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賢者の瞳は朱色に輝く  作者: 智慧砂猫
第二章

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第28話「窮地の希望」

 とても戦える状態ではない。ただ気丈に振る舞い、相手の注意を倒れているアデルハイトに向けたくなかった。それにまだ大勢が避難の最中でもある。僅かでも戦えるのであれば、命懸けで立ち向かうのが近衛隊長としての心構えだ。


「オイオイ聞いたかよ、ドク。俺たちと戦うって?」


「手負いのゴミだ、オスカリ。さっさと片付けて仕事に掛かるとしよう」


「了解。下がってな、弾け飛んだ肉と骨で怪我するぜ」


 オスカリの言葉通り、まず体格の差。それから手負いである事に加え、ユリシスには相手の強さがまったくの未知数という情報不足で状況は悪い。見るからに肉弾戦と分かるが、着ている軍服の内側に何か歪な雰囲気を感じた。


「(何か身に着けているのか? 軍服の上からでも着られる魔法鎧か何かだろうか。分からないが、ソードマスターの身として最善を尽くすのみ!)」


 先手必勝と剣を振ったが、オスカリは太い腕で当然のように防ぐ。


「剣が通らないだと!?」


 上着すら切り裂けない。魔力を通した剣の切れ味は鉄さえ裂く。なのにオスカリの着ている軍服が、まったく傷付けられなかった。自分が弱っているのかと錯覚を起こした。僅かに感じ取った剣を弾いた何かを察するまでは。


「これは聖力……! 馬鹿な、聖女しか扱えないものが……!」


「あるんだよなァ、これが。お前らがのんびりと余裕ぶっこいて遊んでる間に、こっちは短時間で、お前らの大事な大事な聖都を陥落させたんだからよォ!」


 軍服に宿っているのはエステファニアの難攻不落の聖なる衣。あらゆる敵の攻撃から身を守ってくれる最強の盾だ。ユリシスの攻撃が通らなくても当然の能力を前に、オスカリが剣を払ってユリシスの頭を思いきり地面へ叩きつけた。


「ハッハッハ! 流石、聖女様の力ってのは半端ねえな!」


「言葉を慎め、オスカリ。聖女もまた我らの傀儡に過ぎんのだよ。間違っても信仰心があるような言葉を口にするべきではない」


 がりがりの細い足でユリシスの脇腹を強く蹴った。


「ふん、弱いくせに刃向かうからだ。何が近衛隊隊長だ、この程度の強さで偉そうな事を言うなど嘆かわしい。そこでくたばっていろ!」


 ユリシスは完全に気を失っている。少しでも時間を稼ぎたい、アデルハイトを助けたいという想いは虚しく崩れていく。


「おお、こんなところに子供がいるじゃないか。フフ、しかも魔力測定装置が振り切っている! なんと期待の出来る奴か! これを洗脳して我が軍の兵士とすれば大きな戦力ともなるだろう。オスカリ、この娘を連れて行くぞ!」


「へいへい、お任せを。にしてもドク、なんで大人は連れて行かねえ?」


 多くの帝国軍人が王都に攻めていって魔法学園や王国軍の司令部に襲撃を掛けているというのに、連れて行くのは子供だけだというドクの計画にオスカリは理解できなかった。明らかに戦力としては成熟した魔導師の方が使い勝手が良いはずだ、と。そのオスカリの考えを察して、ドクはチッと舌打ちする。


「大人など使い物にならん。だが子供はいい。兵器としても盾としても優秀だ。洗脳しておけば戦力になるし、王国の者たちは口を揃えてこう言うのだよ。『罪のない子供だ』と。奴らは子供を殺せない。だが我々は逆だ。それが甘っちょろい王国軍と、我々帝国軍の違いだとも。馬鹿には分からんかもしれないが」


 明らかな悪口だったがオスカリは気にする様子もなくアデルハイトを連れ去ろうとする。自分は戦えればそれで構わないんだから、と。


「さあ、行こうぜお嬢ちゃん。これからは帝国がお前の祖国だ」


 手を伸ばそうとした瞬間────。


「その薄汚い手で、わちきのアデルに触るんじゃねえ」


 ドクもオスカリも何が起きたのか分からない。瞬きはしていなかったと自覚はあっても、見逃してしまった事に驚かされた。いつの間かオスカリが遠くへ蹴り飛ばされて仰向けに倒れ、立ちあがる事ができないでいる。ドクが振り返ったときには、その巨体の上に足を乗せて立っている巨躯を持った女が目に映った。


「き、貴様いったい何者だ……!?」


「名乗る前にてめえで名乗らんかい、ゴミ共が」


 阿修羅がぎろりと睨んだだけで、ドクは全身を脱力させた。なんと怖ろしいと言葉を出す事さえ躊躇われた。


「この怪力女め、俺が簡単にやれると思うなよ」


 足をグッと掴まれて阿修羅がオスカリを見下ろす。


「なんじゃい。それで逃げられるとでも思うておるのか?」


「ハッ、馬鹿が! 逃げるつもりなんかねえよ!」


 軍手が燃え、手が赤く熱を帯びていく。


「熱っ……! この、放せ、木偶が! 放さんか!」


「その足、俺もろとも頂く!」


 オスカリの腕は鋼鉄で作られた義手だ。掌には超高密度の魔力が詰まった魔石がはめ込まれており、自爆特攻とも取れるオスカリの捨て身の行動は阿修羅の片足を自分ごと爆破して吹き飛ばしてみせた。


 振り解こうとしても溶けた鉄は焼けて阿修羅の足に絡みついてどれだけの力を振り絞っても離れず、腕を引き千切ってやると狙った直後の事だ。


「いいぞ、オスカリ。お前の体はまた修理してやるとも」


 懐から投げた小さな四角い鉄の塊は瞬く間に幅広で分厚い壁となってドクを守った。爆発が収まると、ドクは埋め込まれた魔石に指を触れ、また小さな鉄の塊に戻して回収する。倒れている阿修羅を見てニヤッとしながら。


「ふう。怖ろしい怪物だったがよくやった、オスカリ」


 倒れている阿修羅は爆心地にいた事で全身がズタズタになるほどの大打撃を受けており、片足が完全に消し飛んで大量の出血をしている。それでもまだ意識はハッキリしていて、首だけになっても咬みつきそうな気迫があった。


「て、てめえら……嘗めた真似をしてくれる……!」


「おお、怖い怖い。しかし凄んだところで戦えまい。虚勢など張るものじゃないぞ。最初から全力を出しておればこうはならなかっただろうに」


 ぞろぞろと帝国軍の兵士たちがやってくると、ドクはオスカリの傍に屈んで、そっと動かなくなった実験の産物を愛おしそうに撫でた。


「お前たち、作戦はどうなった?」


「魔力測定装置で基準を満たしたものはあらかた捕まえましたが、何匹かには逃げられたようです。ですが、そろそろ引き上げませんと……」


 ふむ、とドクは顎をさすって少しだけ考える素振りをみせる。


「そうだな。独断で参った事だ、陛下も気を揉んでいる事だろう。とはいえ成果を持ち帰れば多少は機嫌もよくなるはずだ。オスカリもこのザマだから計画はここまでにしよう。そこにいる子供だけでも持ち帰って────」


 突然、遠くから跳んできた紫色に発光する球体が兵士たちを直撃して、感電させる。およそ三十名いたが、全員がうめき声をあげてその場に倒れた。


「作戦は失敗だと思いますよ。どなたか存じ上げませんが、帝国兵にくれてやる大切な子供などひとりもおりません」


 気の抜けた顔つきが真剣になり、手には大きな聖樹で作られた杖を持つ魔法使いが穏やかな足取りでやってきて、とても不満げに眼鏡を中指で持ち上げた。


「自己紹介が遅れました。私はフェデリコ・ブラッドフォード。ああ、覚えなくていいですよ。────あなたはここで殺しますから」

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