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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第二章

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第41話「お喋り好きな二人」

────油断はなかった。だが、手も足も出なかったと言うのが正しい。ユリシスたちヴィセンテ隊は、たったひとりの魔導師の女相手に壊滅的打撃を受けた。


 無数の魔法陣から放たれる紫紺の魔力を帯びた鎖はキャンディスでさえ断ち切れず、グレタの灼熱でも焼き尽くせない。多少の傷がつき、表面が焦げる程度で、とても届かない。素早さを活かしたアーヴィング、アラナの攪乱中心の動きも、まるで行動が全て読まれているかのようにあっさり捕らえられた。


「なあに、弱すぎないかしら」


 空を羽ばたく猛禽類のように、自由な軌道を描くどこまでも自在な鎖の動き──その数さえも正確に把握できないほど多く────と強い締め付けが彼らを苦しめた。善戦しているのはキャンディスたったひとりだ。


「ほんと相性ってあるわよね、こんなに捕まらない子は初めてよ。流石は偉大なる四英雄様ってところかしらねぇ?」


「あなた、何者なの。普通の魔法使いとは格が違う……!」


 善戦しているとはいえ、キャンディスも防戦一方だ。何十もの鎖から逃れ続けるのは容易ではない。あまつさえ女はずっと、最初の位置から動かず、捕らえた相手を自分の傍に置いて盾のように使っているのだ。


「アタシぃ? 教えてあげましょうか、お姉さんの名前はねぇ────」


 話している途中で空から影が差す。いくつもの氷の槍が降り注ぎ、次々と鎖を断ち切っていく。


「ちょ、ちょっと何よ!? 私の鎖を千切るなんて!」


「やあやあ。久しぶりだねえ、ギルダ。随分見ないうちに偉そうな女になったじゃないか。五百年も会わないと、なんだかブサイクになったように見える」


 指先で帽子をくるくる回しながら、アンニッキが悠々と歩いてくる。喧嘩を売られたギルダが、目を細めて憎しみに満ちた表情を浮かべた。


「アンニッキ・エテラヴオリ……。あなたに会えるなんて幸運だわ。神様はアタシにあなたを殺せと言ってくれているみたいね」


「そりゃ勘違いだ。神様は君に死ねと言っているのさ、ギルダ・ジェラルディン。私に何百回と挑んで勝てた事なんて一度もないだろう?」


 キャンディスが目を剥いて驚いた。


「ギルダ・ジェラルディン……! あの戦争の魔女なの!?」


「おお、君はやっぱりアデルに似て賢いね。そうさ、あれは本物のギルダだよ」


 ギルダ・ジェラルディンは大陸制覇の大戦争において王国ではディアミド・ウルフに並ぶ大英雄であり、その後、突如として牙を剥き殺戮を行った。『死の魔女』と呼ばれ、後に蔑称として『叛逆者ギルダ』、あるいは『悪魔のギルダ』とも言われるほど、悪い意味で歴史に名を残す大賢者クラスの強さを持った魔女である。


「なーんでまた帝国に現れたのか分からないけど。どうやら君が帝国の最戦力と見た。どうだい、合ってるかな」


「合ってるも何も、当たり前だわ。皇帝陛下を除いてアタシに勝てる奴はいない。それが帝国の魔女ギルダ。ネヴァン親衛隊の序列一番を受けた者よ」


 一瞬の隙を突かれて、せっかく捕まえた者は全てを逃がした。アンニッキの登場によりどこかへ姿を隠したのだろう、とギルダは舌打ちする。


「気分よく遊んでたっていうのに……。ほんと、ムカつく!」


 手をかざした瞬間、宙に現れた無数の魔法陣から鎖が飛び出していく。キャンディスがアンニッキの服の裾を摘まんで「危ない、避けないと!」と引っ張ったが、ちっとも動く気配なく、指で回して遊んでいた帽子をひょいっと投げて被る。瞬時に届きそうだった先端の鋭く尖った鎖が凍りついてバラバラに砕けた。


「キャンディス、他の子たちを連れて城砦に向かいたまえ。阿修羅たちもネヴァン親衛隊とやらと交戦中だが、アデルが既に単独で城砦に入った。皇帝との戦いが始まれば、人質を救助する役割が必要になる」


「……わかった。じゃあここは任せるね」


 キャンディスが影の中に沈んで消えていくと、アンニッキは気楽そうに懐に隠していたウォッカのたっぷり満たされたボトルの口を凍らせ、指で弾いて砕く。水のようにゴクゴクと飲んで、ぷはっとアルコールたっぷりの吐息を漏らす。


「あ~、生き返るゥ。もうあっちこっち探して、飲みかけばっかりで嫌だったんだよね。私ってば旦那と娘のモノ以外は口につけたくなくてさぁ」


「何、結婚したの? ウッソ~、いついつ?」


 突然敵意が消え失せてギルダが興味津々に駆け寄った。


「結婚とか絶対しないとか言ってたじゃない。抜け駆けとか聞いてないわよ、決着もつけないうちから信じらんない……! で、相手はどんなに強い人?」


「弱いよ。どこにでもいる魔法使いだ。でも性格が良くてねぇ」


 アンニッキが阿修羅に殺されかけた後、偶然にも命を救ってくれた男との出会いが人生観を変えた。それまではただ殺すか殺されるかを楽しむだけの退屈な日々も、娘が産まれてより良いものになった。戦う事が全てではないと知ったのだ。


 馴れ初めを聞いた瞬間、ギルダは顔をうっすら紅く染めて目を丸くする。


「へえ~、そう、あのアンニッキが誰かを愛する日が来るなんて……。えぇ、戦ったら可哀想。あなた、ずっと孤独だったものねぇ。ふぅん、だから初撃でアタシじゃなくて仲間を助ける方向へ舵を切ったのねぇ」


「アハハ。分かる? でさ、これがまたいい男で────」


 話している最中に帝国兵たちが集まってきて、一斉に銃を構えた。


「見つけたぞ、侵略者! ギルダ様、あなたも何をされておられるのです、まさか裏切ったのではないでしょうな!?」


 そのひと言が二人に火を点けた。雑談の邪魔をされるのはどちらも大嫌いだ。敵同士でありながら、実のところ千年前から仲が良くも悪くもある魔女と呼ばれたアンニッキとギルダはたとえ戦闘の最中であっても興味のある話になると戦うのをやめてしまう事はこれまでも何度もあった。


 だから邪魔された事を気に入らないと思えば周囲が荒野だったり雪原だったりに姿を変えるのも、二人にとって日常茶飯事とも言えた。


「邪魔するんじゃないわよ、戦えもしないくせに」

「邪魔しないでくれるかな、戦えもしないくせに」


 息ぴったりに、数秒後には駆けつけた帝国兵が全滅した。


「でさ、でさ。実は私の娘も攫われて探しに来たんだけど、城砦にいるの?」


「あぁ~、あなたの娘だったの。どうりで似てる子がいると思った」


 ぽん、と手を叩いて合点のいったギルダが城砦へ視線を流す。


「いるにはいるけど、かなり手強いわよ。ネヴァン親衛隊のナンバー・ツーで何年もずっと側近やってる男がいるの。名前はグロー。特別な魔法も使えず、身体能力だけに特化したタイプの魔法使いだけどディアミドも負けたもの」


「……は? ディアミドが負けたって、覇者の武具を持っていてかい?」


 ギルダが呆れたように首を横に振った。


「素手だからって、男なら拳で勝負とか言い出して普通に負けたわ」


「なにそれ、ただの馬鹿じゃないか」

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