第56話「こんなにも悔しいなんて」
残酷で厳しい現実。ひとつの奇跡があるとしたら、それは賢者の石を偶然にも手に入れていた事だ。ズタズタの肉体がなんとか形を保っている状態。罅割れた魔力の器から常に魔力が漏れているため、アデルハイト自身の力では既に魔力を蓄えるには至らない。だから賢者の石が〝体裁を保っている〟に過ぎず、その絶大な力を失う事があれば、たちまち人の形など保てるはずもなく崩壊へ向かう。
「……そうか。そう、なんだな。私は……もう死んでいるのか……」
ずっとおかしいと思っていた。いくら訓練しても魔力の扱いが上達するばかりで、本来であれば大きく魔力を溜める事さえ可能になるのに、アデルハイトは一向にその気配が感じられなかった。
大賢者と呼ぶには相応しくない。最初のときは賢者相応の実力だったが、阿修羅との戦いを経てさらに肉体は縮んで、力を発揮するのがさらに難しくなった。まったく理屈が分からず、ずっと考えあぐねていた。
結論を先にだしてくれた友人に感謝を抱くと同時に、深い悲しみに襲われる。自身が死んでいた事ではない。この先がないからだ。
「アンニッキ。私はあとどれくらい戦えそうかな?」
「何をふざけた事を言ってるんだ」
静かに睨まれても、アデルハイトはぴくりとも怯まない。
「だってそうだろ。私の体は阿修羅との戦いで弱くなった。それはつまり、ただでさえ罅割れていた魔力の器がさらに限界へ近づいたからだ。違うか?」
「……違わない」
アンニッキは手で顔を覆い、話したくもないのに、と呟くように────。
「君の魔力の器は次で限界だ。いくら賢者の石が万能の触媒と言われようとも、魔力の器が機能しなければなんの意味もない。……その瞬間、君と混ざり合った賢者の石は弾き出され、肉体は滅びてしまう」
通常、魔力の器が壊れる事はない。たとえ死んだとしても。ただし、肉体の損壊が激しすぎる場合は、いくら治療をしても肉体の形を取り戻すだけで生き返る事はない。アデルハイトはまさにその希少な一例になってしまった。
「アデル。私が前に言った事、忘れてないよね。大人は子供を守るものだ。ここでまた戦場に行かせようとするなんてできるわけがない」
「それは……そうだが、でも連中は私たちの想像よりずっと強いから」
リリオラは阿修羅さえも軽々と倒してしまった。ローマンは戦闘後で魔力を多く柄ッたとはいえ、全盛期以上のアデルハイトを片手間に抑えた。彼らが再びやってきたとき、また同じように帰ってくれるはずがない。だったら戦える力を今のうちに蓄えて自分の命を懸けてでも戦いたかった。
「大切なものを守れないなら生きていても死んでいても同じ事。お前だってそれくらい分かってくれているはずだ。なのになぜそうまで……」
「私の子は阿修羅が助けてくれなければ死んでいた」
椅子から立ちあがり、小さくなったアデルハイトの前に立つ。魔力の波動も小さく、今でも大魔導師程度の魔力を有するとはいえ、それは賢者の石が過分に魔力を生成してくれているからに過ぎない。ずっと罅から流れ出てしまう魔力を補っているだけで、受け皿を失ってしまったらもうおしまいだ。
「いいかい、アデル。親というのはね、子供に先立たれてほしくないものなんだよ。今の君は私にとっても我が子同然だし、ディアミドならなおさらだ。今回は諦めてくれ。私たちでなんとかやってみるから」
申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになりつつも、アンニッキは意を決した表情で自分の帽子をアデルハイトにぽすっと被せてテントを出ていった。
誰かに託そうとしていた頃のアデルハイトはいない。今の彼女はどこまでも正義感が強く、自分の手の中にあるもの全てを守ろうとした。それが死ぬ結果に繋がるとしても構わないという姿勢をアンニッキは受け止められなかった。
「……」
帽子を手に取り、きゅっと強く握りしめた。誰にも死んでほしくない。自分にしか出来ない事があるというのが思い上がりだとは理解している。それでも戦いたくて、守ろうとしたくて、手から取り零しそうになるものを大切に持っていたくて。でもそれはきっとアンニッキも同じなのだと分かる。いや、アンニッキだけじゃない。もっと大勢の仲間がそう思っている。誰にも傷ついて欲しくないし、誰にも死んでほしくないし、誰にも悲しんでほしくないし、皆に笑っていて欲しい。
────だから、私は死ぬ事を許されない。アデルハイトは受け入れるしかなかった。散々世話になっておいて、自分から死地へ行くと強く言えなかった。それが悔しくて、悔しくて、仕方なかった。
「アデルハイト、ごはんの準備が出来たって帝国の人たちが」
テントにやってきたシェリアがひょこっと顔を覗かせた。
「ああ、そうか。すぐ行くよ」
振り返ったアデルハイトの顔を見て、シェリアが固まった。それから静かにテントの中に入って来て────。
「なんで泣いてるの、アデルハイト」
「え?」
気付かなかった。頬を伝う温かい涙を指で拭って、ふふっ、と笑う。
「なんでだろう。目にゴミでも入って────」
がばっと抱き着かれて、思わず言葉が途切れてしまった。
「泣くほど嫌な事があったなら泣きなよ。ボクで良ければ受け止めるよ」
「……うん」
気持ちがわかるとは言わない。ただ寄り添うシェリアの気持ちに、アデルハイトは抱いた感情の大きさが子供らしいものではないとしても、子供に戻った気がして、しばらく胸を借りてわんわん泣いた。




