りたくなかった。しかし、知らなくてはならなかった。知っておいた方が良かった。複雑な感情に胸が痛む。
ユリシスは、そんな心情にも淡々と話す。
「ヒース・ジネットはケルニッツ商会と繋がりのある元傭兵だ。大した腕もないんで、他の連中とつるんで商人の馬車を襲うくらいが関の山の小者さ。……そして当日の夜も他の傭兵と手を組んで、ケルニッツ商会からの依頼を受けて張っていたそうだ。当時の連中にも話は既に聞いてる」
シェリアの父親の遺体は帰ってこなかった。馬車の荷台ごと隠すように捨てられており、損壊と腐敗が激しく、その殆どは獣に持ち去られた後だった。
「当時、軍内部でも汚職は問題提起されていたそうだが、ヒースは尋問官に金を握らせて、自分の罪を殺人や強盗ではなく、ただの窃盗として扱わせてさっさと出てきたらしい。他の仲間は随分とご立腹だったよ。……ともかく、この件を口実にヒースを引き離そうと思う」
ディアミドが、隣に座るシェリアを慰めるように背中をぽんぽん叩く。
「どうしてそんなに報告が遅れちまったんだ。もっとはやくに分かってた事じゃねえのか、アデルの周囲にいる連中はとっくに調査してたんだろ?」
睨まれると、それも当然かとユリシスは首を横に振った。
「庇うわけじゃないが、ヒースは調査の結果、再婚してからの犯罪歴は本当にシロだ。七年も前の事件で証拠も隠滅されてるし無理に捕まえる事はできない。卒業したらシェリアも軍に所属予定だったから追及する理由がなかった」
そう簡単にいくのならユリシスも早くに動いた。しかし、実際には複雑な規則も絡み合って都合良くは進まない。波風立てずに生きてきたヒースが、本来の人間性がどうなのかを見極める必要があった。
生きるのに迫られて傭兵を選んだのか。結婚を機に変われたのか。色々な可能性を考慮しての観察処分。しかし、今日になって『悪人はそう簡単に善人にはなれない』とユリシスは判断した。このままではいずれシェリアが不幸になる。それだけは避けるべき未来だと。
「シェリア。これは俺からの提案なんだが……ヴィセンテ公爵家の養子に来ないか。学院だけでは足りない部分も公爵家なら補ってやれる。アデルハイトと同じように可能な限りの出資も────」
食堂の扉が、ばんっと強く響く音を立てて開かれた。
「誰も迎えがないから勝手に入って来てみれば、本当にろくでもない話をしていますね。ヴィセンテ公爵様と言えども無視はできません」
シェリアとそっくりな顔立ちに長い黒髪。もし年老いたらこうなるのだろう、という外見を如実に表しているので、誰でもひと目見ればすぐに分かった。
「お母さん!? 本当に来るなんて……ヒースさんは?」
「忘れ物があるから家にとりに戻るって。それより養子になんて認めないわ。あなたは私の子なんだから、絶対に手放すものですか」
シェリアを連れて行こうとする母親を見て、ユリシスがテーブルを指でコンコン叩く。開いている席を手で指して、にこりと作り笑いを浮かべた。
「どうぞお座りください、マルセラさん。ちょうど、その事であなたともお話がしたかったんです。金で解決しようって話じゃない。あなたの娘さんの将来を考える場を、こうして設けていまして……ぜひ、聞いて頂けませんか」




