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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第三章

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第9話「決闘の約束」

 命の恩人であり、心の底から敬愛を抱いた人。それがまさか阿修羅だったとは夢にも思わない。しかし現実は間違いなく阿修羅がその人であると示し、ウィリーの心臓は緊張と興奮でばくばくと急いで鳴った。


「ま、わちきはぬしの趣味には合わんはずじゃがのう」


「それはえっと……! ごめん、あれは俺が悪かった……!」


「カッカッカ! 冗談、冗談。愛い奴よ」


 しゅしゅしゅ、と(しぼ)むように阿修羅の体が小さくなっていく。戸惑いがちに俯いて反省する、しょげた子犬もかくやのウィリーの額を指でコツン、と軽く弾いて、阿修羅はニカッと笑った。


「実にマヌケじゃった。しかし、ぬしを蔑んだりはせぬ。もっと胸を張って生きよ。今よりずっと強い男になれたなら、そのときは考えてやる」


 弾かれた額を両手で押さえながら、年相応の若くて初々しい顔つきになったウィリーが、とても恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めた。


「おい、入ってもいいか?」


 壁をこんこんこん、と叩いてミトラがジト目を向ける。


「ったく、甘酸っぱい青春の記憶……ってか。まあオレには関係ねえや。それよりもここへ来る前に、お前らを探してる奴と会ってよ」


「ん? 私たちにか?」


 ミトラに呼ばれて、相変わらずの仏頂面を晒して入って来たのはヨナスだった。一瞬だけ我が子に向けた視線が侮蔑であった事を除けば、アデルハイトにとってはさしたる問題にするほどの態度でもなかった。


「久しぶりだな。ヘルメス寮まで顔を出したのだが、こちらに出向いていると聞いて。その後、身体の調子はどうかね?」


 一時的な魔力の器としての変化という新たなる病の症状としてヴィセンテ公爵の専属医師から聞いていたヨナスは、それなりにアデルハイトのおかしな体調を気にした。彼女ほど優秀な魔導師を失うのは惜しい、と。


「問題ない。……ところで、我が子への挨拶はないのか?」


 重い空気の中、ヨナスはまた横目に息子を見て、冷たく言い放った。


「あの出来損ないに挨拶する理由があるのか」


 憎しむような目にウィリーがビクッとして縮こまる。


「あれはソードマスターにもなれなければ、大魔導師の素質もない。ジュールスタンの品格に合わず、好き勝手をしてきた。いまさら何も期待できない」


「最初からしてないくせによう言うたのう」


 阿修羅がずいっとヨナスの前に出て対抗した。


「実力主義のぬしが、出来の良い跡継ぎ一人を溺愛するのは分かる。しかし、かといってこれまでウィリーを捨て置いてきたくせに、いまさらも何もなかろう。────たかが大魔導師風情(・・・・・・・・・)では慧眼もなかろうが」


 煽られてヨナスも売り言葉に買い言葉で強く返す。


「帝都で戦果を挙げた事は称えよう。だが侮辱するのであれば話は別だ。何も知らぬ異国の小娘風情が私に偉そうな口を利くな。帝都で行われたのはチームによる作戦だ。お前ひとりの功績などたかが知れている」


 帝都制圧作戦などネヴァンを押さえたアデルハイトが最もな功労者であり、いかな有象無象を倒したとしても阿修羅が立派だとは言い難い。ただ他の者よりいくらか抜きんでていただけだとヨナスは評する。


 しかし、それは実際に戦場を見ていない者の言葉だ。阿修羅が頭に来たのは、そんなヨナスの横柄な態度ではなく、自分を弱いと評価した事だった。


「何を考えているか分からんが態度は改めた方がいい。遠方の国から学びを得ようと来た勤勉さは評価に値するが、相手くらいは────」


「選ぶかよ、てめえ如きにわちきがよ」


 報告書にはない。アデルハイトの交戦したネヴァンについては伝えられたものの、その後に現れた真なる脅威については、一切触れなかった。というのも対抗策がそもそも人類側にはほぼなく、下手に不安を煽るような状況ではないと一旦は見過ごしたからだ。まさか当人たちが友好的な部類とは思いもよらなかったが。


 だからこそヨナスは知らないのだ。阿修羅がいかほどの強者であるかを。


「決闘でもしてやろうか、小娘。遊び相手くらいはしてやれるだろう」


「ハッ、わちきに負けて吠え面掻くんじゃねえぞ」


「下らん。そのときになれば分かる事だ。それでは失礼するよ、まだ仕事が残ってる。夕方になったら、司令部の地下訓練場まで来るといい。そこで相手をしてやろう」


 最悪の気分だと言いながらヨナスが去っていく。阿修羅は舌をべっと出して嘲り、心底うんざりしたと腕を組んでふんっ、と鼻を鳴らす。


「まったくお前という奴は……。ミトラ、悪かったな」


「いやあ、オレは面白いものが見れたからいいよ」


 あんな意地の悪い人間もいたものだとミトラはけらけら笑った。


「んでも、どうすんだよ。アイツは雑魚だしどうでもいいけど、こっちは重症に見えるぜ。自分の親に会ったってのにビビっちまってる」


「わかっとる。何も考えなしに喧嘩を吹っ掛けたわけではない」


 青ざめているウィリーの前に立ち、臆病なうさぎのように縮こまっている姿を見つめて「何を意気消沈しとる、愚か者」と一喝した。慰めるでもなく、情けないと蔑むわけでもなく、阿修羅はきっぱり言った。


「あのクソ親父をわちきがぶちのめしてやる。じゃから、ぬしもいつまでもウジウジせずに魔導師を目指してみんかい、小僧!」


「で、でも……やめとけって、親父は本当に強いんだ……」


 王国における全魔導師の頂点。大英雄であったエンリケの亡き今、彼の右に出る者はいないと言われている。事実、これまで魔物討伐で掠り傷さえ負ってこなかったほどの実力者だ。ヴィセンテ公爵家よりも貴族たちからの支持を集め、魔導師たちからは憧れの的。ジュールスタンはこれまでの家名を背負ってきた誰よりも気高く、実力主義で、逆らえる者は誰もいなかった。


 だからこそ横暴に振舞う事もなかったし、策略を巡らせる必要もない。ただひたすらに軍を支える最高指導者としての魔導師であった。


「俺が好き勝手に振舞ったのも、兄貴と比べられるのが嫌だったし、才能がない事は自分でも分かってるんだ。期待もされてない。何をしたって空気みたいに扱われて、だったら迷惑のひとつでもかけてやるかって……でも、やっぱり会うと怖いよ。公爵家の盾がなかったら、俺はただの臆病者なんだ。それでいいんだ」


 惚れた相手が怪我をするところは見たくない。そんな可愛い青年の言葉に阿修羅は困ったように笑って、肩をぽんと叩く。


「では約束じゃ。わちきは掠り傷さえ負わぬと誓おう。────フソウの国が首長、六天魔阿修羅の誇りに掛けて、ぬしに恥のひとつも晒さぬであろう」

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