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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第二章

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第二章─エピローグ─『昏き者たち①』

────誰も知らない、遠い場所。暗く淀んだ月だけが昇る世界。人間はそれを魔界と呼び、邪悪な者たちはその場所を恐怖の荒れ地と呼んだ。


 荒れた大地には草木など生えていない。水さえ流れていない。あるのは枯れて命尽き果てた木々と人間の世界から持ち込まれた使い方も分からないものばかり。ごつごつした岩の山脈は、そんな荒れ地の中でもひときわ怖ろしい場所だ。選ばれた魔物、あるいは魔族だけが、そこで生きる事を許される弱肉強食の世界。


 毎日のように悲鳴と絶叫がこだまする地で、普段とは違う物々しい雰囲気が、多くの魔物たちを震え上がらせた。切り拓かれた山脈に建つ巨大な城。使い方はよく分からずとも人間の建物を模倣した事で、魔族にとっては快適な建造物。その城の前で、ひとりの魔族がひたすらに甚振られていた。


「だから言ったよなァ、俺が行くってよ。なのに、わざわざ出張って来たメルカルトが行かせてやれって言うから見逃したんだろうが。なぁ、リリオラ!? 一匹も殺して来ねえとはどういうつもりだ、この役立たずの蝙蝠女が!」


 傷だらけで、片翼を引き千切られて倒れるリリオラを蹴りつける男がいる。頭部には歪な曲線を描きながら空を刺すような太く鋭い双角を持つ。龍の如き鋭い銀灰色の瞳が殺意を込めてリリオラを冷たく睨む。


「ぐ……う……! だって、ヴィンスは交流してこいって……!」


「生意気ほざいてんじゃねえぞ、コラァ! 誰に物言ってやがる!?」


 何度も、何度も、何度も。執拗に踏んで蹴りつけ、痛がるリリオラに遠慮もない。ぐったりして動かないにも関わらず、その腕を掴んで肩を足で押さえながら引き千切ろうとするのをローマンが止めた。


「執拗がすぎるのではないかね、エースバルト」


「ローマン。てめえはコイツを甘やかしすぎなんだよ」


「だからといって同胞を必要以上に痛めつける理由にはならない」


「てめえも同罪だろうが、人間界へ降りただけのカス野郎が!」


 阻止された事に腹を立ててリリオラを蹴り飛ばす。ずいっと威嚇するようにローマンの前に出たが、相変わらず櫛で髪を梳いて気にも留めない。


「喧嘩なら買うとも。これ以上の横暴は貴様とて許さんぞ、エースバルト。龍種であるからといって、私に本気で勝てるとでも思っているのかね」


 睨み合い、先に視線を逸らしたのはエースバルトだった。


「ちっ……。相性の悪いてめえに喧嘩売るほど馬鹿じゃねえ。だがリリオラに次はねえ。ヘマやらかしたら今度こそズタズタにしてやる!」


「そうはいかんさ。リリオラは私のお気に入りだ、我が子のようにね」


 櫛をベストの胸ポケットにしまい込み、ふん、と呆れて背を向ける。


「悔しければ我らが星にでも相談してみる事だ。あるいは自分の手で門を開くか……。許可なくそんな事をしたら無事では済むまいが」


「下らねえ。だったら許可なんぞ要らねえよ。そのうち門をこじ開けて、片っ端から人間共を食い殺してやる。どっちが正しいかは分かるだろうぜ」


 くしゃくしゃの頭をがりがりと掻いて、気に入らなさそうにエースバルトは瞬時に姿を消してどこかへ行った。ローマンは倒れているリリオラの前に立ち、ひとつ落ち着いたかとジッと見下ろす。


「立てるかね、リリオラ」


「……うん。ねえ、アタシ間違ってるの?」


「何が」


「人間を好きになっちゃいけない?」


「別に。それは君の決める事だよ。私ではない」


「でも、あなたも下等生物って呼ぶじゃない」


 ふらふらとなんかとか座るまでは回復したリリオラが、恨めしさを込めてローマンを見る。助けてくれなかったからではなく、彼もまた人間を突き放す側の魔族で、相いれないかもしれないと思っているからだ。


「……さて、どうかな。少なくとも私は彼らを下等生物と思っている。だがひとつ訂正するのなら、指で触れるだけで簡単に潰れてしまう生き物は私にとって何もかもがそうであるとも。それで、君の選択はどちらだ?」


 どんな選択をしようともローマンは軽蔑しない。そもそも、どちら側であるか(・・・・・・・・)を深く考えていないのだ。だから、なんとなくリリオラに尋ねてみた。人間が好きだという彼女が、人間と魔族のどちらを選ぶのか。


「どっちもがいい。アタシは人間でも魔族でも魔物でも、自分を大切にしてくれるファンの皆と一緒にいたい。それがアイドルってものだって、会った子が言ってたの。社交界では目立てなくても皆に声を届けるアイドルに、って」


「……その人間は死んだのだろう? 魔界の中で生きていけるはずもない」


 握りしめた拳を地面に叩きつけてリリオラが叫んだ。


「それでもアタシは信じてみたいの! 人間と魔族が仲良くできる未来があるって、魔物だって生きていけるって、その懸け橋になってみたいの!」


「死んだ人間との約束とやらかね、殊勝な事だ。ではついてきたまえ」


 くるっと背中を向けられたのに対してリリオラが頬を膨らませた。


「こっちは怪我してんのよ、怪我! 背負ってよね!」


「君のアイドルとやらに対する精神が怪我如きで潰れるものとは」


「……~~~ッ! わかったわかった、行けばいいんでしょ!」


 服はボロボロだが、すっかり傷は癒えている。魔族は人間と違って治療魔法のようなものは一切使えないが、その自然な治癒力は異常とも言える速度で傷を塞ぐ。どれだけ深く大きな傷でも痕跡さえ残さない。元気になったリリオラは少し恥ずかしそうにしながらすくっと立ちあがった。


「それでどこ行くのよ?」


「うむ、少々直談判に」

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