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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第二章

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第44話「欲したもの」

  大切な包みを片腕に抱え、城砦内を探索していく。まだ潜んでいた帝国兵を倒しながら慎重に進み、目についた部屋を片っ端から確かめる。しかし、やはり結果は変わらず、これといって隠し通路も見当たらなかった。


「アタシたちが探してるところにはなさそうだね」


「ああ。お前の能力なら見つけられると思ったんだが」


「そうだね。アタシも変だなって。影の中に入れないから」


 城砦に入ってから、キャンディスは何度も魔法を使おうとしている。影の中に入りさえすれば、地図が完全に把握できるからだ。にも拘らず、何かに阻害されているのか、全く影の中に入れる気配がなかった。


「まあ、ユリシスたちが見つけてくれてるかもしれない。あと何部屋か確認して、あっちと合流したら────」


 話している途中で、キャンディスが必死の形相でアデルハイトへ駆け寄って手を伸ばそうとする。「扉から離れて、お師匠様!」と叫ばれたとき、まだ当の本人は事態を察するに至っておらず、何が起きているのかも分からないまま扉を開く。


 扉の向こうは真っ黒に塗りつぶされたように暗く、「えっ?」と状況を把握できないまま伸びてきたうねる無数の腕にアデルハイトを捕まえられて、一瞬のうちにして引きずり込まれた。


 視界はしばらく消え失せ、気持ちの悪い浮遊感の中を絶対に離すまいと包みを抱きしめて目を瞑る。波に呑まれたように体はぐるぐると回り、やがて見知らぬ部屋に吐き出されて床に転がった。


「いっ……痛……! 何が起きたんだ、いったい?」


 辿り着いた部屋は誰かの書斎だ。クラシックな雰囲気漂う上品さのある室内は、長く誰も使っていないのか少し埃っぽかった。


「(誰の気配もない……。さっきの手はなんだったんだ)」


 ひとまず包みを壁に立てかけて、部屋の中を歩いてみる。本棚はぎっちり詰まっていて、どれも飾りのように置いてあるだけで読んだ形跡は殆どない。窓辺にある机にはインクの枯れた羽根ペンが横たわっていて、瓶も乾いている。


「大したものはないか。……いや、これは」


 倒れていた写真立てを起こす。よくある家族写真で、写っているのが誰かは分からない。ただ、誰もまるで楽しそうではなかった。立派な衣服を着ている事から、おおよそどんな地位の人間であるかは想像がつく。


「卿は地位も名誉もあれば気分が良いか?」


 ぞくっとする。振り返ると、扉の前にアンニッキそっくりの女が立っていた。違うのは、アンニッキよりもずっと感情の読めない人形のような顔だった。


「随分と大きな魔力を持った者がいると思って捕まえたのだが、名もなき者が四英雄を連れ歩いているとは驚きだな」


「あいつらの師匠やってるもので……。それで、お前はどこの誰だ?」


 聞かなくても分かる。だが、ひとまず確認は取っておく。


「私の名はネヴァン。まあ、皆まで言わずとも分かるか。卿らには謝罪せねばなるまいと思っていたところだ。ゴーヴが勝手な真似をした。あれはどうにも、私に反感を抱いているようなのだ。青二才の皇帝が気に入らぬのだろう」


 ネヴァンは皇帝と呼ぶにはあまりに歳若い。その腕ひとつで先代皇帝から玉座を奪い取った事実を踏まえても、老獪に生きてきた者にとっては気に喰わない。あまつさえ女である事が足を引っ張った。


「その写真に写るのは、私の両親。先代の皇帝と皇后だ」


「嫌いなのか? こんな場所に置き去りにして」


「……さあ、どうなのだろうか。好きとも嫌いとも、私には分からない」


 アデルハイトに敵意を見せず、ネヴァンは隣に立って写真を指でなぞった。


「父は冷たい人だった。いや、正確に言えば冷酷な人かな。妻にも我が子にも愛情を注げず、皇后を言い争いの末に斬り殺して悪びれもしなかった。思えばその頃から私は感情というものへの理解が(うと)くなった」


 常日頃から虐待を受け、ぼろ雑巾のような扱いをされた。宮内での立場など存在せず、味方は誰もいなかった。少しでも寄り添う人間がいれば処分された。優しく接して傍で戦ってくれたメイドが数日もすれば首が届いたのを、ネヴァンは脳裏に焼き付けている。鮮血が滴り、床を濡らす光景は夜になると夢に見た。


「私の中には、あまり多くの感情は残っていない。親の愛情というものも知らない。傍にいた者が死んでいくのは痛ましく虚しい。死しても構わぬと他人のために命を捧げていく者たちの事が分からない。未だに答えを探しているのだ、そうまでして命を懸ける意味があるのか……。力もなく、死ねば全てが消えるのに」


 自分の命も守れない無力。それでいてなぜ抗えるのか。どうしてそうしたいと思えるのか。かつて一度だけメイドに尋ねた事があったが、返ってきた答えは『あなたにもわかるようになりますよ、殿下』と具体的な答えは得られなかった。


 経験したら分かるというのは答えでもなんでもない。ネヴァンは、ただメイドに期待外れだったと冷たい感情を抱いていた。


「だから私は、その答えを知るために万能の物質と呼ばれるモノを手に入れようとした。卿がエンリケ・デルベールの師であるならば分かるであろう」


「賢者の石だな。そいつを手に入れて感情を芽生えさせようと?」


 静かにネヴァンが頷いて返す。


「卿も賢者の石をどう手に入れるかを知っているようだ」


「ああ、まあな。力ずくで奪ってみるか?」


 少しの沈黙の後、ネヴァンは写真立てをそっと伏せた。


「では場所を移そうではないか。こう狭くては暴れにくかろう」

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