第14話「私情は後にして」
王都は非常に広く、人口の殆どが集中するために住んでいる人々でさえ自分たちの生活圏内でなければまるで詳しくない。網羅しているのは商売人くらいなものだ。特に学生の間は寮生活で学園の敷地から出る事がまずないため道に迷いやすく、地図は必須アイテムだと言われている。
────だが、カイラは違った。王都に来て一ヶ月で危険な場所以外の全てを頭の中に地図にして叩き込んでおり、裏道にも詳しかった。
「ここからだと歩いてすぐだよ。私の家はラニカ通りのあたりだから」
「おや、カイラちゃんはラニカ通りに住んでるのですね」
「先生もですか。住みやすいですよね、あのあたりは治安も良いし」
案内しながら楽しそうに話すのをアデルハイトは少し羨ましそうに眺める。王都の中を転々としてきたものの、貧民街と司令部を行き来するだけで、滅多と町は出歩かなかった。叔父に会うのが嫌で嫌で仕方なかったから、もしどこかで顔を合わせてしまったらどうなるのか、と不安だった。
「なあ、シェリア。お前はラニカ通りには行ったことあるのか」
「ううん。ボクの家とは反対の道だし、あっちは高級品ばかり取り扱ってるから庶民にはまず縁がないもん。アデルハイトはどうなの?」
フッ、と笑って肩を竦めた。行くわけがない。
「私は中級魔導師として務めていたしな。立場は大魔導師相当のものを与えてもらってたが、公平性を保つのに給与は相応なものだったからな。ルシルを訪ねたときに初めて行ったくらいだよ。それに、誰にも邪魔されずに魔法の研究をしたかったから貯金するのに必死で、あまり高級品には縁がなかったというか」
ただただ穏便に、静かに暮らして、自分の持てる全てを誰かに託す事で、安寧の暮らしを手に入れたかった。怖いと思うものがない自由な日々を。
「未だにときどき怖いよ。こうして歩いてたら会うんじゃないかって。そりゃあ、今は喧嘩したって勝てるだろうけど……記憶にこびりついた恐怖を相手に戦うのは簡単じゃない。疼くんだよな、全身の傷痕が」
何気ない話のつもりだったが、シェリアとリリオラが聞いていてとても気まずそうな顔をするので「申し訳ない、つまらない話を」とひと言謝ると、二人は慌ててアデルハイトにそんな事はない、驚いただけだと引き攣った笑顔で釈明した。
「リリオラはどうなんだ。あまり明るい話ではないだろうが、私たちも少しはお前たちの事が知りたい。魔界は……その、やはり生存競争が?」
「そりゃもう激アツ。弱いうちは特にね。アタシは本当に弱かったわ」
思い出すだけでもゾッとして身震いする。蝙蝠の姿をした魔物として生まれ、戦う能力自体は高くないものの生存のための知恵に長けていた。
「アタシがまだ人型じゃなかった頃、この探知能力を使って自分が手に負えない相手からは逃げて、鈍感な魔物から血を吸って生きてきた。ときには命の危機に晒された事もあったわ。でも、そうやって少しずつ自分を強くしていった」
ときには自分より弱い者、あるいは同等に近い者を喰い殺した。運が良ければ、多少強かろうと不意討ちで仕留められた。手に負えない相手からはとにかく逃げて、争っている傍で血を啜った事もある。
「地道だったけど、そのおかげでアタシはこうして魔族になり、魔将と呼ばれるほどの強さになったの。……それでも未だに虐げられてるけどね」
「お前ほどの猛者が虐げられる? 他の魔将に?」
悲しい表情を浮かべて俯き、消え入りそうな声で「うん」と零す。魔将としては日も浅いと言えるリリオラ相手に同胞だからという理由で殺さないでいるだけの魔族がいる。それが、彼女はとても悲しくて仕方なかった。
「エースバルトは本当に凶暴なの。そこいらの龍とはわけが違う、本物のドラゴンロード。アイツに勝つにはローマンくらいの強さがないと。今の阿修羅ちゃんだったら分かんないかなって感じ」
「……そんなのがこっちに来ない事を祈るよ」
止められる人間が限られている敵など、厄介極まりない。ローマンが止めに入ったとして、どれほどの戦いになるかを想像したくもなかった。
「みんな、楽しそうに話してるところ悪いんだけど到着したよ。ここが私の家。ケンドール家の自慢の住まいさ!」
全員、大きな格子門を見上げた。向こうに見える邸宅に沈黙する。
「やあやあ。なんだい、ぞろぞろと? もう私が恋しくなったのか?」
広い庭でポータルを開く準備のため、魔力の消費を抑える魔道具を箱いっぱいに抱えて歩いていたアンニッキが足を止めて微笑む。いつもより楽しそうだ。
「悪いな、アンニッキ。実は少し頼みたい事があって」
「ん。君から頼み事とは珍しい……待て、そっちのは何でここにいる?」
指をぱちんと鳴らすと門が勝手に開いていくが、表情は不満げにリリオラを睨む。そこにいてはならない存在のはずだと敵意を見せた。
「私の娘が命の危険に晒されたのは覚えてるはずだ、アデル」
「それはコイツがやった事じゃないだろう」
「だがあの男と同じ魔族じゃないか。優しくしろという方が無理だ」
明確な拒絶を向けられて困るアデルハイトの前に、リリオラが立った。
「……なんだい、君は。まさか私に謝るつもりでも?」
「分かってる。許してもらいたいなんて言わない」
なんなんだこいつは、とアンニッキが舌打ちをする。
「だったらなんのために私の前に立ったのか分からないな。どのみち、娘が君を許したとしても私は親として君を許すわけにはいかない」
「復讐なら全部終わってからいくらでも受けてあげる。首だって差し出す。でも、今は私たちに協力して。自分の国のために戦った人まで蔑ろにする気?」
ぴくっ、と反応する。多くの人間の命などアンニッキにとってはどうでもいい。だがリリオラが話す後ろでアデルハイトが頷いたのを見て、おそらく自分の知り合いでもあるのだろうと察して肩を落とす。
「仕方ないな。聞くだけだよ、聞くだけ」
「すまないな、アンニッキ。どうしても北部に行かねばならなくて」
「北部って聖都にかい? 人命が掛かってるって感じに思ってたけど」
「人命が掛かってるとも。────ワイアットを見つけに行く当てが出来た」
「……! 死んだんじゃなかったのか……!?」
すかさずそこへルシルが割って入り、ぎゅっと手を組んで懇願した。
「夫の遺体はまだ見つかっていないんです。派遣された調査隊からの虚偽報告で、実際のところは行方不明と。このリリオラちゃんなら見つけられるんです!」
時間との勝負なのだとアンニッキも納得するしかない。もう既に数か月以上も過ぎているが、見つかっていないのであれば可能性は十分にあった。
「……はあ、もう。分かった分かった。事情は理解できた。ワイアットの事なら娘も世話になってたし協力するよ。そこの魔族は気に入らないが、まあ、アデルの言葉にも一理ある。私が殺したいとしたら、あの片眼鏡の男の方だ。そのうち会わせてくれるって言うなら十分さ」




