第30話「決意の日」
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「……?」
最初に天井が目に映る。それからふと横を見れば、置いてあった小さな机の鏡に包帯だらけでベッドに横たわる自分を見た。アデルハイトはその瞬間に、何もかも失ったような空虚な気分に襲われた。
「(なんてザマだ。あの一瞬の油断が私をこうまで追い込んだのか)」
咄嗟だった。爆音と同時に瓦礫が飛んできたのを視認した瞬間、それが大きく、ユリシスを巻き込むものだと即座に判断して突き飛ばした。身体強化の魔法も使ったものの、瓦礫の勢い凄まじく、死を回避するのが精々の顛末。
「情けない」
ぽつりと漏れた言葉に、フッと弱々しく笑う。ベッドから体を起こして、広く整った美しい部屋と豪勢な仕上げのベッドを見て、軍や学園の医務室でない事はすぐに分かった。直後に扉がノックされて、ゆっくり入ってくる男がいる。
「……! アデルハイト、目が覚めたのか!」
入って来たユリシスの顔は包帯が巻かれて片目が隠れた状態だ。頬にもガーゼが貼ってあり、とても普通の状態ではない。
「ユリシス。どうしたんだ、その姿は」
「いやあ、何。お前が気絶した後に帝国軍との争いで片目を負傷した。おそらくは二度と使い物にはならないという話だ。残念だけどね」
生きているのが不思議なほど頭部は半壊に近かった。後から駆け付けたアンニッキの手助けもあったが、時間が経っていたのと他の者が先に治療を施していたのもあって、完全な形を再現するには至らないと言われた。
「今は閉じたまま開かない。だけど、俺よりお前の方が酷かったんだ。もう五日も眠ったままだったから……。目を覚ましてくれて本当に良かった」
ベッドの傍に椅子を持ってきて腰掛けると、ユリシスはアデルハイトの手を両手で包み、力強く握りしめて額に押し当てながら悔しさを浮かべた。
「お前に告白なんかして、守るどころか守られるなんて。恋人になりたいなんて馬鹿な事を考えてたのが悪かったのかな。今になって思うよ、あのときお前が言っていた言葉の意味が、痛いほどに」
「……? あのときって、何の話だ?」
顔をあげたユリシスは悲しさで今にも泣きそうだった。
「エリンに言っていただろ。────『愛情で命は救えない』と」
「お前、なんでそれを……あぁ、まさか報告でも」
「違う。心配で近くにいたんだ。まだ貧民街にいたから」
アデルハイトが弱くないのは知っている。しかし彼女の身に起きた事が普通ではないので、何かあってからでは遅いとユリシスはエリンにだけ任せきりにせず、自分は近くで見張りをする事にしていた。
そもそも着替えたりもあって、エリンから『旦那様は入ってはいけませんよ』と告げられていたのもあったが。
「俺はあの言葉を聞いたとき、よく理解できてなかった。でもそうだな。ただ愛しているだけで、お前の命は救えない。お前の命は守れない。こんな体たらくで、よく恋人にしてもらおうなんて考えたもんだよな」
「ユリシス……。それでも私は嬉しかったよ」
誰かに愛を言葉にして伝えられるのは初めてだ。好意を寄せてくれている事には、長い付き合いもあって、なんとなく気付いていた。これまでは受けるつもりもなかったが、平和が訪れて穏やかな日々がやってくるのなら、恋くらいはしてみてもいいと思った。優しい人々に囲まれて生きていく幸せを手に入れたから。
「しかし、今は返事をしてやれそうもない。このままジッとしているわけにはいかんだろう。私だけならともかく、今回ばかりは戦わないと」
やっと手に入れた幸せ。大切な人々。それを奪おうとするのならば抵抗するか、あるいは戦場を支配するしかない。アデルハイトが選んだのは後者だ。
「わかった。お前の言うとおりだよ、アデルハイト。体調は問題ないか?」
「問題ないと思う。今の所はすこぶる元気だよ」
ベッドから降りたアデルハイトを見て、ユリシスがぎゅっと眉間にしわを作った。目を擦って、もう一度よく目を凝らす。
「アデルハイト、身長戻ったのか?」
「ん?……あぁ本当だ。これは都合がいいな」
壁に掛かっていたローブを肩に担ぎ、朱色の瞳をぎらりと輝かせた。
「行こう、ユリシス。これ以上の時間は待ってはいられない。人を集めて状況を説明してくれ。これまではただのいち兵士であったが────今回だけは私が主導となって、最前線を担い帝都へ進軍する。絶対に勝つぞ」
許せない。許してはならない。大陸制覇という夢はどの国もある。それを悪いとは言わない。ただ、悪辣な手段を以て支配しようとする者の企てをみすみす見逃して痛い目に遭うのは避けるべきだ。もし相手が遠慮なく毒牙を研いで忍び寄ってくるのであれば、それら全てをへし折ってやらずして勝利はない。
絶対的な勝利。最前線に立つというアデルハイトの言葉を信じて、ユリシスは立ちあがると胸に手を添えて深くお辞儀をしてみせた。
「イエス、ユアマジェスティ。俺の女王様、あなたに忠誠を誓おう」
「下らん戯言だ。だが、嫌いじゃないよ。エスコートをよろしく頼む」




