第54話「ナベリウスの誓い」
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「そっちの怪我人は向こうへ運んでくれ。重傷者はこちらへ────」
戦争は終わった。帝都では現在、魔物の襲撃による被害という名目でアデルハイトたち数名が居残り、グレタを中心に大勢の魔法使いは先に帰る事になった。左舷と右舷は治療班に加わって左へ右へと大忙しだった。見張りを任されていた左舷、右舷が合流した後、救助活動を終えた阿修羅は何も言わずふらふらとどこかへ行ってしまい、今も戻っていない。
「やあ、アデル。コーヒーでも如何かな?」
「アンニッキ。ディアミドとエステファニアの様子は……」
「うん。君のおかげでなんとかね。流石は賢者の石だ」
「なら良かった。ネヴァンの側近の男はどうだった」
アンニッキが悲しみの含んだ笑顔で首を横に振った。
「致命傷が過ぎるのと、ただでさえ魔導弾にはあの爺さんの呪術が加わっていた。救いたかったけど、彼を救えばディアミドたちは救えなかった」
「……時間が経ちすぎれば、賢者の石でも救えないという事か?」
申し訳ない、とアンニッキは逃げるようにコーヒーを飲む。
「そうか。ネヴァンには感謝をしておかないとな」
最初からリスクのある話はアンニッキが説明した。戦いで全員が疲労困憊の中、賢者の石があったとしても死者の蘇生はアデルハイトの肉体に大きな負担が掛かる。いずれかしか救えないとなったとき、アデルハイトがディアミドを眠らせようと決断するよりも早くにネヴァンが口を挟んだ。
『グローの事はいい。お前たちの仲間を先にしてやってくれ』
本当は助けてやってほしいと言いたかったはずだ。握った拳が震えていたのをアンニッキは見ている。
「あの子は強いな、アデル。私情よりも優先するべきものを知っている。まさしく皇帝としての立場で俯瞰して成すべき事を成したんだよ」
「……ああ、そう思いたいよ。私のせいではないと、そう思いたい」
どれだけの孤独をネヴァンが味わったかなど見れば分かる。助けてやれると思った。思いあがっていた。ほんの小さな油断ひとつで、失うべきでない者を失った。すぐに助けてやるべきだったが、ディアミドたちを見ていると決断が鈍った。肝心なときに自分はなんと情けない。アデルハイトは手で顔を覆ってしまう。
「なんでかなあ、アンニッキ……。大事にしようと想えば想うほど、全部が手から零れていくんだ。頑張ってるのに、全然報われない。やりたいと思った事がなにひとつうまくいかなくて、誰にも泣いて欲しくないのに、私のせいで」
こんなはずじゃなかったと呪詛を吐く。こうありたかったと希望を零す。どこまで行っても、手が届かない。必死に伸ばしても遠く離れていく。辛くて、苦しくて、悔しさに吐き気さえ催す。優しいアンニッキの温かい手が背中を擦った。
「卿が悲しむ事はない」
ざっ、と土を踏む音がしてアデルハイトが顔をあげた。目の前に立っていたのはネヴァンと、彼女を皇帝と慕う兵士たちがずらりと整列している。
「我々はすべき事をしたまで。事の発端は我が部下の不始末ゆえ、謝罪こそすれど責めるなど出来ようもない。まして卿は我ら帝国の民の身さえ案じ、魔族を相手に見事な振る舞いをみせた。これを称えずしてどうしようものか」
サーベルを引き抜き、地面に突き立てて柄頭に両手を置く。
「ゆえ、これは我々の決意。我々の宣誓である。心して聞け」
大勢の兵士が同様に腰に差したサーベルを引き抜き、ネヴァンと同じように突き立てると、息ぴったりにびしっと足を揃えた。
「これは習わしである。本来であれば敵に対してするものだが、今の卿には必要な宣誓であるだろう。……どうか、そなたの心に響く事を願う」
すうっ、と息を吸い込むと帝都に響き渡るようにネヴァンが叫ぶ。
「我々は何だ!」
すかさず兵士たちは声を揃えて、大きく連なって叫んだ。
「我々はナベリウスの鋭き刃!」
それは帝国に伝わる、戦争へ向かう前の宣誓である。兵士たちの声に続けてネヴァンはさらに声を張り上げた。
「我々は何だ!」
「我々はナベリウスの凍てつく炎!」
「────そうだ、それでいい!」
呆気に取られるアデルハイトを前にして、宣誓はまだ終わらない。
「我々が血を流せば我々の民は救われる。我々が死ねば我々の民は生まれ変わる。我々は死を厭わない。我々の命とは百にして万である。たとえ斃れようとも我々は決して歩みを止める事はない。たとえ首を失おうとも敵を見失う事はない。胸に秘めたる凍てつく炎は敵を恐怖に焼き尽くす。我らの恐怖を焼き尽くす。我らその命が全て尽きるまで、決して立ち止まらぬと知れ。それがナベリウスの鋭き刃、それがナベリウスの凍てつく炎、それがナベリウス帝国軍人である!」
突き立てたサーベルを引き抜き、胸に構える。兵士たちも続けて構えた。そうしてネヴァンはアデルハイトに優しく微笑む。
「我ら命尽きるとも、友の前にて誓おう。帝国は決して恩を忘れぬ。何万、何十万の命を救いしそなたら王国の魔導師へ永遠に途絶えぬ友好を。────どうか私たちと同盟を結んではいただけませんか、アデルハイト」




