第45話「示すべき道」
先を歩いていくネヴァンの後ろ姿が、どことなく自分と重なって見えた。誰からの愛情も得られず、ただ受けた痛みばかりが全身に残った。おかげでユリシスやフェデリコのように一部の男性以外に対しては未だに拒絶する部分もある。
アデルハイトとネヴァンの大きな違いは周囲の環境だ。半壊した理性に襲われる日々を捨てでも全てを賭けられた者と、巨大な檻の中で逃げ出す事も出来ず孤独を味わい続けて心を壊してしまった者。アデルハイトは目の前の女がジルベルトを殺したと分かっていても、憎む気にはなれなかった。
「そういえば卿の名を聞いていなかったな」
「アデルハイト。どこにでもいるありふれた軍人だよ」
「そうか。卿がそう言うのなら深く詮索はしないでおこう」
大きな二枚扉を押し開ければ、広いダンスホールのような場所に出た。
「先代はパーティをよく開いた。なんのためにかは知らないが、そうやって多くの貴族を招いて、夜はいつも騒がしかった。先代がいなくなってからは私の稽古場になった。此処なら互いにフェアな勝負を始められる」
いったいどれほどの人数が収容できるのか、どこまでも広がるような部屋の大きさにアデルハイトも苦い気分だ。帝都を見れば貧しさを感じさせる建物が多くあるというのに、一方でかつての皇帝は権力を握って、惜しみなく財を使ってパーティ三昧。挙句気に入らなければ処分と称して始末する。まさに暴君だった。
「卿も、あまり感情の動かない人間なのだな」
「どうかな。最近は豊かになったと思うよ」
最初はアデルハイトもネヴァンとそう変わらなかった。周囲との関係を築くのは難しく、期待もしなかった。極力関わらないように感情も隠して生きた。だが、その後に出会った者たちに何度も救われてきた。幼いユリシスに懐かれ、ディアミドに鍛えられ、アンニッキと出会って笑い合う日々があった。学園に来てからはもっと多くの友人が出来た。
光差す場所へ出る事は怖かった。また裏切られるのではないかと不安になった。それでも。誰もが受け入れてくれた。弱い心を守ってくれた。
「なあ、ネヴァン。戦うのはやめないか。これ以上、お互いが傷付くだけの戦いなんて無意味だ。私は仲間が助けられればそれでいい。だから、この作戦は必要以上に誰かの命を奪う事は避けて、ここまでやってきたんだ」
「……無意味かどうかはやらねば分からぬ事。ここまで来て臆したわけでもあるまいに、なぜわざわざ停戦の要求をするのかが理解できない」
ブーツのかかとが床を突く。足下から雷光が昇り、バチバチと紫色の輝きを弾けさせて黒いサーベルがネヴァンの手に握られた。
「驕るつもりはないが、私ならお前を救ってやれるかもしれない。戦わなくてもいいかもしれないのに、なぜ必要以上に闘争を欲するというんだ。お前は今も苦しんでいるじゃないか! 私たちのところへ来い!」
なおも交渉を試みるが、ネヴァンからは既に強い闘志が溢れた。
「卿の優しさには感服する。私にはない。……羨ましいよ。だが私にも帝国を担う者としての立場がある。血で血を征服した者として、私は卿の前に立ちはだかろう。私を救えるというのなら、まずは力で示すがいい!」
迫って来た瞬間、なぜ、という想いしか湧かなかった。まだ引き返せる道があるかもしれないと手を差し伸べたのに、ネヴァンは取ろうとしないどころか剣を向けて戦おうと言う。自分は皇帝だと、望んでもいない椅子を守るために。
歩みは止まらない。ネヴァンが背負ったものは、いや、背負わされたものは簡単には降ろせない。居場所のない帝国で僅かに自分が立っている場所を作るために多くの血が流れた。それを快く思わず皇帝の座を簒奪した事が気に入らない、と命令すら聞かない者を部下に置いた事で、考えとは程遠い命の奪い合いが起きた。何もかも責任は皇帝という立場の自分にある。
ネヴァンは引き返せない。引き返すわけにはいかない。奪い取った場所をまた奪われるという恐怖だけは、はっきり身に刻まれていたから。
「(卿の提案を受けたい気持ちはある。だが、私は多くの者に裏切られてきた。血の繋がった帝国人でさえそうなのだ。他国の者を信じるには、私を力でねじ伏せられるだけの者でなくてはならない。それが最低条件だ)」
力がなくては何も成せない。優しさも、愛情も、権力の前では握り潰されるだけの役立たずだとしか思えない今、アデルハイトの言葉に容易に乗れはしない。自身より弱い者から得られる答えなど何もないのだと。
「くっ……! なぜこうも頭が固いんだ、馬鹿! 自分から手を伸ばせば取れるかもしれないものを、どうしてみすみす捨てるような事をする!?」
「私が卿らの言う愛情だのなんだのと非効率で無意味なものを信じるように、私は自身の力を信じる。ゆえ、その考えをまずは覆してみろと言っている!」
何度も振られた剣を躱し、ついぞ下がれなくなって包みで受け止める。
「────! なるほど。それは卿の武器であったか、魔力を感じるぞ」
アデルハイトに押されて、ネヴァンは最初の位置へ戻った。
「戦いの意志を示してくれて感謝する、アデルハイト」
「……いや、こちらこそ色々と甘えた事を言ったと思ってる」
感情の希薄なネヴァンに宿る少ない想い。そのひとつが恐怖だ。表目に見えないだけで、酷く悩みを抱えているであろう感情。積み重ねられた小さな絶望のひとつひとつが彼女を圧し潰そうとしたのを、何故察する事ができなかったのか。
自分が最もよく知る経験であったはずなのに、とアデルハイトは自身の浅はかさに呆れた。手を差し伸べるだけでは救えない者もいる。言葉で足りなければ行動で示さなくてはならない。御尤もだと頷いた。
布がするりと床に流れて、隠されていた武器が露わになる。
「ここからは本気で挑もう。お前のために、私の友人のために」
露わになったアデルハイトの剣が炎を纏う。大柄で体格には見合っていないがそれを軽々と片手に扱い、体内に溜めた魔力を灼熱の炎へ変化させ、剣を通じて魔力爆発を起こして周囲を呑み込む大技を放った。
「────《太陽よ、まだ沈むな。栄光を照らせ》」




