第46話「ああ、儘ならぬ世界よ」
ジルベルトの使うものとはまるで別物。破壊力は同クラスでも炎は正確にネヴァンのいる場所に向けて焼き払おうとした。だが、炎は瞬く間にネヴァンの前に現れた黒い渦の中へ吸い込まれて消えていった。
「それがお前の覇者の武具のひとつだな」
「良い情報を持っている、アデルハイト。どこの誰かは知らぬが卿らの中に私を知る者がいたようだ。しかし能力はどこまで知っているのか」
サーベルで黒い渦を真っ二つに裂く。渦が黒い球体に変わると炸裂し、吸い込んだ炎がアデルハイトに返される。ジルベルトの灼熱剣スルトは炎を魔力として吸収する事が出来るため、互いに有効打にはならなかった。
「よもやただの名工の剣ひとつで偽の栄光を止めるとは……。ジルベルトの師というのは、まがい物の称号ではないらしい」
「あいつに剣を教えたのも私だ、これくらいは出来て当然だとも」
剣を振って炎の渦がアデルハイトの姿を隠す。ふわっと消えた瞬間、そこには誰もいない。気配さえ感じない。
「(……どこへ行った? 逃げたとは思えないが……)」
ぬうっ、と影の中からアデルハイトが背後に姿を現す。その殆ど押し殺された僅かな気配をネヴァンは鋭く嗅ぎとってサーベルを振り抜いた。だが、斬ったのは影で作られた偽者のアデルハイトだ。
「ぬっ!? 馬鹿な、では本物は────」
「ここだ、ネヴァン」
頭上から降ってきたアデルハイトに気付き、咄嗟に離れる。剣が床を破壊し、さらに剣が接触すると爆炎が起きた。直撃していれば消し炭になっていてもおかしくない威力は、相手が必ず躱すと信じた一撃でもある。
「上手く避けたな。まだ戦えるか?」
「卿は確かに想像を超えて強い。だが私とて皇帝だ。嘗められては困る」
懐から取り出したのは懐中時計。チェーンを指に掛けてぶら下げ、指を軽く傾けてするりと放して落とす。そのまま懐中時計は床に吸い込まれて消える。
何かを仕掛けてくると感じてアデルハイトは剣を構えたが────。
「────刻限開錠。《運命の時計は針を止めた》」
魔力の波動が広がっていく。無属性の魔法はエーテルが属性の色を帯びないため分かりにくく、アデルハイトが動き出そうとした瞬間には手遅れだ。塵のひとつまでもが夢幻時計クロノスの範囲に入れば、動きをぴたりと止めた。
「……クロノスは最古のレガリアとも呼ばれ、あまりに強力過ぎるために相応しくないと判断した所有者自身の時間さえ止めて殺すと言われている。ゆえ、いかに強き魔導師である卿であっても逆らえない」
範囲内の使用者であるネヴァン以外の全てが時を止めて動かなくなる。アデルハイトも、剣を構えて防御の姿勢を取ったままだ。
「残念だ。卿は強い。ゆえに私には勝てない。これは油断ではなく必然なのだ。戦いにおいて左右されるのは優れた洞察力だ。どんな大技も隙があれば当然、実力差があったとしても打ち破られるのは必定。だが、クロノスはそれを許さない。二度目があれば違うとしても、そもそも二度目がないのだ」
サーベルを握りしめ、アデルハイトを前に立った。止まった時の中では声も届かない。その首に刃をあてがい、強く握りしめて切り裂こうとする。
「卿の言葉は、私に初めて期待をくれた。だがここまでだ」
ゆっくり首に刃が食い込む。僅かに裂けた皮膚からうっすらと血が滲んで止まる。このまま首を刎ねておしまいだと思った直後────。
『そうはいかないんだ、悪いがね』
瞳が朱色に輝き、ぎろりと動いてネヴァンを見つめた。
「……っ!?」
今までに感じた事のない気配に飛び退く。まさか動けるのか? そもそも今の声はなんだ、口も動いていなかったのに、と思考がフル回転する。
『そういう反応になるか。多少の感情の欠如は見られるが、お前もまた一人の人間だ。塞ぎ込むのはここまでにしておけ、勿体ない』
アデルハイトの体を紅い輝きが包み、やがて彼女の肉体は止まった時の中で呼吸を取り戻し、感覚を得て、しっかり踏みしめて立った。
「っ、……はぁっ……! 死ぬかと思ったが賢者の石に助けられたな……!」
動き出したアデルハイトを見てネヴァンは驚愕する。あり得ない。有り得ていいはずがない。止まった時間の中でひとりでに巨大な魔力が波打って、クロノスの魔力を弾き飛ばしたのだ。
「────賢者の石。卿が持っていたのか」
「ん、いや、それは少し違う」
服の埃を払って剣を握り、片手で軍服の襟を正しながら。
「私自身が賢者の石だ」
未だに原理は分からない。賢者の石には未知の力がある。それこそ失った、あるいは欠けた感情を得るのは、一マスだけ空いたパズルに残ったピースを嵌めるのと変わらないと考えるべきだ。アデルハイトは、ドンと自分の胸を親指で叩く。
「欲しければ私を超えてみろ。そのときはこの体、好きにするといい!」
そのとき初めてネヴァンが心からの笑みを浮かべた。
「……あぁまったく、本当に……この世は儘ならぬものだ」




