第二章─エピローグ─『昏き者たち②』
ローマンが連れて行った先は、城内の最上階。基本的には誰も立ち入る事のできない部屋がある。まだ魔族になって浅いリリオラは近付いた事さえない。大きな石造りの二枚扉は簡単に開けられるものではなく、押してもビクともしない。
ただの石ではなく超高密度の魔力が込められており、通常の千倍以上の頑丈さと重量を持っている。だが開けるために必要な手順さえ踏めば簡単に開く。知っているのはローマンの他にふたりだけ。エースバルトも知らないのだ。
「ねえ、この扉……んぎぎぎぎ……!」
「力技で押し開けるものではないよ、リリオラ。見てなさい」
ローマンが扉に指を触れ、魔力を流す。扉に込められた魔力が反発すると指を離して、今度は大きな手をぺったりと触れさせて、そっと押す。
「この扉は他の魔力に反応を示して弾こうとするのだが、その瞬間だけ密度の高い魔力に揺れが生じて扉の重さが僅かな間だけ軽くなるのだよ。だが、その揺れを生じさせるために多くの魔力を一度に注ぐと反発も強くなり、こちらの身が危うくなる。だから最初に少しだけ注いで、反発して弱まったところに大きく注ぐと、その間は自由に開閉ができる。覚えておきなさい、いずれは君が使うかもしれんのだ」
「めんどくさ……。そんな事してまで何しに来たのよ、こんな部屋……」
入った瞬間、全身が凍りつくような殺気が溢れて身動きが取れなくなる。思わずローマンを見ると、彼はいつもの涼し気な表情のままだった。
「おや、そうか。会うのは初めてだったかね? スカウトは私の仕事だったから無理もない。忘れていたよ、一度は会わせるという約束だったのだが」
手を握られてやっと落ち着き、二人揃って部屋に入る。だだっ広く篝火が並んで立ち、赤い絨毯がまっすぐ延びている先に仰々しい玉座があった。
「来るの遅かったじゃない、ローマンちゃん。おじさん、干からびちゃうかと思ったよ。あんたよりまだ若いってのに」
「そう言ってくれるな、メルカルト。我らが星に娘を紹介したくてね」
ぼさぼさの黒髪に無精ひげの男が玉座をほしいままにしている姿に、リリオラはきょとんとする。こんなやぼったい服までくたびれた男が? そんな不思議な気分に駆られていると、視線に気づいたメルカルトがニカッと笑う。
「いいね、こういう子は大歓迎だ。ローマンちゃん、随分と大切にしてるんだなあ。人間に迎合する生意気な奴なのに」
また殺気が放たれる。冷たい眼差しにリリオラが恐怖心で膝を突く。全身をガタガタと震えさせ、呼吸もままならない。冷や汗がどっと噴き出す。
ローマンが庇って前に立った。
「冗談でも新入りにそういうのはやめたまえ」
「あは、ごめんごめん。興味本位だったんだ」
玉座から立ちあがったメルカルトがリリオラの前に屈む。
「悪かったね。別に僕も人間が嫌いなわけじゃない。だからローマン、あんたには注意しなくちゃならない。交渉の仕方ってモンがあるだろ?」
「時間があれば納得はさせられた。門が不安定だったのが悪かった」
大して悪びれもしないローマンに、メルカルトは小声で「本当に嫌な爺さんだよね」とリリオラに言っておおげさに肩を竦めた。それからまた玉座に戻ってどっかり腰を下ろして、ひじ掛けに頬杖を突く。
「人間の技術や資源ってのは彼らしか持たないんだからさ……。敵対しちゃマズいよ、今は。なんでも手に入れてからの方が安心じゃない」
「それが、どうしても仲良く共存の道を探したいという者がいてね」
ビクッとリリオラが身を跳ねさせる。今ここで言うのかと恨むような視線を送るのをメルカルトが盛大に腹を抱えて笑った。
「あっはっはっは! そりゃあいいけど、どうやって。統制の利かない魔物や魔族。そのうえ人間の僕らに対する印象は最悪だ。逆も然り、僕たちだって彼らを良いようには思わない。新入りちゃんはどう考えるんだい?」
問いを投げられて、リリオラは真剣な顔で考え込む。
「……わかんない。アタシは仲良くできそうって思ったもん」
「ははは、じゃあ仲良くできる機会をあげよう。門を開きたいんだろ」
「えっ、開き方分かるの? 今までずっと開けられなかったのに……?」
「まあ開けられない事もないよ、時間さえ貰えれば。二ヶ月くらい」
構造は石の扉と似ているとメルカルトは言う。ただし性質で言えば魔界の扉を閉ざす封印の方が遥かに厄介なものだ。受けた魔力を吸収してしまうので、それを超える威力で破壊するしかない。弱まった今ならと試したが、想像以上に人間の創り上げた魔法は質の高いものだったとメルカルトも認めた。そのうえで二ヶ月。たった二ヶ月あればこじ開けられると明言した。
「それじゃあ今までなんでやらなかったのよ?」
「単純なモノじゃないのさ、アレ。無理に開けるのは僕でも結構な消耗がある。だから時間を掛けて開ける方法を探しているところなんだ」
今の段階では開けられても十数分。しかも閉じてしまえば、また開けるのに膨大なエネルギーを要する。毎回そんな手段で開けていては負担なだけだ。だから安全に開く方法を探していた。
「人間ってのも決して弱くない。だから五年前、魔物を率いた魔族は負けたんだ。どうせ勝つだろうと思って静観していたら、この有様だよ。ま、時間はいくらでもあるからいいんだけど……君は急いで向こうに行きたいんだろ?」
「絶対に仲良くしてみせるわ。魔界の事も含めて理解してもらわないと」
共存の道など楽なものではない。人間同士ですらいがみ合い、生きるために殺し合う。これまで対立してきた異種族であればなおさらだ。リリオラの希望に満ち溢れた瞳は、荒んだ心にはあまりに眩しい。
「……わかった。開けるときは君を呼ぼう。その代わりにしてほしい事があるんだけど、頼まれてくれるかい?────ミトラを連れて行って欲しいんだ」




