第58話「小さくても大きな背中」
既に今は、帝都の中央広場で陣営の如何に関わらず互いに称えながら食事を摂っている光景が目に映った。兵士たちは大勢で歌って踊り、王国の魔導師たちをもてなす。敵として殺し合ったとは思えない和気藹々とした雰囲気だ。
「いよォし! 此処は俺がイッパツ歌っとくか!」
「やめなさいな、マキシム。あんた下手なんだから」
「ンな事言うなよギルダ! 泣けるぜ……!」
残念ながら格好だけで、マキシムは歌が下手だ。ただ、とても好きなだけ。周囲からしてみれば大音量のマイクで叫ばれるので迷惑なのだ。しかし、そんなやり取りも普段の事なのか、皆が楽しそうに見えた。
「カイラ、ほら、こっちのシチューの方がお肉がいっぱいだ。交換しよう」
「お母さん、あんまり好きじゃないからって押し付けないでくれない……?」
嫌そうな顔をするカイラに、アンニッキは娘が誘拐された事もあってか、放っておけずにずっと傍にくっついている。親鳥と雛が逆転しているようだとアデルハイトはくすっとして、シェリアが配給のシチューをもらってくるのを噴水の縁に座って、ぼんやり待った。
「隣。よろしいですか、アデルハイト様」
「……エステファニア。目を覚ましてたのか」
「ええ、少し前に。まだ食欲は湧いてきませんが」
「座りなさい。私に何か話があるんだろう?」
眉尻を下げて微笑むエステファニアが、そっと腰掛けて広場の景色を眺めながら、喧騒の中でアデルハイトに謝罪の言葉を口にした。
「申し訳ありません。全ては私の失態が招いた事です」
「何があったんだ。お前があんな連中に捕まるとは思えなかったが」
実力から考えればエステファニアの方が遥かに強い。皇帝でもなければ止められないはずの聖女が、なぜあっさりと捕まってしまったのか、ずっと疑問だった。真相をエステファニアは単純なものだと言った。
「エンリケと手を切ったとき、彼は帝国と手を組んだのでしょう。私の聖力が信仰を弱めてしまって。聖都に忍び込んでいた帝国人が『聖女は人を殺めた』と、聖都に疑心暗鬼を振りまいたのです」
揺らいだ信仰心は聖都の護りを弱めてしまい、帝国軍の侵入を許す結果となった。とはいえ四英雄の中でも最強のエステファニアは聖力に頼らずとも十分が過ぎる戦闘能力を発揮して帝国軍を押し返す勢いがあった。
残念ながら、それだけの強さを以てしても全ての人間を救えるには至らず、人質を取られた瞬間に聖女として『民を見捨てる事はできない』という誓いを破れないまま自身が帝国の手に堕ちる事で聖都の人々の命を保証させた。
「……すみません。聖都の人間は助かったようですが、王国軍から救援に来て頂いた魔導師たちは壊滅したとアンニッキ様から聞きました」
「ああ。その中には私の友人もいたよ。無事に帰って来て欲しかった」
落ち込むエステファニアをフフッと笑って、背中をぽんぽん叩く。
「冗談だよ。戦場なんてそんなものだろう? 気に病む事はない。お前はお前に出来る事をしたんだから。それより、お前に尋ねたい事が」
「なんでしょう? 知り得る事ならばお伝えしますけれど」
脳裏に焼き付いた、強大な敵の存在。魔界の扉を封印したのであれば、多少の情報はあるかもしれないとアデルハイトは望みを抱いて尋ねる。
「私たちは魔族と名乗る連中に敗れた。奴らについて何か知ってる事はないか。私はもう戦えないらしいが、せめて情報くらいは集めてやりたくて」
エステファニアは考え込んで、首を横に振った。
「申し訳ありません。既に尋ねられた話で答えようもないのです。私たちのときにも確かに魔族はいたのですが、聞いた話よりもっと獣的な……。知性はありましたが、荒々しい魔族の本能的な性格はそのままだったとも言えます。理性的な行動を取ったなんて、とても信じられません」
魔物を超越した存在こそが魔族である事は間違いない。魔界の扉を封印する直前にも、魔族と名乗る者たちを相手にした。だが、アデルハイトが押されるほどの敵だったかと言われれば、エステファニアの記憶では『ありえない』が正解だ。どう考えても勝てる相手。だからこそ自分たちでもやれたと思っている。
「そうか、ありがとう。教えてくれて助かったよ」
「いえ、そんな……。私たちのせいで封印が解かれたようなものです。この程度では謝罪にさえならないと分かっていますから」
エンリケやジルベルトが死んだ事で封印自体は弱まったものの、彼らの役割はいわば扉を縛る鎖と錠だ。死んだとしても残り続ける術だが、問題はエステファニアが鍵の役割を持っていた事だった。
帝国軍に捕らえられて殺されたとき、ゴーヴの呪術によって開錠の手段を知られてしまった。なぜ目的が魔界への道を再び繋ぐ事だったのかは分からない。だが、おそらくは呪術によって帝国の地位を盤石なものにするための力を得るためであったのだろう、とエステファニアの話からアデルハイトが結論付けた。
「今は封印はどうなっている? また開きそうか?」
「機能しています。私が生き返ったのもそうですけど、なによりキャンディスがいるおかげで、解放が不完全な状態だったので時間も限られていたのでしょう。あちら側に干渉する手段があれば、話は変わってきますが」
ローマンが領域魔法を外側から干渉して破壊するといった離れ業を見せた以上、決して見過ごせない話ではある。相手が知性を持つのであれば時間の問題だ。やはり何かしらの対策を講じなければならないか、とアデルハイトは考え込む。
「新しく封印を張り直す事は出来ないのか?」
残念ながら、とエステファニアはかぶりを振った。
「解いてからでなくては新しく張り直すのは不可能です。直接的な魔法の干渉を弾くように出来ていますので、重ね掛けしようとすると魔力を吸収してしまうんです。だから時間が経つと後から張ったものが消滅する仕組みでして」
結界を破壊しようとする輩を排するための仕掛けが裏目に出るとは考えていなかった。エンリケやジルベルトが死ぬ事など夢にも思わなかったから。
「……ごめんなさい、お師匠様。あなたの言う通り、私たちは何かを得るどころか、全てを失ったも同然です。最初は謝る気なんてないと言いましたけれど、強がりすぎたと、いまさら後悔しています」
「いいよ、別に。……よいしょっと」
立ちあがって、身体を反らして腰を伸ばす。
「今日は疲れたが悪くない日だった。聖都に帰ったらしっかり誤解を解いておけ。聖女は信仰する者たちにとって大切な存在だ。いつまでも不安にさせるな」
戻って来たシェリアを迎えに行くアデルハイトの背中は、小さくともやはり師匠らしい大きなものだと感じて、懐かしさに笑みが零れた。
「やはりお師匠様らしいですね。もっと怒ってもいいのに……ふふっ」




