第20話「我慢してるだけ」
これまでそうだったように、アデルハイトへの信頼は大きい。彼女の口から「なんとかする」と出てくれば、当然シェリアも二つ返事だ。サプライズだと内緒にされても嫌な気はひとつもしなかった。いつだってアデルハイトは自分を救ってくれる。手を差し伸べてくれる。優しく隣にいてくれる。年齢なんて関係ない。これが信頼するという事なのだと知るきっかけだ。だから答えは決まっていた。
「うん、じゃあ、楽しみにしてる」
「ああ。きっと良い日にしてあげるから」
「ありがと。ボクもまだまだ子供だね、ごめん」
我慢すべきときに、愚痴をこぼして、本音を言えば手を差し伸べてもらいたかったから言葉にした。卑怯なやり方で迷惑をかけたなと自分が嫌になる。
だが、アデルハイトはきょとんとして首を傾げながら。
「嫌な事を嫌と言ったら駄目なのか?」
「え……と、うん。ちょっと子供っぽすぎたかなって」
「なんだ、そんな事気にしてるなんて面白いな」
カップ片を新聞紙に包み、アデルハイトはくすくす笑う。
「大人は言わないんじゃなくて言えないんだよ、シェリア。わがままを言いたいときだってあるし、愚痴を零したいなんて毎日だ。だから許してくれる相手がいたら言った方が良い。無理に溜め込んだものはいつかお前を殺す毒になる」
「……うん。じゃあ、アデルハイトはボクを許してくれる?」
恐る恐る尋ねてみる。返ってくる答えは分かってるのに不安は湧いてくる。その全てをアデルハイトの言葉は爽やかな風のように心地よく消し去った。
「もちろん! 私たちは友達なんだから当然だ!」
ニカッと微笑まれて、不安などあっという間に幸福感に呑み込まれる。これがアデルハイトの魅力なのだと再確認して、ホッと胸をなでおろす。
「ふふ、ありがと。辛いときはボクを頼ってくれても良いからね」
「そのときはそうさせてもらうよ。……ところで阿修羅たちは?」
今朝からあまりにも寮が静かすぎて、気になっていた。意外にもやんちゃに見える阿修羅たちだが、生活習慣なのか午前六時にはバッチリ起きて庭でしっかり瞑想と拳と蹴りの素振りをするのが日課だ。
「あ~、それね。ボク今日会ったよ。ウィリー先輩のとこに行くんだって。どうしても鍛えて欲しいって言うから最近たまに会いに行ってるみたい」
「……ほお、あのウィリーが。殊勝な事だな。好きな女がいると違うのか」
「ちょっとそれ具体的に聞かせてくれる?」
ああ知らなかったんだっけ、とまずい事を口走ったのに気付いたときにはもう遅い。無邪気な少女のキラキラ輝く瞳を前にして口を噤む事はできなかった。
「(すまん、阿修羅。多分こいつ他の奴にも喋るかもしれん)」
口を割ったアデルハイトは猛烈な後悔に襲われつつも、シェリアが楽しそうなので今回は諦めてもらおう、と帰って来て阿修羅に殺される覚悟もする。
「いやあ……ふふ、そうかぁ。って事は阿修羅さんもウィリー先輩が好きっていってくれたの、まんざらでもない感じなんだろうね」
「かもな。交流と言う意味では最も良い形になったのかもしれない」
大陸の人間に対して阿修羅たちが好意的に捉えて帰れば、まだまだ未知の技術が大陸にも流れ込んでくる。未来の発展には欠かせない重要な相手となるだろうとアデルハイトには確信があった。
「アデルハイトはどうなの。ユリシスさんとは進展あったの?」
「ん……。いやあ、帝都の騒動以降はあまり時間も取れてなくて」
ヴィセンテ公爵として名高いユリシスは近衛隊としての業務だけでなく、軍の司令部においても中核となりつつあった。特にヨナスからの要請も強く、非常に重要な会議ともなれば半日掛けて行われる事もある。他にも各領地への視察などもあって王都にいる時間が少なくなっていた。
「そんなに会えなくて我慢できるの?」
「まぁ、忙しいのに私のために時間を割いてもらうのも悪いし。今が踏ん張り時だと思うと邪魔もしたくないんだ。どうせならゆっくり話したいから」
はあ~なるほど、とシェリアが感心して聞き入り、うんうん頷く。
「すごいなぁ、アデルハイトは。やっぱり大人なんだね、ボクだったら我慢できずに会いに行っちゃいそう。だって相思相愛なわけでしょ」
「……改めて言われると少し恥ずかしいな」
恋愛をしてもいいと語った日から、ユリシスは積極的なアプローチを心掛けた。たとえ忙しくても隙間に空いた時間があれば必ずアデルハイトに会って、その日に何があったのかを軽く話してから帰る。そんな日々。
そのうちアデルハイトも意識するようになり、今ではお互いに気持ちが寄り添っているものの、多忙を極める最近の状況で募っていく『会いたい』という想いを実感すればするほどに胸が高鳴った。
「こほん。まあ私の事はいいさ。そういうお前こそ、そろそろしっかり考えておかないとディアミドを他の誰かに取られるかもしれんぞ。あんな筋肉に支配されたような頭をしてても、私みたいな歳の子供がいるんだから」
「うっ……。そ、そうだよね……。でも相手にしてもらえるかな?」
自分みたいな子供が何を、と軽くあしらわれるのが怖い。ディアミドがずっとアデルハイトを見守ってきた事から母親であるエルハルトをいかに愛していたかも分かる。だから言わない方がいいのではとさえ思った。
「まあ、仮にフラれるとしても言わずに引き摺るよりいいんじゃないか? 選ばなかった後悔は納得もできるが、何もしなかった後悔は中々手強いぞ」
痛い所を突かれたとシェリアは、恥ずかしそうにヘヘッと笑う。
「う、うん、わかった! そうだね、へこむのはフラれてからにする!」
「ああ、その意気だ。……ま、大丈夫だとは思うが」




