第29話「柄じゃない」
不意を受けて倒れた兵士たちが、のろのろと起き上がってくる。全身に纏わりついた黒い靄のようなものを見てフェデリコがしかめっ面で睨む。
「呪術ですか。気を失った者を無理に操るなど人道的とは程遠い」
「左様、私は数少ない帝国の魔法使いの一人だ。しかし、まあまあ歳を重ねていてね。私が戦うよりは死んでも動く人形を使った方が負担がない」
帝国兵たちは手に持った剣を握りしめてフェデリコに向かう。
「ふむ……。気絶させても意味がないのなら────殺してしまいましょう。相手を気遣うなど不可能。だから私は戦いなどしたくないのですが」
杖の先で地面をコンッと軽く叩くと青白い輝きと共に足下は瞬く間に凍りつき、突き出した氷柱が兵士たちの体を貫く。傷から出血はなく、代わりに全身が彫刻のように凍りついていった。
「数に任せた戦いなど無意味ですよ、名も知らぬ魔導師さん」
「私の名はドクター・ゴーヴ。皆からはドクと呼ばれていてね、君もそう呼びたまえ。ここで死ぬ魔導師よ」
ドクは愛称で正確な名をゴーヴと言い、帝国随一の魔導師を自称する男だ。戦わないのは『楽である』という理由だけ。戦えないわけではない。フッ、と息を吹いた瞬間に黒い霧が周囲を満たしていく。
「……これは。なるほど、毒の霧ですか」
即効性の高い毒の魔法。フェデリコは自分の右手が震え始めたのに気付いて、石突で地面を突いて周囲に浄化の水で壁を張った。
「厄介ですね。ただの毒霧ならともかくこの闇夜で……。魔力抵抗に加え浄化の水なら毒も弾く結界にはなりますが……、後手が過ぎる。まあでも、仕掛けてきますよね。こちらに毒が効かないんですから」
背後に迫った魔力の気配に即座に反応して、飛んできた矢を風の魔法で払い除ける。同時に霧も巻き込んで周囲の視界を取り戻す。
「見つけましたよ、ドクター……ああ、なんでしたっけ?」
地面が隆起して作り上げられた巨大な両腕が蚊を潰すように、立っていたゴーヴを挟んで手を叩く。決定打にはならなかった。しかし間一髪で一歩下がったゴーヴの片足をもぎ取った事もあり、勝利はほぼ確実だった。
「馬鹿な、こんな魔導師の情報は聞いていないぞ……!」
「書類仕事に精を出す中級魔導師なもので。現場には出ないんですよ」
ゴーヴが懐から出した植物の種が太い樹木となって片足の代わりとして絡みつく。戦況は最悪。オスカリの機能停止に加えて兵士まで大量に消費するとは最低の戦果ではないかと内心で悪態を吐き、撤退しようとする。
「ああ、逃げられると思わない方が良いですよ」
「何を言うか。確かに腕の違いはあれど、ただ逃げるだけなら────」
「いやはや。誰も私からとは言ってないのですが」
風の魔法で空を舞い、着ていた羽織りを鳥の翼にして逃げようと高く上昇した瞬間、背中をまっすぐへし折る鋭い蹴りで地面へ落とされた。激痛と衝撃に悶えてうめくだけのゴーヴを踏みつけたのは、阿修羅だった。
「ようもやってくれたのう、虫ケラが。生きて帰すわけがなかろう」
「な、なぜ……!? 貴様の足は確かに吹き飛んだはずなのに……!」
阿修羅の足はすっかり元通りだ。それどころか全身の傷もない。衣服には汚れひとつなかった。僅かな時間で完全に再生していたのだ。
「本気を出しておけばと言っておったが、生意気な考えは少し変わったか。このまま死ぬか、それともなんのつもりでこんな真似をしておるのか洗いざらい吐いてもらおうではないか。えぇ、虫ケラよ」
「は……ハハハハハ! 私とて形こそ違えど愛国者なれば!」
ゴーヴは躊躇もせず自らの下をかみ切る。同時に、黒い霧が傷口から溢れた。フェデリコに使った毒の霧ではない。呪術によって肉体を一時的に消滅させ、数秒の後に霧は一か所に集まって元の形を取った。
「く……。計画にやや変更はあるが問題ない。今回は撤退してやろう。今頃は目的も果たせている頃だ。次に会うときはこうはいかんぞ……!」
再び霧となって消えると、流石に捕まえられないだろうと阿修羅も追うのはやめた。無理な戦いで周囲に影響が出てはまずいと全力も出せない歯痒さはあったものの、ひとまずアデルハイトとユリシスを救えたので良しとした。
「のう、フェ……えー、フェルディナンド?」
「フェデリコです」
「そうじゃった。町の状況はどうなっておるんじゃ」
「わかりませんが、今のところ騒ぎは収まっているようです」
「うむ。ではフェリ……なんじゃったっけ」
「フェデリコです。すみません、なんで簡単な名前覚えられないんです?」
阿修羅とは気が合わない、とフェデリコは深いため息を吐く。
「被害状況の確認はこれからです。私も急ぎで見て回りながら来ましたが、全容を把握するには至ってないので。怪我人などの誘導は他の監督官に任せてきたので、我々はひとまず二人を安全な場所に運びましょう」
小さなアデルハイトを両腕に抱きかかえ、ユリシスを阿修羅に任せる。かつての上司であり師でもある、信頼できる誰よりも強い魔導師。
「なんというザマですか、あなたらしくもない。意識を取り戻したらきっちり働いて頂くとしましょう。私に押し付けた分までね」




