一話
雨が降っていた。木々がざわざわ音をたてている。ここは湖だ。広い広い湖だ。太陽光が湖と反射し、岸に立つ男の姿をほんの少しばかり、照らしている。雨に濡れながら、男は暫く池の水を覗いていた。
いったいどれだけの時間がたっただろう。男は深呼吸を一つつくと、『タッ』と湖へと跳び立った。ただ男は遠泳を楽しもうというわけではなく、そこから何時間しようとも、再び顔を出すことはなかった。雨は、いつの間にかやんでいた。
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いつも言われる。いつも、言われるんだ。外を歩いていたって、勉強してたって、公園のベンチで一息つくときも......映画館であの映画をみて感動していた時でさえも、周りから聞こえてくるんだ。
「バケモノ。」
って。
何で、僕の顔はみんなと違うんだろう。どうして皆、僕の顔を見た途端不快そうな顔をするの?僕は何にもやってない。悪いことなんて、やってなんかないっ......
少年はベットにくるまって一人、今日もまた、泣きながら朝を迎えた。その少年の顔は、形容しがたい、いうなればナメクジのようであった。枕には大きなしみがついており、細くなった目はどこかを見つめているようだ。
彼はベットから起き上がり、洗面台に向う。鏡の割れた洗面台にて少年は朦朧とした意識をはっきりとさせ、階段を下りた。
案の定、親はいない。少年は何ら驚くでもなく、次にキッチンに向かった。冷え切ったコッペパンを片手に少年は席に着く。そして今日もぼんやりと考えた。
どうして僕は、こうなんだ____________?
こうなんだ、とは、特定の一事情を指しているのではない。彼の周りのすべての事象のことをいっていた。少年は学校にはいかない。
今から、三年ほど前のことになるだろうか。
待っているのはイジメだけ、漫画に出てくるような転校生はいない。少年はわかっていた。しかし彼はそれでも、そんなスーパーヒーローの出現に期待して、毎日地獄の日々をすごしていた。
当時の少年のあだ名は、「ナメクジ星人」。小学生らしいなんのひねりのない、かつ純粋な悪意は少年を苦しめていた。加えて、本来はいさめる立場にあるはずの教師も、彼を「ナメクジ君」と呼ぶ始末。彼はいつも学校の人気者として扱われていた。
しかしそんな少年にも、ただ一人、彼にとっての太陽は確かにいた。それは隣の席の女の子だ。名前は忘れてしまったが、彼女が自分に笑いかけてくれたあの一瞬。あれは彼の心のよりどころであった。そう、少年は彼女のことが好きだったのである。
ある日、少年は勇気を出して放課後、彼女を呼び出し告白した。無論結果はNG。しかし少年には振られる未来などわかっていたことだったし、この思いを伝えられただけでよかった。だが、問題はここからだった。彼は放課後、公園で空を見ていた。すると偶然、ベンチ前の通行路にその少女と友人が歩いているのを見つけた。彼はこの偶然に喜んだ、が、その喜びはすぐに消滅することになる。
「ねえねえそれってホントぉ~?」
「ホントホント!まじできもいよねえ~あんなツラして私に告白なんてwww鏡みろって話だよね~」
「わ・か・るぅ~www」
「一回微笑みかけただけで惚れるなんて、キモチわる~」
「キャハハハ」
その事実は少年の耳を通じ、脳へと。その後全身に回る感覚を持たせ、少年は暫くの間、ショックで息ができなかった。「はあ、はあ、あ、ああ、」
俺って気持ち悪い......心までも.....
感情が荒れ狂う。少年は地面に崩れ落ち、二時間ほどして帰宅。その後学校に行くことはなかった。このことを親に伝えた時の
「あっそ」
という言葉は今も少年の耳に残っている。
少年はコッペパンを食べ終えると、玄関の扉を開けた。無論学校に行こうというのではない。
今、少年がまだこの世にいたのは理由があった。少年は歩く。歩く。住宅街を抜け、雑木林を抜ける。少年は美しい川を見つけ、その上流に位置する木造の一軒家に向かった。木に手をかけ、ほんの少しの傾斜を上り、そして古びたドアを開ける。かぎはかかっておらず、ぎしぎしと音を立てながら少年は奥の廊下を渡り、一番奥の部屋のドアを開けた。
そこにはベットに伏している一人の老人の姿があった。
老人は言った。
「やあ、こんにちはショウちゃん。元気にしてたかい?」
「シンゴさんっ」
少年は嬉しそうにベットのそばへと駆け寄り、こう返した。
「おじさんこそ、調子はどう?」
老人はうれしそうな様子で、
「ショウちゃんこそ、元気そうだね。声から伝わってくるよ.....」
そうなのだ。この老人は盲目である。故に発達した聴覚が彼を生かすよりどころとした。恐らく少年が川の下流付近に来たころにはすでに、その存在に気付いていたのではなかろうか。
少年と老人は暫く話をしていたが、日が暮れそうになったので少年は家に帰ることにした。姿が見えなくなるまで手を振って歩く帰り道。少年は思うのだ。シンゴさんとの出会い、そして自分のこと。
もし、シンゴさんの目が見えていたのなら、今のように優しく接してくれていたのかな__________
少年は考えるのをやめた。
「ただいまぁ......あれ...」
物音がする。母か、父かが帰ってきたのだろうか。少年はどれだけ頼りない親か知っていたのだが、笑顔。うれしくてたまらなかった。その時だった。
『ザッザッザッ』
なんだあの人たちは。黒ずくめ、サングラスから靴下まで.....これは嫌な予感がする。しかし少年は恐怖と、突然のことで動けない。
『ビリッッ』
なんだ?わからない。ただそこにあること、ああ意識が途切れゆく.....
後ろの方に黒服から金をもらう両親の姿が見えた。
目覚めたのは、痛みによるものだった。身を切り捨てたくなるほどの熱。熱い。少年は周りを見渡そうとする。だが、見渡せない。
何が起こったのだろう。
どれだけ時間がたったのかわからない。
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飽きたのだろうか。顔を見られていないサディストどもは少年を裏路地に捨てた。
少年はゴミだめのうえ、かすかに残る視力で星を眺めた。
嗚呼、今頃世界一の幸せ者もこの星を眺めてるんだろうなあ....._______________________
時間の経過が少年の意識をはっきりさせた。ここから逃げなければ。そう思ったころには既に日が登り始めていた。
けれど、どこに帰ろう。親にあったって、どうしようも、どうもこうもない。こうなった以上、ただ殴られて、追い出されるだけだろう。
そして少年は木造建築の一軒家に行く事にした。他に選択肢はなかった。
微かな視界で、いつもの雑木林を抜ける。その足取りは重い。心情的なものでなく、身体的。視力の低下によるものである。しかし少年はシンゴさんの生活を知っていたし、これはこれで悪くないのかなと思ってしまっていた。
『ガチャ…ギギギギ..』
いつもの音だ。今頃、僕が来たのに気づいたくらいだろう。少年は廊下を渡り、奥の方の扉を開ける。その時少年に電流が走った。
い、いない。
どういう事だ。シンゴさんは元精神科医。お金のトラブルではないだろう。視力がないので遠出もできまい。ではなぜ。
少年は待った。待った。何度も日が昇り降りした。しかし、老人は二度と姿を表すことはなかった。
少年は三日目の朝、木造建築の一軒家におじぎし、近所の池に向かった。
どうもこうもない。少年にとっての生きる希望というのは老人の存在出会ったのに、その老人が消えてしまったとなれば、選択は一つしかなかった。池までの道のりを、一歩一歩進む。
しかし意外にも、少年の心は晴れやかであり、冷静に死を見つめているのであった。自分の意思で死に向かっている。死のうと思って死ねるということは少年にとっての、別の観点で見て希望だったのだ。少年が歩くたび、街中では悲鳴が上がる。少年は、
「僕の顔はどうなっているんだろう」
と思わんでもなかったが、すぐにどうでもいいという結論に至った。
遂に少年はいけにたどり着いた。
そして池の前につき、覚悟を決める。今までの人生に思いを巡らせた。
本当に不思議。世界一不幸で、幸福なものだったな。
足を一歩踏み出した。
地獄からの使者スパイダーマ