第27話「傷だらけの過去」
子供とは思えない常識外れの強い殺気にヒースも息が詰まった。掴まれた腕も異様に力が強く、振り解く事ができない。
「ちょ、ちょっと……放してもらえないかな……!」
「魔法使いになるのは簡単な事じゃない。お前のような魔法について何も知らない人間が、平気で未来ある人間の芽を摘もうとするなんて許せない」
折れるんじゃないか、そう思うほど強く握りしめられて腕が痛む。
「どうどう、アデルハイト。そろそろ放してあげたらどうかな」
「ユリシス……。だが、コイツは魔法使いを、シェリアを侮辱したんだ」
「分かってる。だから俺に任せてみないか」
笑顔で諭すとアデルハイトも渋々力を緩める。ヒースはそれを振り払って、痛む腕を掴みながら「なんてガキだ」と消え入るような小さい声で呟く。聞き逃さなかった阿修羅がじろっと睨んだが、ユリシスは首を横に振った。
「まあ落ち着いてください、ヒースさん。あなたも大人だ、子供を心配する気持ちは分かる。しかし、夢を目指す子供の言う事を信じてあげるのが大人の役目ではありませんか。なにも間違った道に進むわけじゃない」
「し、しかし公爵様……。私はそちらの方がどうしても信用できず」
薄暗い敵意がディアミドに向く。ユリシスは視線を遮って立った。
「そう喧嘩腰にならないで。何度も言いますが落ち着いてくださいよ。シェリアさんのお母様も連れてきて話し合いをしましょう。ヴィセンテ公爵家の名に誓って中立の立場で、当事者全員の話を聞く事はもちろんします。なので、」
こほん、と咳払いして、ユリシスは穏やかな表情の中に冷たさを醸す。
「逃げも隠れもしないからさっさと連れてこい。ヘルメス寮で話そう。応じないと言うのであれば公爵家の権限を以てシェリア・ジネットの身柄を保護させて頂く。……まさかあんたの方が逃げるなんて事もないだろう?」
脅しめいた言葉の意味をヒースは理解して息を呑む。全身が総毛立つ冷たさをユリシスに感じて、頷く以外の事ができなかった。
「わ、わかりました……。昼には戻りますから、お待ちください」
「ええ、それで結構。では後ほど会いましょう」
脱兎のごとく退散していくヒースに、ユリシスはべっ、と舌を出す。
「まったくロクでもない奴だよ。あんなのが父親なんて思いたくないな」
「あぁ、そうだな。ところでユリシス、お前何か知ってるのか?」
「ヒース・ジネットの事か。それはもちろん、お前の交友の範囲にいる人間は皆調べさせてるよ。とにかく話はあとだ、俺たちはヘルメス寮で待とう」
ちらとディアミドを見る。午後からは皆で遊ぼうと予定していたのに、それを覆す形になってしまって申し訳なく思った。しかし立案したディアミドは『んな事気にすんな』と言うようにニカッと笑ってひらひら手を振った。
大事な仲間が辛い目に遭っているときに楽しく遊べるはずもない。せっかくなら全部解決してしまって、そのあとで騒ぐのが一番楽しいのだから。
ヘルメス寮に帰ったら、ついでのように戻って来た左舷と右舷も加えて食堂で会議が始まった。ヒースについてどうするべきか? そんな当たり前に答えの決まった議題だったが、大きくはユリシスの情報を聞くためだ。
「さて、準備はいいかな。どうせ会議なんて言って俺の話を聞くのが中心だろうからさっそく始めさせてもらうけど……その前に、シェリア。お前にいくつか質問をしておかないといけない。大丈夫かな?」
「あっ、は、はい! ボクに答えられる事なら全部答えるよ!」
元気のいい返事に、ユリシスはうんと静かに頷く。
「実父は七年前に亡くなったそうだな」
「……うん。それから二年後に、さっきのヒースさんと再婚したんだ」
「つまりお前が実際のときってわけだ。その二年、母親は何を?」
思い出すと辛い。シェリアは静かに俯きながらぽつぽつ話す。
「働きながらお父さんの遺したお金で細々と暮らしてたよ。でもちょっと酒浸りだったかな。ボクを見向きもしなくなったのも、父さんが亡くなってからだよ。きっと寂しかったんだと思う。ボクでは、その穴を埋めきれない事も分かってた」
シェリアの父親は小さな料理店を経営していた。順風満帆で人気もある。最初こそ貧しい日々だったが、抜け出すまでに時間はかからなかった。当時、シェリアの母親は今のように無関心ではなかった。もっと愛してくれた。だから捨てられない。愛ある家庭だった頃を置き去りにはできない。
「……全部おかしくなったのは五年くらい前。大戦が終わった後、避難していた母さんにいつも優しく声を掛けてくれてたのがヒースさんだった。ボクは事情があって祖母のいる田舎にいたから詳しい事は分からないけど、ボクの事を話したらすごく会ってみたいって気に入ってくれたとか言って、段々距離が近くなって。再婚は好きにしたらいいと思う。でもね、ボクをいないみたいに母さんが扱うのが苦しくて、だから絶対に昔みたいな気持ちを取り戻すんだって気持ちで今は戦ってる」
いつの間にか家庭は歪んでしまった。シェリアの理想であった愛情に満ちた世界は崩れ落ちた。父親が死に、母親は誰かに依存したがった。我が子は縋るべき相手ではなく、また縋る事の出来ない相手だと知っていたから、母親の関心は娘ではなく赤の他人へと向いてしまった。
そうしてヒースが現れた。割り込んできた。大切な家を踏み荒らされた気がして、シェリアはいつも嫌っていた。特に何が悪いというわけではない。ヒース自身が自分のためを思ってくれていると思えるから我慢は出来た。ただ、それでも喧嘩は絶えなかった。その度に母親の心が離れていく事が、より苦しかった。
「ボクがきっと大魔導師になれば、母さんも考え方を少しは変えてくれる。まずは偉くならなくっちゃいけない。そう思って……」
「ああ、もういいよ。そこまで聞けてよかった。ごめんな、シェリア」
ユリシスはどうしたものかと片手に顔を覆って深いため息を吐く。
「辛い話をさせた。だけど、俺から伝えられる事は決して良い話じゃない。ここにいる者も全員、その覚悟をしてくれ。そしてシェリア、それを聞くかどうかはお前に委ねる。どんなに辛くても先へ進む覚悟はあるか?」
言葉を呑み込むのに時間が掛かった。どんな選択をしようともシェリアに待つのは辛い現実だけだ。そんな事はよく分かっている。だが、もう立ち止まるという選択肢はなかった。目の前には一本の道しかない。
「……聞く。聞きます。何があっても」
「そうか。じゃあ全員、騒がずに黙って聞いてくれ」
ごほん、とユリシスは重めの咳払いをして────。
「色々と情報を集めさせたところヒースはある事件に関わっていた。それを揉み消した奴が軍にいて、今は尋問の真っ最中だ。その事件なんだが────シェリア。ヒース・ジネットには、お前の本当の父親を殺害した疑いがある」




