第48話「捨てておけない」
清々しい気分だった。生まれて初めて意地になった。勝敗などどうでも良かったはずなのに、アデルハイトという人間に惹かれ、欲しいものに手が届きそうで届かない現実に必死に抵抗した。勝利にしがみつこうとした。
そしてそのうえで、負けた。これほど満足のいく負けはない。ネヴァンの人生で、最も愉快で、そう感じられた瞬間であった。
「お~い! 終わったのか!? 無事か、アデルハイト!」
やってきたのはユリシスたちだ。消えたアデルハイトを探すためにキャンディスが全員を集めたが、二人が派手に暴れ始めたので探す手間がかからなかった。割って入れば大怪我ものだ、終わるまで離れた場所で静観していた。
「子供たちは見つかったのか?」
「いや、それがまだ……。地下牢も探したんだが……」
むくっと起き上がったネヴァンが頬の血を手で拭い、不安の表情を浮かべるユリシスに申し訳ない気持ちで言った。
「余計な手間を取らせてしまったようだ。戦闘に巻き込まれないよう、子供たちは私の手で避難させた。港を出た帝国人の船に乗せて安全に過ごしている」
今回の件を辿れば、元はドクター・ゴーヴの命令無視による独断行動が原因だ。『洗脳して人間兵器にしてしまえばいい。使えなくなったら自爆でもさせて巻き込めば十分な戦果が見込めるでしょうな』と慈悲の欠片もない提言があったが、怯えている子供たちを前にしたとき、昔の自分を思い出して出来なかった。
「城砦がこの有様だ。親衛隊も皆がやられたなら……」
「俺は生きてますよ、生憎と」
遠くからのそのそやってきたグローが傷だらけで呆れた顔をする。
「死んでたまりますか、あなたの死に顔も見てないのに」
「グロー。よかった、生きていたのだな」
「あのねえ、そんな簡単に死んだら親衛隊名乗れやしませんて」
思わず安堵の笑みを浮かべたネヴァンをいつものように相手しながら、グローは横目にアデルハイトを見た。
「(あれが……。殆ど無傷じゃねえか、バケモノめ。とはいえこんな風にお嬢が笑うとは、心境の変化どころか、性格を変えちまったか。それとも閉じちまった扉を引っぺがしたか。なんにせよ俺の祈りは通じたようだ)」
幼い頃からネヴァンの御目付役として傍に在り続けたグローには、少女の抱いた絶望はあまりにも巨大に成長しすぎていて手の施しようがなかった。期待を失った目で何も望まず、ただ玉座を手に入れる人形のように育てられたネヴァンは皇帝である父からの寵愛は受ける事はなく、むしろ邪魔者に扱われた。
当時、とても帝王学を叩き込むには病弱な体をした少女は、ひどく疎まれていた。父親からは役立たずと罵られ、母親からは何故生まれてきたのかと花瓶を投げられて怪我をした事もある。それでも顔色ひとつ変えずに生きてきた。苦しくても、いつまでも影の中で生きる事になっても構わない。これが皇家に生まれた人間の宿命なのだろうと幼いながらに受け入れていた。
『もっと愛情を知ってもいいでしょうに、あなたって人は』
誰かがそう言ったのをネヴァンは強く覚えている。そんなものが手に入るのなら、手に入れてみたい。そう考えるようになってから、少女の中で欲望は野望へと姿を変えていった。────徐々に勢力を増やして、皇帝の首を獲る程に。
「(やっと手に入ったなァ、お嬢……。まだ気付いてないかもしんねぇが、楽しそうじゃねえか。俺はずっと眺めてるしかできなかったけどよ)」
アデルハイトへ返す視線が優しく、穏やかに笑うネヴァンの姿にグローは安堵する。きっとこれからも、傍にいられれば────。
「グロー、聞いているのか」
「おっ……すんません。何ですか、陛下?」
「こちらのアデルハイトから我々にも大切な話があるそうだ」
「おう、そうですか。そりゃあすんません」
アデルハイトに小さく頭を下げる。自分とした事がと恥ずかしくなった。
「別に構わないさ、皆戦って疲れているだろうから」
いくら精鋭を揃えても、敵が一筋縄でいかない勢力である以上、相応の被害はあった。アデルハイトでさえもネヴァンの覇者の武具を打ち破るために莫大な魔力の消耗があった。話のひとつ聞き逃しても気にしなかった。
「さて、話を始めよう。今ここにいない奴には後から許可を取るとして……キャンディス。特にお前には聞いてもらわないと────」
「言わなくても分かるよ、アタシはお師匠様の弟子だから」
目を丸くするアデルハイトに、キャンディスは優しい表情をみせた。
「受け入れたいんでしょ、その人たちの事を」
他の誰もが驚いたとしても、長年アデルハイトを慕ってきたキャンディスには考えている事がよく分かる。もう覚悟は決まっていた。
「おいおい、待てよ。アデルハイト、それにキャンディスも何を言ってるんだ? 俺たちは帝国相手に喧嘩買ってここまで来たのに本気なのか?」
流石に理解ができない話だとユリシスが呆れる。他の面々もそうだ。ここへきて擁護する理由なんてなかったし、ましてやこれまでの諍いを考えれば、国主として責任を問うべきなのは当然の話だ。
それでもアデルハイトは捨て置けなかった。自分と重なったから。
「いいんじゃないかしら、別に」
反対意見でざわつく中、賛成意見を口にしたのがグレタだった。
「もちろん責任はあるわ。聞いたところによると、ジルベルト・ギュンターを殺害したのもあなただとか。そうなんでしょう、キャンディス?」
さらに場がざわつき、特に声をあげたのはシェリアだった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。ボク知らないよ、その話……。ジルベルトさん、死んだの? じゃあ学園祭に来れなかったのって……!」
今になって知った事を、自分だけ仲間外れにされたと感じてシェリアが泣きそうな顔になる。キャンディスは、そんな彼女の前に立ってむぎゅっと頬を摘まむ。
「痛い痛い痛い痛い! なんで急に!?」
「あ、ごめんね。でも、これはアタシたちの問題なんだ」
苦楽を共にした仲間を失ったキャンディスは、覚悟が決まっていた。最初からアデルハイトならそうするだろうと思って戦いに加わった。もし想像した通りになるのなら受け入れるつもりで。
「賢者の石を求めたアタシたちのせい。元はと言えば、全部はお師匠様を裏切ったときから全てが間違っていた。なのにアタシたちは幸せになろうとした。誰かの死に報いるのではなく、自分達の都合で。これはその罰なんだよ」




