第55話「背負ったリスク」
多くの兵士たちを付き従えてのネヴァンの宣誓と提案に、アデルハイトは面食らったりはしたものの心の整理がつくのに時間はかからなかった。
ナベリウス帝国では大勢の怪我人が出た。幸いにも死傷者は数えるほどしかおらず、大勢が生き残ったのはアデルハイトの『不必要に殺してはならない』という父親譲りの考え方を中心に作戦が展開されたからだ。
既にネヴァンは皇帝として受け入れられ、復興のために尽力する事を誓うとその支持は絶大なものとなった。悲しんでいる暇はない。
「……私たちでよければ、帝国と共に在りたいと願わせてもらおう」
涙を拭って、力強い笑みで自分らしさをもう一度掴んで立ちあがる。アデルハイトの悔しさも、ネヴァンの悲しみを乗り越える姿に霞んで消えた。
「では誓いの握手をしよう、アデルハイト。卿ら王国のために、我ら帝国は力を尽くすと約束する。これから未来永劫、今日の事は語り継いでいく」
「ああ、ぜひよろしく頼む。お互いの国の末永い繁栄を────」
握手を交わそうとした瞬間、アデルハイトの体から魔力が抜けて、ぱんっ、と風船が割れるような音と共に煙が周囲を満たす。直後、元に戻った────もとい小さくなってしまったアデルハイトが困った顔を浮かべた。
「おっと。あの、なんというかこれはだな……!」
慌てて駆け寄ってきたアンニッキが両肩をぐいっと掴んで引き寄せる。
「い、いやあ、この子って実は特殊な病気でね! 魔力が少なくなってくると体が縮んでしまう大変な難病なんだ! どうか気にしないでくれたまえ!」
あまり大きく噂になって、万が一にもアデルハイトが賢者の石であるような事が知られると困る。アンニッキの補足があってもなおざわつく中、事態をなんとなく察したネヴァンが助け舟を出す。
「そうであったか、それは大変だ。あちらのテントで休むといい。同盟締結のための書類は改めて用意しておく。持ち帰って国王殿に詳しく伝えてくれ」
「ああ、もちろん! では後でまたゆっくり話そう。な、アンニッキ!」
「その通りさ、それがいい。派手な戦いで疲れてしまっただろう?」
慌てて去っていくの見送り、名残惜しく思いつつもネヴァンは兵士に振り返る。まだざわつきが落ち着かず、興味本位で話している者たちにムッとした。
「下らぬ話に興じるのは後にしておけ。各々、先ほど指示したように食事の準備。それから遺体を広場に集めて火葬できるように進めるのだ。気まずい空気は作らぬよう努めろ。アデルハイト以外の王国の者たちにも出席できないか打診しておいてくれ。今後協力関係を結ぶ良い切っ掛けになるはずだ」
テントの中からアデルハイトとアンニッキがこっそり顔を出して覗く。てきぱきと指示を出す姿に、二人揃って感心する。
「無気力な感じだったのに、今はすっかり人間だねぇ」
「ああ。色々あったが、これでまたひとつ解決に向かっていく」
遠くから見るネヴァンの表情は、かつての虚無の中に溶けたものではない。新たなる皇帝として、一人の人間として、帝国を背負っていく力強い眼差しだ。
「ところで、また体が縮んでしまったようだが……お前のおかげで切り抜けられて良かった。持つべきものは頼りになる友人というわけだ」
「馬鹿言うんじゃないよ。君は私の言った事がただのジョークとでも?」
テントの中に引っ込んで、アンニッキは半ば怒り混じりに言った。
「私は神秘の魔女なんて言われてるが、医者の端くれでもある。娘に医療魔法を学ぶ事を許すのも私自身が良く知ってるからだ。魔力に関する事なら私以上に詳しい人間なんていない。君でさえもそうさ。だからあえて言わせてもらうけど、君の体は賢者の石によって生きてる。それを失えば死ぬと思った方がいい」
突き放すように、アンニッキが椅子に腰かけながら呆れた顔を向ける。
「今は楽観視してもいい。縮んだという物言いもあながち間違いじゃない。ただそれは、賢者の石が君という肉体を保つための保護機能としてそうさせている。君はもう死んでいるんだよ、アデル」
「……ま、待て待て。私が死んでる? だが、ほら、こうして私は……」
笑ってはいるものの表情は引き攣り、声が震えた。
「死んだんだよ。五年前、君はエンリケたちの手によって死んだ。ここからは私が記録してきた内容からの推測にはなるが、心して聞きたまえ」
アデルハイト・ヴァイセンベルクは間違いなく死亡した。致命傷となったのは頭部の粉砕である。その挙句、死体を処分しようとエンリケが爆炎を放った事までは突き止めた。アンニッキはずっと『どうやって生き返ったのか?』という研究を続けてきた。ひとえにアデルハイトが元の体を取り戻すためだ。
その際に、ネヴァンとの戦いで縮んだ事からある種の結論に至った。
「君の肉体が元に戻ったのはこれまでに、二回。どちらも過分とも言える大きな魔力を得たときだ。君の本来の器は大賢者でも歴代最高クラスに匹敵する。なのに出力は肉体相応で無理が利かない。……具体的な事は調べてみないと分からないが、おそらく君の魔力の器は罅割れていると考えていい」
魔力が多すぎるのも良くない。だが器の中に魔力がまったく溜まらないというのも、それは命に係わる重大な問題へ変わる。アンニッキは『アデルハイトの生命力は既に尽きていて、賢者の石は生命力の代替品として機能している』と仮説を立てた。おおよそ外れてはいない、という確信に近いものを以て。
「この事に気付いているのは私だけだ、アデル。もし賢者の石の力を失う事があれば、そのときは────肉体諸共、灰になって消えるだろう」




