夏目漱石「それから」本文と評論14-9「だつて、あの時から、もう違つてゐらしつたんですもの」
◇本文
三千代の兄と云ふのは寧ろ豁達な気性で、懸隔てのない交際振から、友達には甚く愛されてゐた。ことに代助は其親友であつた。此兄は自分が豁達である丈に、妹の大人しいのを可愛がつてゐた。国から連れて来て、一所に家を持つたのも、妹を教育しなければならないと云ふ義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情合と、現在自分の傍に引き着けて置きたい欲望とからであつた。彼は三千代を呼ぶ前、既に代助に向つて其旨を打ち明けた事があつた。其時代助は普通の青年の様に、多大の好奇心を以て此計画を迎へた。
三千代が来てから後、兄と代助とは益親しくなつた。何方が友情の歩を進めたかは、代助自身にも分からなかつた。兄が死んだ後で、当時を振り返つて見る毎に、代助は此の親密の裡に一種の意味を認めない訳に行かなかつた。兄は死ぬ時迄それを明言しなかつた。代助も敢て何事をも語らなかつた。斯くして、相互の思はくは、相互の間の秘密として葬られて仕舞つた。兄は在生中に此意味を私に三千代に洩らした事があるかどうか、其所は代助も知らなかつた。代助はたゞ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得た丈であつた。
代助は其頃から趣味の人として、三千代の兄に臨んでゐた。三千代の兄は其方面に於て、普通以上の感受性を持つてゐなかつた。深い話しになると、正直に分からないと自白して、余計な議論を避けた。何処からか arbiterアービター elegantiarumエレガンシアルム と云ふ字を見付出して来て、それを代助の異名の様に濫用したのは、其頃の事であつた。三千代は隣の部屋で黙つて兄と代助の話を聞いてゐた。仕舞にはとう/\ arbiterアービター elegantiarumエレガンシアルム と云ふ字を覚えた。ある時其意味を兄に尋ねて、驚ろかれた事があつた。
兄は趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた。代助を待つて啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会を出来る丈与へる様に力めた。代助も辞退はしなかつた。後から顧みると、自ら進んで其任に当つたと思はれる痕迹もあつた。三千代は固より喜んで彼の指導を受けた。三人は斯くして、巴の如くに回転しつゝ、月から月へと進んで行つた。有意識か無意識か、巴の輪は回るに従つて次第に狭まつて来た。遂に三巴が一所に寄つて、丸い円にならうとする少し前の所で、忽然其一つが欠けたため、残る二つは平衡を失なつた。
代助と三千代は五年の昔を心置なく語り始めた。語るに従つて、現在の自己が遠退いて、段々と当時の学生時代に返つて来た。二人の距離は又元の様に近くなつた。
「あの時兄さんが亡くならないで、未だ達者でゐたら、今頃私は何うしてゐるでせう」と三千代は、其時を恋しがる様に云つた。
「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」
「別な人にはなりませんわ。貴方は?」
「僕も同じ事です」
三千代は其時、少し窘める様な調子で、
「あら嘘」と云つた。代助は深い眼を三千代の上に据ゑて、
「僕は、あの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくは眼を相手から離さなかつた。三千代は忽ち視線を外した。さうして、半ば独り言の様に、
「だつて、あの時から、もう違つてゐらしつたんですもの」と云つた。
三千代の言葉は普通の談話としては余りに声が低過ぎた。代助は消えて行く影を踏まへる如くに、すぐ其尾を捕えた。
「違やしません。貴方にはたゞ 左様見える丈です。左様見えたつて仕方がないが、それは僻目だ」
代助の方は通例よりも熱心に判然した声で自己を弁護する如くに云つた。三千代の声は益低かつた。
「僻目でも何でも可くつてよ」
代助は黙つて三千代の様子を窺(うかゞ)つた。三千代は始めから、眼を伏せてゐた。代助には其長い睫毛の顫へる様が能く見えた。 (青空文庫より)
◇評論
今話は、代助と三千代の静謐な時間の流れが描かれる。ふたりは、ともすれば今にもほとばしりそうになる自分の心を抑え、自分の心と相手の心の深層を探ろうとする。会話によって、自分と相手の心を一つ一つ確かめ合うのだ。
過去に戻ることはできない。しかし、過去を振り返ることで、現在を知ることはできる。さらにふたりは、未来までも見出そうとするだろう。
代助と三千代をつないだのは、「三千代の兄」だった。三千代の兄と代助の心情が、語り手によって細やかに述べられる。
兄は「豁達な気性で、懸隔てのない交際振から、友達には甚く愛されてゐた。ことに代助は其親友であつた」。また、「妹の大人しいのを可愛がつてゐた」。彼女を「国から連れて来て、一所に家を持つたの」は、「全く妹の未来に対する情合と、現在自分の傍に引き着けて置きたい欲望とからであつた」。「彼は三千代を呼ぶ前、既に代助に向つて其旨を打ち明けた事があつた」。兄のこの行動は、代助を特別な存在だと認識していることを表す。代助にとって女性の話題は当然、「普通の青年の様に、多大の好奇心を以て此計画を迎へた」。代助にしてみれば、妹を上京させ同居するという私的な相談を持ち掛けられ、自分は兄に信頼されていると感じるとともに、その妹にも会う前から親しみを感じただろう。兄と代助の信頼関係は、三千代との面会後、さらに強くなる。「三千代が来てから後、兄と代助とは益親しくなつた」。その理由を語り手は、「何方が友情の歩を進めたかは、代助自身にも分からなかつた」と説明する。この作用は、何度もこの物語に登場する、「自然」(神の作用)によるものだと、代助自身は感じているだろう。さらに、「兄が死んだ後で、当時を振り返つて見る毎に、代助は此の親密の裡に一種の意味を認めない訳に行かなかつた」。兄は妹を代助に周旋する意志があったと代助はおぼろげながら察するのだ。しかし「兄は死ぬ時迄それを明言しなかつた。代助も敢て何事をも語らなかつた」。兄の意志は代助に明示されない。しかし代助はそれを感じ取っている。「斯くして、相互の思はくは、相互の間の秘密として葬られて仕舞つた」。この明示されない意志を、「兄は在生中に此意味を私に三千代に洩らした事があるかどうか、其所は代助も知らなかつた」。兄と三千代との間の意思の疎通も分からない。代助を巡って二人がどのような会話を交わし、またどこまで決めていたのかが不明。「代助はたゞ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得た丈であつた」。兄の意志が明示されないだけでなく、三千代本人の気持ちも明示されない。代助はその「挙止動作と言語談話」から「ある特別な感じ」を推察するしかなかった。また、代助自身が兄と三千代にどのような意志を表明していたのかが描かれない。結局三人は、自分の意志を隠し、ほのめかすことによってそれを相手に推察させようとしていたことになる。
「代助は其頃から趣味の人として、三千代の兄に臨んでゐた」。これに対し「三千代の兄は其方面に於て、普通以上の感受性を持つてゐなかつた」。「兄は趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた」。そうして、「代助を待つて啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会を出来る丈与へる様に力めた」。兄は、「趣味」を媒介として、代助と妹を結び付けようとする。「代助も辞退はしなかつた。後から顧みると、自ら進んで其任に当つたと思はれる痕迹もあつた」。ここに代助の三千代への好意が示される。「三千代は固より喜んで彼の指導を受けた」。「固より」とあるから、代助の指導を受けることは三千代にとって「言うまでもなく」「喜」ぶべきことだった。趣味を介して親しみ、互いの好意を感じあう代助と三千代。
「三人は斯くして、巴の如くに回転しつゝ、月から月へと進んで行つた。有意識か無意識か、巴の輪は回るに従つて次第に狭まつて来た」。
兄は代助を親友として見込んでいる。また、妹の将来を任せるのはこの男と考えている。代助と三千代は交流によって親密の度合いが強くなっていく。
「遂に三巴が一所に寄つて、丸い円にならうとする少し前の所で、忽然其一つが欠けたため、残る二つは平衡を失なつた」。
「三巴が一所に寄つて、丸い円にならうとする」完成形は、三者が自分の思いを明示し、代助と三千代が結婚することだ。その直前で兄が亡くなってしまったため、代助と三千代の関係・バランスも崩れてしまった。
「 arbiterアービター elegantiarumエレガンシアルム」
…ラテン語。趣味の審判者、の意味。(角川文庫注釈より)
代助自身が、「自然」(神の意志)により審判されることになる。
昔、代助と三千代はそれぞれの思いをはっきり言っておらず、最終的な相手の気持ちの確認をしていなかった。過去を取り戻す作業を、いま、ふたりはしようとする。
「代助と三千代は五年の昔を心置なく語り始めた。語るに従つて、現在の自己が遠退いて、段々と当時の学生時代に返つて来た。二人の距離は又元の様に近くなつた」。
「あの時兄さんが亡くならないで、未だ達者でゐたら、今頃私は何うしてゐるでせう」と三千代は、其時を恋しがる。
「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」
「別な人にはなりませんわ。貴方は?」
「僕も同じ事です」
三千代は其時、少し窘める様な調子で、
「あら嘘」と云つた。代助は深い眼を三千代の上に据ゑて、
「僕は、あの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくは眼を相手から離さなかつた。三千代は忽ち視線を外した。さうして、半ば独り言の様に、
「だつて、あの時から、もう違つてゐらしつたんですもの」と云つた。
「あの時兄さんが亡くならないで、未だ達者でゐたら、今頃私は何うしてゐるでせう」と昔を恋しがる三千代の言葉の意味は、
【兄の死→平岡と結婚】という現実と比較し、
【兄が死なない→ ? 】の部分についての問いであり、?には当然「平岡と結婚」とは違う結果が予想されることになる。さらに言うと、平岡と結婚しないのだから、代助と結婚したはずだと言いたいのだ。
それなのに代助はここで三千代をはぐらかす。この態度が、ふたりの人生を狂わせたと言ってもいいだろう。真面目に考え行動すべき時に、代助ははぐらかす。不真面目になる。そこが彼の欠点だ。ここで三千代は勇気を出して「あなたと結婚できたはずだ。あなたと結婚したがった。そうすれば幸せになれた」と言っているのだ。だから絶対にはぐらかしてはいけない場面だった。それなのに彼は、「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」と、三千代にちょっかいをかけるセリフを吐く。このセリフはウイットにも何もなっていない。戯れに言ってはいけないセリフだし場面だ。さらに言うと三千代は、代助への愛は昔と変わらない「同じ人」だが、現実には平岡の妻という存在であり、そこは「別の人」になりたいのだ。
まとめると、「今頃私は何うしてゐるでせう」という三千代の問いの答えとして、「別の人になつて居る訳ですか」という問いで返すのはおかしいし、その内容も不真面目で不適切だ。
代助に「別の人になつて居る訳ですか」と問われたので、三千代は仕方なく「別な人にはなりませんわ」と答えたのだ。「私は以前と変わらずあなたを愛している」という意味。だからここでも彼女は、代助へ愛情表現をした。
三千代の、「貴方は(私を愛しているの)?」という確認の問いに、「僕も同じ事です」、「僕は、あの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答える代助。しかし三千代は疑い、たしなめ、「さうして、半ば独り言の様に、「だつて、あの時から、もう違つてゐらしつたんですもの」と云つた」。
読者としては、「あの時から、もう違つて」いたとはどのように違っていたのかの内容と、また、現在も互いに愛し合うふたりなのに、代助の方が「あの時から、もう違つて」いたとはどういうことなのかが知りたいところだ。
ふたりの過去と物語の展開への興味がそそられる構成になっている。
「「違やしません。貴方にはたゞ 左様見える丈です。左様見えたつて仕方がないが、それは僻目だ」
代助の方は通例よりも熱心に判然した声で自己を弁護する如くに云つた」。
ここも読者は、なぜ三千代には違っているように見えるのか、また、そう見えることを代助はなぜ「仕方がない」と諦められるのかが知りたい。
「僻目」とは見間違いの意だが、三千代には代助が違っているように見間違える理由が示されない。
代助のこの言葉に対し、「僻目でも何でも可くつてよ」と拗ねる三千代の様子を黙って伺う代助。しかし「三千代は始めから、眼を伏せてゐた」ため、彼女の表情や目遣いをうかがうことはできない。代助に知ることができたのは、「其長い睫毛の顫へる様」だけだった。まつ毛の震えは感情の震えをあらわし、通常は泣いている様子を表すだろう。また、その震えは代助にも伝染するはずだ。従って次話で代助は、初めて三千代に自分の愛をはっきりと告白することになる。
今回のふたりのやりとりからもうかがわれるとおり、ふたりの言葉は簡潔すぎで省略が多い。これは、相手に、「すべて言わなくても分かるよね」と迫る態度だ。気心が知れた恋人同士のような甘い会話なのだが、これは一歩間違えば、誤解のもととなる。
この態度は、昔もそうだった。三者は言葉での意志表示を怠った。それが、現在のふたりの不幸につながっている。
そのことを反省するならば、今話のような省略形の会話は避けるべきだ。
また、先ほども述べたとおり、代助はわざと相手の意志と言葉をはぐらかす傾向があり、普段ならば笑いが起こるのだが、このような真剣な場面でそれを行うべきではない。過去に学ばない男。
これらの読者の不満は、次話冒頭の代助の言葉によって、やっと解消される。しかしそれは、代助自身「自覚」するとおり、「遅過ぎた」。あの時言えなかった言葉だ。




