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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第二章

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第32話「纏まらない空気」

 待ち構える障害はない。帝国の領域に入っても、戦場は帝都のみに指定された以上、戦力を削りながらの進軍にはならない。決戦を求める声明に多くは懐疑的だ。特にロッソは「下らない」と呆れて肩を竦めた。


 帝国の行動は信頼に値しない、と。


「私はこれを否定します、国王陛下。これは限りなく罠であると言えるでしょう。今初めて聞きましたが……これは結局、自分達のフィールドに呼び込もうという皇帝の浅はかな悪知恵としか思えません」


 ロッソの意見に強く同調したのはヨナスだ。


「誘拐された子供たちが生きているとは思えませんな。町中に囮の兵士を差し向け、その隙に学園を踏み荒らす無法者の言葉など聞くに堪えない。しかし、それはそれとして隊の編成は行うべきでしょう。聖都の護りを再度固めるべきです」


 わざわざ戦場を帝都に指定するのであれば、勝算あっての宣戦布告である事は間違いない。であればみすみす兵士を死なせるべきではないというのがヨナスの考えだ。いっそ聖都の護りを強化して、次の侵攻を防ぐ手段を講じた方がマシだという意見には、アンニッキがせせら笑って否定する。


「私は進軍すべきだと思うけどねぇ。アレが小細工を弄するために声明を出すとは思えない。それに、子供が生きているか死んでいるかなんて、真実は蓋を開けてみるまで分からないのに見殺しにするつもりか?」


「少ない犠牲で済まそうと言うのだよ、エテラヴオリ卿。たかが子供数人の命のために優秀な王国の兵士を失う方が損失が大きいという話だ」


 反論を受けた瞬間、アンニッキが怒り任せに机を殴った。


「私の子供に死ねって言ってるのか、てめえ!」


 初めて声を荒げて怒りを露わにするアンニッキの姿に驚きつつも、アデルハイトもひとつ軽く頷いてからヨナスに言葉を投げた。


「ジュールスタン公爵閣下。あなたのご子息も捕らえられているのではないのか。我が子が犠牲になるのも構わないと言っているのか」


「あんな使い物にならないもの(・・・・・・・・・・)を置いておく理由はないのでね」


 公爵家の落ちこぼれ。優れた才能を持たず、ジュールスタンの中でただウィリーだけがヘルメス寮に入れなかった。にも拘わらず本人はそれを気にしていない。だからヨナスは相手にもしなかった。ウィリーがどう振舞おうが、いずれ粗末に扱ってきた椅子から落ちるときがくる。どうでもいい。


 公爵家を盾にして傍若無人な振る舞いをしているのは耳に入っていたが、ヨナスは『もう自分で考える年齢だ』と相手にもせず、いないように振舞った。たとえ悪評が広まったところで、ヨナスは周囲を黙らせるだけの実力を持ち、自分は軍になくてはならない存在と自負があった。


 だから犠牲など多少でたところで、国民も認めてくれる。むしろ我が子を犠牲にしてでも国を選んだのだから英雄だろうと言わんばかりの態度だ。


「……であれば、この席には不要だ。帰っても構わない」


「なんだと? 平民あがりが良い気になりおって、私と同列のつもりか!」


「私がこの場で提案をしに来たのは命を救うためだ」


 堂々と机に肘を突いて指先でトントン叩きながら、アデルハイトはあからさまな嫌悪感をヨナスに示して反撃する。


「臆病者に手を借りるつもりはない。公爵と名ばかりの権力に縋るみっともない男に手を借りたとあっては、私たち魔法使いの恥ともなるだろう」


 言い争いが始まりそうな空気の中、ファウロスがさっと両手を挙げた。


「両者とも静まりなさい。どちらの考えにも余は理解を示そう。しかし、今回の会議の場を設けたのはアデルハイト・ヴィセンテに他ならない。ヨナス、そなたにも立場はあろうが、その怒りは収めておくのだ」


「……失礼ですが。後進の無礼な態度は矯正すべきではありませんか」


 ヨナスはいつでも自身の態度を崩さない。ウィリーの性格を酷く捻じ曲げたようなもので、ファウロスもこうなっては何も聞くまいと溜息を吐く。


 しかし、突然にアンニッキがバンッ! とテーブルを勢いよく叩き、半分を瞬時に凍らせてバラバラに砕いて、今度こそ怒りに満ちた様子で立ちあがった。


「公爵様ってのは随分と偉いらしい。たかが魔物戦争で、他人の死体の脇で勝利を喜んだだけの分際で。勝ったのは四英雄だと言うのに、まるで国民を守ったのが自分だとでも言いたげだ。無礼な態度はそちらじゃないかな?」


「ふん。現場にも立っていない二流の大魔導師殿は言う事が違う。この国で紛れもなく民を救ったのは、我々でもある。英雄だけの手柄ではない」


 露骨に巻き込まれたキャンディスが気まずそうに、手に持ったカップの置き場を失って静かに固まったまま視線をどこかへ流す。


「だったら試してみるかい、君が三流だという醜く哀れな現実を示そう」


「いいだろう。ならば相手になってやる。自分が地を這ったとしても恥を掻かないよう今から言い訳でも考えておく事だ、エテラヴオリ卿」


 二人のやり取りに挟まれた阿修羅が限界を迎えた。壁に立てかけていた金棒を握りしめると、ふらふら歩きだして思いきり窓のある壁を殴って粉砕する。


「耳障りじゃ、喧嘩は外でやれ。さもなくば殺す」


 一触即発の空気。沈黙がのそのそ通り過ぎていく中を、ユリシスが心底落ち着かない気分でごほんっ、と大きな咳をして────。


「頼むから俺の屋敷を壊さないでくれるかな……?」

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