第34話「決意と共に」
誰にとってもワイアット・フリーマンの死は衝撃的だった。いつも笑い合っていた仲間が、ある日突然消えていく。昔から変わらない魔法使いの世界における常識だったのに束の間の平和で忘れかけていた。
その場にいたシェリアとマチルダだけが、初めての経験だった。
「ねえ、アデルハイト。ボクたちをここに呼んだのはさ」
ふと、シェリアが俯いたまま話す。
「内心では少し分かってたんだよね? 王都まで帝国軍が侵入してきたときに、聖都がどういう状況になってるかって。君だけが、これを理解してた」
沈黙。誰も口を開かず、視線はアデルハイトに集中する。
「────そうだな。正直私も耳を疑ったよ、あれほどの人物が死ぬだろうかと。だが、これが魔法使いの現実だ。魔導師を目指すならお前たちも経験しておかなければならない。そして、マチルダ。お前は軍に所属したいといった。だから紹介してやろうと思ったんだよ。……結果的に醜い姿を晒す事にはなったが」
軍であろうと魔塔であろうと、あるいは自由に生きる魔法使いであっても、誰かの死という現実からは逃れられない。それを踏まえたうえで、アデルハイトは一つの決断として、彼女たちに問いかけた。
「これから私たちは決着をつけるために帝都へ向かう。明日の昼にはポータルで移動して本格的な戦闘が始まるだろう。お前たちはどうしたい。此処で止まってもいい。仲間が傷付いて倒れるのは想像以上に苦しい。だが泣く事は許されない。たとえ仲間の死体が転がったとしても、お前たちは前に進まねばならない。戦場とはそういう場所だ。魔導師になって現場に立つというのはそういう事だ」
アデルハイトの話に誰も口を挟まなかった。答えるべき人間の答えを待ち、静かな時間が流れて間もなく────。
「ボクの意志は変わらないよ、アデルハイト。此処まで来て、ボクはそれでも大魔導師になりたいと思ってる。君たちのように、ワイアットさんのように」
答えあぐねたのはマチルダだ。家族のために自分は軍に所属しようと思った。五人家族で長女のマチルダは、兄が必死になって稼いでも間に合わない生活を考えて、推薦で学園に入った。そしていつかは軍で働いて、もっとみんなで幸せに生きたいと思った。なのに、軍の魔導師である事の現実があまりに厳しいと知り、臆病な気持ちが胸の奥から湧いてあがった。
戦いたくない。死にたくない。せっかくいっぱい勉強したのに、こんなところで死んだら全部水の泡だ。アデルハイトたちに任せておいた方がよほど良い。自分は役に立てる事なんかあるはずないと顔を青白くする。
「なんじゃあ、マチルダ。ぬしは臆病じゃの」
「っ……それは……ごめん。答えられなくて……」
「ぬかせ、馬鹿者。答えなど決まっておろう」
ふん、と阿修羅は突き放して言った。
「臆病者は生き残る事だけ考えればよい。足手まといなど要らぬ」
「俺も同意見だよ。君は若すぎるし、戦いにも慣れていない」
阿修羅の強い物言いをフォローするようにユリシスが割って入る。
「帝国がどんな手を使ったかは知らないが、聖都が陥落するほどだ。魔法使いが少ないとはいえ、かなり優秀な人材を揃えていると見ていい。ましてや彼らは何らかの手段で聖女の加護まで受けている。死地に向かうようなものだよ」
マチルダが震えながら顔をあげて、引き攣った笑みを浮かべて強がった。
「……そ、そうですよねぇ。アタシなんかがついて行ったって、なんの役にも立たない……。後輩のシェリアと違って役になんか立たない……本当に?」
椅子に座ったまま、ずっと黙っていたアンニッキもやれやれと口を開く。
「君はヘルメス寮にも入れなかった。才能もない、死ぬ覚悟もない。そんな人間を連れてくわけにも行かないだろ。答えは決まっているじゃないか。今の録音を聞いたのなら理解してるはずだ、戦場は学園の稽古とはわけが違う」
優秀な大魔導師でさえ命を落とす。戦場の宿命。常に勝利するわけではない厳しい現実が、その冷たい手でマチルダを追い払おうとする。当然、そこから逃げるのもひとつの正しい選択肢だ。怖ければ逃げてもいい。許されているのだから。
アデルハイトは、そのときやっと優しく微笑んだ。
「私たちは戦う。たとえ敵わないとしても、お前たちが笑う日々が大切なんだよ。真面目に努力してる姿は祭りの花火よりも美しく思う。戦うのが怖いなら、生きるために努力しなさい。私たちは、そのためなら命だって散らそう」
魔導師の頂点に立つ者の言葉の重み。長く生き残りながら、多くの出会いをして、誰よりも別れを知ったアデルハイトの穏やかな声。マチルダは自分が情けなくなり、俯いてぎゅっと握りしめた両手を見つめた。
「(アタシって、本当に馬鹿だな。さっきの人たちと変わんないや)」
目に浮かんだ涙をごしごし袖で拭ってマチルダは前を向く。決意に満ち、意志の宿った瞳に、まっすぐアデルハイトを映して。
「アタシも行く。いや、行かせてください。そこにはカイラもいる。あいつはいつだって、アタシの隣にいてくれた最高の友達だ。見殺しにしたくない」
静かな歓迎。温かい笑顔。マチルダは逃げてもいい。でも逃げない。そこに戦う理由を見出したのだ。一生逃げた事を背負うくらいなら戦おう、と。
「まったく君という奴は呆れた子だねえ」
アンニッキがくすっと笑う。娘を引き合いに出されては仕方ない。
「私の娘の友達を死なせるわけにはいかない。なにより、大人は子供を守るものさ。君は何があっても守ろう。それこそ我が子のようにね」
「っ……ありがとうございます! 頑張ります!」
元気の良い返事がよく響く。じっと座っていたキャンディスが手を挙げた。
「あの、せっかくいい雰囲気のところを邪魔するの、すごく嫌だから黙ってたんだけど。急いで話を進めた方がいいと思う。フェデリコから連絡が」
ショートパンツのポケットに入れていた連絡用の魔石がチカチカ光っている。どうしても会議に参加したくなかったフェデリコは、断る代わりにポータルを使って単独で斥候として帝都周辺の調査に乗り出していた。
魔石が光を放つと、魔力がうっすらと色づいたフェデリコの姿を醸す。
『これはキャンディスさん、どうも。ちょっと試験的に加工した魔石を使ってみたんですが、上手くいきましたね。お互いの姿が見えています』
眼鏡の位置を中指で整えながらニコリと微笑む。
『どうやら帝都では大勢の住民の避難が始まっているようです。二日後までに軍の配備も終わるかと。申し訳ないのですが子供たちの位置までは特定できませんでした。どうやら帝都の北側に構える城砦に囚われているのかと……』
帝都城砦の護りは堅く、アデルハイトが魔導師として認める実力の持ち主であるフェデリコでも簡単に内部の状況までを感知する事はできない。既に敵も準備を着々と進めており、これ以上の調査は危険と判断した。
「ご苦労だったな、フェデリコ。────では帝都の住民が避難するであろう二日後までに、我々は人員を募って進軍する。決戦の時だ、諸君」




