第19話「保護者」
保護者役としての責任。そう言って、ローマンは授業参観への出席を表明した。元々何か用があるらしくリリオラどころかミトラにも殆ど必要な事以外の連絡を絶っており、姿を現したかと思えばその事だけを伝えてまた消えた。
あまりにも勢いだけで生きている気がして、ミトラはすぐにも忘れそうだったのを、寮にいた事でふいに思い出したのだった。
「え~、アタシたちの授業見に来るの?」
「オレたちがどう過ごしてるのかも少しは気になるんだと」
「ふうん……。あ、じゃあアデルちゃんの親とも会えるのね」
「お、そいつは気になるな。お前の親ってどんな人なんだ」
尋ねられて、アデルハイトは机に肘を突きながら嬉しそうに────。
「母さんは私が産まれたときに死んだらしいから知らない。でも父さんは良い人だよ。自由で、優しくて……。最近は忙しくて会えてないんだが」
ずっと見守ってくれていた本当の父親の背中を思い出す。頼りになったり、ならなかったり、そんな普通の父親で、友人のように付き合ってきた事は勿体ないと思ったりもする。ただ、その時間の全てが父親として接してくれていたのを知った今では、悪くない関係だったとも思えた。
「忙しいって、どんな仕事してんだ?」
「戦闘員の指導だよ。国民からの魔導部隊の支持が落ちてな」
帝国での人質奪還で参加した兵の数が異常に少なく、ヴィセンテ公爵が中核となったにも関わらず手柄は皇室と軍上層部が掌握しようとしたのもあって、反発した兵士たちが実情をうわさに流してしまった。
瞬く間に広がった噂は王国中に広まって国民からの非難は免れなかった。人質を、あまつさえ子供を救おうとしなかった事実に国民たちの反発は強く、そこで先んじて救助に向かっていたディアミドが、自身の失態を語りもしつつ、改めていちから出直すために自分に時間が欲しいと誠意に訴えた。
その後、作戦に参加したキャンディスらが公に支持を表明すると世論は風向きを変え、ディアミドも朝から晩まで容赦なく熱血指導にあたっていた。
「じゃあ寂しいわね、アデルちゃん」
「別に……いや、うん。やっぱり少し寂しいかな」
脳裏に見える爽快な笑顔。温かく活気のある声。親子なのになかなか会えない環境は、ほんの少しだけ残念だった。
「来てくれるといいわねえ」
「いや、便宜上はユリシスが来ることになっていて……」
「……? 父親でもない人が来るの? 参観に?」
「そうじゃなくて、ユリシスはこう、事情があって学園では父親役というか」
「じゃあ父親が二人も見に来るって事よね。うわ、なにそれ複雑」
そこまで複雑でもないのだが、事情が事情なだけにそこまで語れる事もない。胸になんともいえないもどかしさが渦巻いたが、アデルハイトはぐっと堪えた。
「まあいいじゃねえかよ。見に来てくれるだけ嬉しいじゃねえか。親がいねえと周りからも馬鹿にされんだろ? そういう困った連中ってのは人間も魔界も変わんねえな。親がいねえ奴ってのは可哀そうなもんだ」
そんな世間話をしていると、がちゃんと何かが割れる音がして全員が振り向く。床には無情にもばらばらに砕け散ったマグカップがコーヒーを涙に沈黙する。持ち主はシェリアで、彼女はとても苦い顔つきだった。
「……親が来ないってそんなに悪い事なのかな」
シェリアが砕けたマグカップの破片を拾う。アデルハイトもすぐに手伝いに駆け寄り、破片を一緒になって拾い始めた。
「すまない。気分を害させるつもりはなかった」
「いいよ、別に。ボクも来て欲しいと思ってないから」
くすっと笑う。もちろん不快ではなかったと言えば嘘になるが、どうせ来ても喧嘩するのは目に見えている。きちんと顔を合わせるのは今じゃない、と。
「あ、あら~。ごめんなさいね、アタシたちは邪魔っぽいから行きましょ! そういえばお出かけの予定あったし! ね、ミトラ!」
「え? オレそんなの聞いてない……あ、ちょっと引っ張るなって」
ばつの悪い気分から逃れるためにリリオラは慌ててミトラを連れて食堂をあとにする。今は割れたカップが、かちゃかちゃと一か所に集められる音だけが響く。アデルハイトも段々申し訳なくなった。
「ほうきとちりとりを取ってくるよ」
「……ねえ、アデルハイト。多分来ると思うんだ、あの人」
「ん? あの人って、あぁ、例の父親が……」
「父親とも思いたくないけど。書類上はそうなるのかな」
相変わらず仲は悪い。たまに手紙が来るが、シェリアは全て破いて捨てていた。偽りの感情に流されるのがいやだったから。
「あの人は未だにボクとの関係が良くなる事を望んでる。ボクらは家に帰らないから、そういう行事は直接連絡があるらしいんだ。絶対来るんだろうなって。……それがすごく嫌なんだ。ボクは来て欲しくない」
結局は他人だ。なにひとつ気も合わない。会いに来られても嬉しくないし、また強く言って追い返すのが目に見えている。本人にはそのつもりはないとしても酷くうんざりした様子なので、アデルハイトも流石に声の掛け方が分からなかった。
「そういえば、ボクはともかく阿修羅さんはどうするんだろ。あの人、保護者いないよね。授業参観で回りに何か言われたら心配だなぁ」
シェリアの言葉に続けて、周りが、と言いたくなってぐっと呑み込む。
「まあ、問題ないだろう。元々留学生として来ているし、かなり遠い島国からだから来てくれる方が珍しいって誰でも思うさ」
ふと。アデルハイトは名案を思い付いたと手をぽんと叩く。
「そうだ。それなら話は戻るが、私がなんとかしてやろう」
「……なんとかするって、アデルハイトが? どうやって?」
「ふふん。それは……うむ、サプライズにしよう」




