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夏目漱石「それから」本文と評論15-4「さう云ふ親類が一軒位あるのは、大変な便利で、且つ此際(このさい)甚だ必要ぢやないか」

◇本文

 定刻になつて、代助は出掛けた。足駄穿(あしだばき)で雨傘を()げて電車に乗つたが、一方の窓が締め切つてある上に、革紐にぶら下がつてゐる人が一杯なので、しばらくすると胸がむかついて、頭が重くなつた。睡眠不足が影響したらしく思はれるので、手を窮屈に伸ばして、自分の後ろ丈を開け放つた。雨は容赦なく襟から帽子に吹き付けた。二三分の後隣の人の迷惑さうな顔に気が付いて、又元の通りに硝子窓を上げた。硝子の表側には、弾けた雨の(たま)(たま)つて、往来が多少 (ゆが)んで見えた。代助は首から上を()ぢ曲げて眼を外面(そと)()けながら、(いく)たびか自分の眼を(こす)つた。然し何遍擦つても、世界の恰好が少し変つて来たと云ふ自覚が取れなかつた。硝子を通して斜めに遠方を透かして見るときは猶 左様(さう)いふ感じがした。

 弁慶橋で乗り換えてからは、人もまばらに、雨も小降(こぶり)になつた。頭も楽に濡れた世の中を眺める事が出来た。けれども機嫌の悪い父の顔が、色々な表情を以て彼の脳髄を刺戟した。想像の談話さへ明らかに耳に響いた。

 玄関を上がつて、奥へ通る前に、例の如く一応嫂に逢つた。嫂は、

「鬱陶しい御天気ぢやありませんか」と愛想よく自分で茶を汲んで呉れた。然し代助は飲む気にもならなかつた。

「御父さんが待つて御出でせうから、一寸(ちよつ)と行つて話をして来ませう」と立ち掛けた。嫂は不安らしい顔をして、

「代さん、()らう事なら、年寄に心配を掛けない様になさいよ。御父さんだつて、もう長い事はありませんから」と云つた。代助は梅子の口から、こんな陰気な言葉を聞くのは始めてであつた。不意に穴倉へ落ちた様な心持がした。

 父は烟草盆を前に控えて、俯向(うつむ)いてゐた。代助の足音を聞いても顔を上げなかつた。代助は父の前へ出て、叮嚀に御辞儀をした。定めて六づかしい眼付きをされると思ひの外、父は存外穏やかなもので、

「降るのに御苦労だつた」と(いたは)つて呉れた。其時始めて気が付いて見ると、父の頬が何時の間にかぐつと()けてゐた。元来が肉の多い方だつたので、此変化が代助には余計目立つて見えた。代助は覚えず、

「何うか為さいましたか」と聞いた。

 父は親らしい色を一寸顔に動かした丈で、別に代助の心配を(もの)にする様子もなかつたが、少時(しばらく)話してゐるうちに、

「己も大分年を取つてな」と云ひ出した。其調子が何時(いつ)もの父とは全く違つてゐたので、代助は最前嫂の云つた事を愈重く見なければならなくなつた。

 父は年の所為(せゐ)で健康の衰へたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事を代助に()らした。けれども今は日露戦争後の商工業膨脹の反動を受けて、自分の経営にかゝる事業が不景気の極端に達してゐる最中だから、此難関を漕ぎ抜けた上でなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分已を得ずに辛抱してゐるより外に仕方がないのだと云ふ事情を委しく話した。代助は父の言葉を至極尤もだと思つた。

 父は普通の実業なるものゝ困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大地主の、一見地味であつて、其実自分等よりはずつと鞏固の基礎を有してゐる事を述べた。さうして、此比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させやうと力めた。

「さう云ふ親類が一軒位あるのは、大変な便利で、且つ此際(このさい)甚だ必要ぢやないか」と云つた。代助は、父としては寧ろ露骨過ぎる此政略的結婚の申し()でに対して、今更驚ろく程、始めから父を買ひ被つてはゐなかつた。最後の会見に、父が従来の仮面を脱いで掛かつたのを、寧ろ快く感じた。彼自身も、()んな意味の結婚を敢てし得る程度の人間だと(みづか)ら見積つてゐた。

 其上父に対して何時(いつ)にない同情があつた。其顔、其声、其代助を動かさうとする努力、凡てに老後の憐れを認める事が出来た。代助はこれをも、父の策略とは受取り得なかつた。私は()うでも()う御座いますから、貴方(あなた)の御都合の好い様に御極(おき)めなさいと云ひたかつた。 (青空文庫より)


◇評論

文化行事以外での時間が決められた行動は、代助にとってあまりない。「定刻になつて、代助は出掛けた」というのは、だから珍しいこととなる。しかしこの後の代助には、時間に追われる生活が待っている。

「電車」の「革紐にぶら下がつてゐる人が一杯なので、しばらくすると胸がむかついて、頭が重くなつた」。ラッシュ時に乗らないと通勤に支障がある人たちにとって、これは日常だ。それらの人たちにとって、「自分の後ろ丈を開け放」つ代助の行動は「迷惑」だ。従って彼は、「又元の通りに硝子窓を上げ」ることになる。「硝子の表側には、弾けた雨の(たま)(たま)つて、往来が多少 (ゆが)んで見えた」。代助には、「世界の恰好が少し変つて来たと云ふ自覚が取れ」ないが、これもまた世の通勤客にとっては見慣れた風景だ。これから代助は、そのような「世界」へと向かわなければならないことを暗示している。


「玄関を上がつて、奥へ通る前に、例の如く一応嫂に逢つた。嫂は、

「鬱陶しい御天気ぢやありませんか」と愛想よく自分で茶を汲んで呉れた」。また「嫂は不安らしい顔をして、「代さん、()らう事なら、年寄に心配を掛けない様になさいよ。御父さんだつて、もう長い事はありませんから」と云つた」。代助は梅子の「陰気な言葉を聞くのは始めて」であり、「不意に穴倉へ落ちた様な心持がした」。代助とこれからの成り行きを心配する嫂。


父との面会は次のように進む。

対面し、「父の頬が何時の間にかぐつと()けてゐた」ことに「其時始めて気が付」く代助。「元来が肉の多い方だつたので、此変化が代助には余計目立つて見えた」。「己も大分年を取つてな」という「其調子が何時(いつ)もの父とは全く違つてゐたので、代助は最前嫂の云つた事を愈重く見なければならなくなつた」。

〇父の説明

・「年の所為(せゐ)で健康の衰へたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事」

・「けれども今は日露戦争後の商工業膨脹の反動を受けて、自分の経営にかゝる事業が不景気の極端に達してゐる最中だから、此難関を漕ぎ抜けた上でなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分已を得ずに辛抱してゐるより外に仕方がない」←「代助は父の言葉を至極尤もだと思つた」。

・「普通の実業なるものゝ困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心の苦痛及び緊張の恐るべき」こと→「地方の大地主の、一見地味であつて、其実自分等よりはずつと鞏固の基礎を有してゐる事」→「此比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させやうと力めた」=「さう云ふ親類が一軒位あるのは、大変な便利で、且つ此際(このさい)甚だ必要ぢやないか」

〇代助の反応

・「父としては寧ろ露骨過ぎる此政略的結婚の申し()でに対して、今更驚ろく」代助ではなく、「最後の会見に、父が従来の仮面を脱いで掛かつたのを、寧ろ快く感じた」。

・「彼自身も、()んな意味の結婚を敢てし得る程度の人間だと(みづか)ら見積つてゐた」+「父に対して何時(いつ)にない同情」があり、「顔」、「声」、「代助を動かさうとする努力」等、「凡てに老後の憐れを認め」た=「私は()うでも()う御座いますから、貴方(あなた)の御都合の好い様に御極(おき)めなさいと云ひたかつた」。


この時の父は、会社経営上の窮地にあったと考えられる。

前に日糖事件や東洋汽船の欠損の記事が取り上げられていた(8-1・①)が、代助は、父と兄の会社についても「いつ何んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた」(8-1・②)。平岡との面会でも、「ちと、君の家の会社の内幕でも書いて御覧に入れやうか」(13-6・③)と平岡から揶揄される場面があった。

①「其明日の新聞に始めて日糖事件なるものがあらはれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したと云ふ報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ々々々と評してゐたが、代助にはそれ程痛快にも思へなかつた。が、二三日するうちに取り調べを受けるものゝ数が大分多くなつて来て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立てる様になつた。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。其説明には、英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下したのだとあつた。

 日糖事件の起る少し前、東洋汽船といふ会社は、壱割二分の配当をした後の半期に、八十万円の欠損を報告した事があつた。それを代助は記憶して居た。其時の新聞が此報告を評して信を置くに足らんと云つた事も記憶してゐた。」

②「代助は自分の父と兄の関係してゐる会社に就ては何事も知らなかつた。けれども、いつ何んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた。さうして、父も兄もあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜敷しい吟味をされたなら、両方共拘引に価する資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた。それ程でなくつても、父と兄の財産が、彼等の脳力と手腕丈で、誰が見ても尤もと認める様に、作り上げられたとは肯はなかつた。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与へた事がある。其時たゞ貰つた地面の御蔭で、今は非常な金満家になつたものがある。けれども是は寧ろ天の与へた偶然である。父と兄の如きは、此自己にのみ幸福なる偶然を、人為的に且政略的に、暖室を造つて、拵え上げたんだらうと代助は鑑定してゐた。」

③「「僕は経済方面の係りだが、単にそれ丈でも中々面白い事実が挙つてゐる。ちと、君の家の会社の内幕でも書いて御覧に入れやうか」

(中略) 

「いえ、僕の兄の会社ばかりでなく、一列一体に筆誅して貰ひたいと云ふ意味だ」

 平岡は此時邪気のある笑ひ方をした。さうして、「日糖事件丈ぢや物足りないからね」と奥歯に物の挟まつた様に云つた。」

また、父と兄は大変忙しい様子であったことが何度も記される。


おまけに当時は大変な不景気だった。父は説明する。「今は日露戦争後の商工業膨脹の反動を受けて、自分の経営にかゝる事業が不景気の極端に達してゐる最中」であり、「普通の実業なるものゝ困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた」。「地方の大地主の、一見地味であつて、其実自分等よりはずつと鞏固の基礎を有してゐる事を述べた」のは、現今の事業の窮地を、「今度の結婚を成立させ」ることによって埋めようとしたからだった。「さう云ふ親類」は「大変な便利で、且つ此際(このさい)甚だ必要」だという「露骨過ぎる此政略的結婚の申し()で」。このように「父が従来の仮面を脱いで掛かつたのを」代助は「寧ろ快く感じ」る。


代助は父との「最後の会見」において、次話で自己の考えを主張する。

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