夏目漱石「それから」本文と評論15-3「もし筆を執らなかつたら、彼は何をする能力があるだらう」
◇本文
其夕方始めて父からの報知に接した。其時代助は婆さんの給仕で飯を食つてゐた。茶碗を膳の上へ置いて、門野から手紙を受取つて読むと、明朝何時迄に御出での事といふ文句があつた。代助は、
「御役所風だね」と云ひながら、わざと端書を門野に見せた。門野は、
「青山の御宅からですか」と叮嚀に眺めてゐたが、別に云ふ事がないものだから、表を引つ繰り返して、
「何うも何ですな。昔の人は矢っ張り手蹟が好い様ですな」と御世辞を置き去りにして出て行つた。婆さんは先刻から暦の話をしきりに為てゐた。みづのえだのかのとだの、八朔だの友引だの、爪を切る日だの普請をする日だのと頗る煩いものであつた。代助は固より上の空で聞いてゐた。婆さんは又門野の職の事を頼んだ。十五円でも宜いから何方へ出して遣つて呉れないかと云つた。代助は自分ながら、何んな返事をしたか分からない位気にも留めなかつた。たゞ心のうちでは、門野 所か、この己が危しい位だと思つた。
食事を終るや否や、本郷から寺尾が来た。代助は門野の顔を見て暫らく考へてゐた。門野は無雑作に、
「断りますか」と聞いた。代助は此間から珍らしくある会を一二回欠席した。来客も逢はないで済むと思ふ分は両度程謝絶した。
代助は思ひ切つて寺尾に逢つた。寺尾は何時もの様に、血眼になつて、何か探してゐた。代助は其様子を見て、例の如く皮肉で持ち切る気にもなれなかつた。翻訳だらうが焼き直しだらうが、生きてゐるうちは何処迄も遣る覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会の児らしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果して何の位の仕事に堪えるだらうと思ふと、代助は自分に対して気の毒になつた。さうして、自分が遠からず、彼よりも甚く失脚するのは、殆んど未発の事実の如く確かだと諦めてゐたから、彼は侮蔑の眼を以て寺尾を迎へる訳には行かなかつた。
寺尾は、此間の翻訳を漸くの事で月末迄に片付けたら、本屋の方で、都合が悪いから秋迄出版を見合せると云ひ出したので、すぐ労力を金に換算する事が出来ずに、困つた結果 遣つて来たのであつた。では書肆と契約なしに手を着けたのかと聞くと、全く左様でもないらしい。と云つて、本屋の方が丸で約束を無視した様にも云はない。要するに曖昧であつた。たゞ困つてゐる事丈は事実らしかつた。けれども斯う云ふ手違ひに慣れ抜いた寺尾は、別に徳義問題として誰にも不満を抱いてゐる様には見えなかつた。失敬だとか怪しからんと云ふのは、たゞ口の先許で、腹の中の屈托は、全然飯と肉に集注してゐるらしかつた。
代助は気の毒になつて、当座の経済に幾分の補助を与へた。寺尾は感謝の意を表して帰つた。帰る前に、実は本屋からも少しは前借はしたんだが、それは疾の昔に使つて仕舞つたんだと自白した。寺尾の帰つたあとで、代助はあゝ云ふのも一種の人格だと思つた。たゞ斯う楽に活計してゐたつて決して為れる訳のものぢやない。今の所謂文壇が、あゝ云ふ人格を必要と認めて、自然に産み出した程、今の文壇は悲しむべき状況の下に呻吟してゐるんではなからうかと考へて茫乎した。
代助は其晩自分の前途をひどく気に掛けた。もし父から物質的に供給の道を鎖ざされた時、彼は果して第二の寺尾になり得る決心があるだらうかを疑つた。もし筆を執つて寺尾の真似さへ出来なかつたなら、彼は当然餓死すべきである。もし筆を執らなかつたら、彼は何をする能力があるだらう。
彼は眼を開けて時々蚊帳の外に置いてある洋燈を眺めた。夜中に燐寸を擦つて烟草を吹かした。寐返りを何遍も打つた。固より寐苦しい程暑い晩ではなかつた。雨が又ざあ/\と降つた。代助は此雨の音で寐付くかと思ふと、又雨の音で不意に眼を覚ました。夜は半醒半睡のうちに明け離れた。 (青空文庫より)
◇評論
「其夕方始めて父からの報知に接した」。待ちに待った父からの呼び出しがやっとかかったのだ。
「婆さんは又門野の職の事を頼んだ。十五円でも宜いから何方へ出して遣つて呉れないかと云つた。代助は自分ながら、何んな返事をしたか分からない位気にも留めなかつた。たゞ心のうちでは、門野 所か、この己が危しい位だと思つた」。これはこの後すぐ現実化する伏線となっている。
「食事を終るや否や、本郷から寺尾が来た」。この場面での寺尾の突然の登場は、やがて代助も、彼と同じような境遇になることの暗示となっている。「寺尾は何時もの様に、血眼になつて、何か探して」いる男だ。代助も同じ境遇となる。彼はそれを予感しており、「翻訳だらうが焼き直しだらうが、生きてゐるうちは何処迄も遣る覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会の児らしく見えた」という感想を漏らす。「自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果して何の位の仕事に堪えるだらうと思ふと、代助は自分に対して気の毒になつた」とは、まだまだ自分とその見通しに甘い代助の様子。「自分が遠からず、彼よりも甚く失脚するのは、殆んど未発の事実の如く確かだと諦めてゐたから、彼は侮蔑の眼を以て寺尾を迎へる訳には行かなかつた」。明るい未来が描けない代助もやがて、「すぐ労力を金に換算する事が出来ずに、困つた」状態になるだろう。
寺尾の「腹の中の屈托は、全然飯と肉に集注してゐるらし」く、「代助は気の毒になつて、当座の経済に幾分の補助を与へた」。暗い見通ししかたたない代助はもはや寺尾に「補助を与へ」る立場ではない。ここにも代助の甘さが見られる。
「あゝ云ふのも一種の人格だ」、「今の所謂文壇が、あゝ云ふ人格を必要と認めて、自然に産み出した程、今の文壇は悲しむべき状況の下に呻吟してゐるんではなからうか」と、「茫乎」考える代助。今の彼は、文壇の心配をしている場合ではない。
「代助は其晩自分の前途をひどく気に掛けた」。
「父から物質的に供給の道を鎖ざされた時」、「果して第二の寺尾になり得る決心があるだらうか」。
1、「筆を執つて寺尾の真似」ができない→「当然餓死」
2、「もし筆を執らなかつたら、彼は何をする能力があるだらう」→答えが得られない。「夜は半醒半睡のうちに明け離れた」。
「明け離れる」…早朝、地平線からまず明るく白くなり、段段暗さが薄らいで行く。(三省堂「新明解国語辞典」)




