夏目漱石「それから」本文と評論14-1「それから」における「自然」について
◇本文
自然の児にならうか、又意志の人にならうかと代助は迷つた。彼は彼の主義として、弾力性のない硬張つた方針の下に、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛するの愚を忌んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達して居る事を切に自覚した。
彼は結婚問題に就いて、まあ能く考へて見ろと云はれて帰つたぎり、未だに、それを本気に考へる閑を作らなかつた。帰つた時、まあ今日も虎口を逃れて難有かつたと感謝したぎり、放り出して仕舞つた。父からはまだ何とも催促されないが、此二三日は又青山へ呼び出されさうな気がしてならなかつた。代助は固より呼び出される迄何も考へずにゐる気であつた。呼び出されたら、父の顔色と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心 組みであつた。代助はあながち父を馬鹿にする了見ではなかつた。あらゆる返事は、斯う云ふ具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来るのが本当だと思つてゐた。
もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前迄押し詰つめられた様な気持ちがなかつたなら、代助は父に対して無論さう云ふ所置を取つたらう。けれども、代助は今相手の顔色 如何に拘はらず、手に持つた賽を投げなければならなかつた。上になつた目が、平岡に都合が悪からうと、父の気に入らなからうと、賽を投げる以上は、天の法則通りになるより外に仕方はなかつた。賽を手に持つ以上は、又賽が投げられ可く作られたる以上は、賽の目を極めるものは自分以外にあらう筈はなかつた。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで定めた。父も兄も嫂も平岡も、決断の地平線上には出て来なかつた。
彼はたゞ彼の運命に対してのみ卑怯であつた。此四五日は掌に載せた賽を眺め暮した。今日もまだ握つてゐた。早く運命が戸外から来て、其手を軽く敲いて呉れれば好いと思つた。が、一方では、まだ握つてゐられると云ふ意識が大層嬉しかつた。
門野は時々書斎へ来た。来る度に代助は洋卓の前に凝としてゐた。
「些と散歩にでも御出でになつたら如何(いかゞ)です。左様御勉強ぢや身体に悪いでせう」と云つた事が一二度あつた。成程顔色が好くなかつた。夏向きになつたので、門野が湯を毎日沸かして呉れた。代助は風呂場に行くたびに、長い間鏡を見た。髯の濃い男なので、少し延びると、自分には大層見苦しく見えた。触つて、ざら/\すると猶不愉快だつた。
飯は依然として、普通の如く食つた。けれども運動の不足と、睡眠の不規則と、それから、脳の屈托とで、排泄機能に変化を起した。然し代助はそれを何とも思はなかつた。生理状態は殆んど苦にする暇のない位、一つ事をぐる/\回つて考へた。それが習慣になると、終局なく、ぐる/\回つてゐる方が、埒の外へ飛び出す努力よりも却つて楽になつた。
代助は最後に不決断の自己嫌悪に陥つた。已を得ないから、三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断らうかと迄考へて、覚えず驚ろいた。然し三千代と自分の関係を絶つ手段として、結婚を許諾して見様かといふ気は、ぐる/\回転してゐるうちに一度も出て来なかつた。
縁談を断る方は単独にも何遍となく決定が出来た。たゞ断つた後、其反動として、自分をまともに三千代の上に浴びせかけねば已まぬ必然の勢力が来るに違ないと考へると、其所に至つて、又恐ろしくなつた。
代助は父からの催促を心待に待つてゐた。しかし父からは何の便りもなかつた。三千代にもう一遍逢はうかと思つた。けれども、それ程の勇気も出なかつた。
一番仕舞に、結婚は道徳の形式に於て、自分と三千代を遮断するが、道徳の内容に於て、何等の影響を二人の上に及ぼしさうもないと云ふ考が、段々代助の脳裏に勢力を得て来た。既に平岡に嫁いだ三千代に対して、こんな関係が起り得るならば、此上自分に既婚者の資格を与へたからと云つて、同様の関係が続かない訳には行かない。それを続かないと見るのはたゞ表向の沙汰で、心を束縛する事の出来ない形式は、いくら重ねても苦痛を増す許である。と云ふのが代助の論法であつた。代助は縁談を断るより外に道はなくなつた。 (青空文庫より)
◇評論
「自然の児にならうか、又意志の人にならうかと代助は迷つた」
…「それから」には「自然」の語が、「不自然」も含めて38回出てくる。
〇次に「自然」の用例を1から25例まで意味ごとに分類する。
A、「おのずから」の意味で用いられているもの
1、「勉強をする暇が自然となくなつて」2-4
2、「自然と金が貯つて」3-1
4、「平岡はしやべつてるうち、自然と此比喩に打つかつて、大いなる味方を得た様な心持がした」6-8
7、「話して見ると、平岡の事情は、依然として発展してゐなかつた。もう近頃は運動しても当分駄目だから、毎日斯うして遊んで歩く。それでなければ、宅に寐てゐるんだと云つて、大きな声を出して笑つて見せた。代助もそれが可からうと答へたなり、後は当たらず障らずの世間話に時間を潰してゐた。けれども自然に出る世間話といふよりも、寧ろある問題を回避する為の世間話ばなしだから、両方共に緊張を腹の底に感じてゐた」8-5
8、「大地は自然に続いてゐるけれども、其上に家を建てたら、忽ち切れぎれになつて仕舞つた」8-6
22、「だつて、君がさう外へ許り出てゐれば、自然金も要る。従つて家の経済も旨く行かなくなる。段々家庭が面白くなくなる丈ぢやないか」13-7
B、「当然そうなる・天然自然」の意味で用いられているもの
※この場合、「自然の~」という形になる。
3、「激すると云ふ心的状態は、死に近づき得る自然の階段で」4-1
13、「写真は奇体なもので、先づ人間を知つてゐて、その方から、写真の誰彼を極めるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定める方は中々六づかしい。是を哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云ふ真理に帰着する」
20、「しばらく黙然として三千代の顔を見てゐるうちに、女の頬から血の色が次第に退いて行つて、普通よりは眼に付く程蒼白くなつた。其時代助は三千代と差向ひで、より長く坐つてゐる事の危険に、始めて気が付いた。自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆つて、準縄の埒を踏み超えさせるのは、今二三分の裡にあつた」13-5
C、「無理なく」の意味で用いられているもの
5・6、「生涯一人でゐるか、或は妾を置いて暮らすか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた。只、今の彼は結婚といふものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持てなかつた事は慥かである。是は、彼の性情が、一図に物に向つて集注し得ないのと、彼の頭が普通以上に鋭くつて、しかも其鋭さが、日本現代の社会状況のために、幻像打破の方面に向かつて、今日迄多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知つてゐるのとに帰着するのである。が代助は其所迄解剖して考へる必要は認めてゐない。たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明らかな事実を握つて、それに応じて未来を自然に延ばして行く気でゐる。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時か之を成立させ様と喘る努力を、不自然であり、不合理であり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した」7-6
14、「誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋やら、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行つた。さうして、其中に自然令嬢の演ずべき役割を拵えた。令嬢はたゞ簡単に、必要な言葉丈を点じては逃げた」
D、「神の意志による規定」の意味で用いられているもの
9・10、「三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であつた。それを当時に悔ゆる様な薄弱な頭脳ではなかつた。今日に至つて振り返つて見ても、自分の所作は、過去を照らす鮮やかな名誉であつた。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前に頭を下げなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故三千代を貰つたかと思ふ様になつた。代助は何処かしらで、何故三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた。」8-6
…この「自然」は、これまでとは異なる深い意味を含んでいる。「人間がおのずからそうなるべく「天意」(13-9)によって支配された結果」という意味だ。だから逆らうすべを人は持たない。その「結果」には素直に従うしかない。そのようなとても強い力を持つものが「自然」だ。「神の意志による規定」と同義。
※なお、「天意」の語は「それから」に4例あるが、すべて13-9に出てくる。
15、16、17「彼は父と違つて、当初からある計画を拵らえて、自然(Dの用法)を其計画通りに強ひる古風な人ではなかつた。彼は自然(Dの用法)を以て人間の拵えた凡ての計画よりも偉大なものと信じてゐたからである。だから父が、自分の自然(Eの用法)に逆らつて、父の計画通りを強ひるならば、それは、去られた妻が、離縁状を楯に夫婦の関係を証拠立てやうとすると一般であると考へた」13-1
19、「「此間の事を平岡君に話したんですか」
三千代は低い声で、
「いゝえ」と答へた。
「ぢや、未だ知らないんですか」と聞き返した。
其時三千代の説明には、話さうと思つたけれども、此頃平岡はついぞ落ち付いて宅にゐた事がないので、つい話しそびれて未だ知らせずにゐると云ふ事であつた。代助は固より三千代の説明を嘘とは思はなかつた。けれども、五分の閑さへあれば夫に話される事を、今日迄それなりに為てあるのは、三千代の腹の中に、何だか話し悪い或る蟠まりがあるからだと思はずにはゐられなかつた。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のある人にして仕舞つたと代助は考へた。けれども夫れは左程に代助の良心を螫すには至らなかつた。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡も此結果に対して明かに責めを分かたなければならないと思つたからである。」13-3
21、「代助は辛うじて、今一歩と云ふ際どい所で、踏み留まつた。帰る時、三千代は玄関迄送つて来て、
「淋しくつて不可いから、又来て頂戴」と云つた。下女はまだ裏で張物をしてゐた。
表へ出た代助は、ふら/\と一丁程歩いた。好い所で切り上げたといふ意識があるべき筈であるのに、彼の心にはさう云ふ満足が些とも無かつた。と云つて、もつと三千代と対座してゐて、自然の命ずるが儘に、話し尽して帰れば可かつたといふ後悔もなかつた。」
22、「「三千代さんは淋しいだらう」
「なに大丈夫だ。彼奴も大分変つたからね」と云つて、平岡は代助を見た。代助は其眸の内に危しい恐れを感じた。ことによると、此夫婦の関係は元に戻せないなと思つた。もし此夫婦が自然の斧で割き限りに割かれるとすると、自分の運命は取り帰しの付かない未来を眼の前に控えてゐる。夫婦が離れゝば離れる程、自分と三千代はそれ丈接近しなければならないからである。」13-7
24、「此所で彼は一のヂレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔に返るか。何方かにしなければ生活の意義を失つたものと等しいと考へた。」13-9
25、「自然の児にならうか、又意志の人にならうかと代助は迷つた。彼は彼の主義として、弾力性のない硬張つた方針の下に、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛するの愚を忌んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達して居る事を切に自覚した。」14-1
E、「自分の心・感情に素直に従う」という意味で用いられているもの
11、「代助は父を怒らせる気は少しもなかつたのである。彼の近頃の主義として、人と喧嘩をするのは、人間の堕落の一範鋳になつてゐた。喧嘩の一部分として、人を怒らせるのは、怒らせる事自身よりは、怒つた人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云ふ点に於て、大切なわが生命を傷つける打撃に外ならぬと心得てゐた。彼は罪悪に就ても彼れ自身に特有な考を有つてゐた。けれども、それが為に、自然の儘に振舞ひさへすれば、罰を免かれ得るとは信じてゐなかつた。人を斬つたものゝ受くる罰は、斬られた人の肉から出でる血潮であると固く信じてゐた。迸る血の色を見て、清い心の迷乱を引き起さないものはあるまいと感ずるからである」9-4
18、「もし馬鈴薯が金剛石より大切になつたら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考へてゐた。向後父の怒りに触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に噛り付かなければならない。さうして其償ひには自然(D+E)の愛が残る丈である。其愛の対象は他人の細君であつた」13-1
F、「社会規範、習慣」の意味で用いられているもの
12、「彼は理論家として、友人の結婚を肯がつた。山の中に住んで、樹や谷を相手にしてゐるものは、親の取り極めた通りの妻を迎へて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来すものと断定した。其原因を云へば、都会は人間の展覧会に過ぎないからであつた」11-9
今話の冒頭の「自然の児にならうか、又意志の人にならうかと代助は迷つた。」は「自然」の用例の25例目となる。これは、直前の13-9に出てくる24例目の「此所で彼は一のヂレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔に返るか。何方かにしなければ生活の意義を失つたものと等しいと考へた。」を承けており、ともに「神の意志による規定」の意味で用いられている。「自然=天意・神の意志」を取るか、三千代への愛を抑えつける「意志」を取るかの二者択一に、「代助は迷つた」という場面。天意に反すれば当然天罰が下るだろう。
「自然の児にならうか、又意志の人にならうかと代助は迷つた。彼は彼の主義として、弾力性のない硬張つた方針の下に、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛するの愚を忌んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達して居る事を切に自覚した。」
…ここで代助は「意志」を、「弾力性のない硬張つた方針」・自己を「器械の様に束縛する」ものとする。今自分は、自己の「生活」を「一大断案を受くべき危機に」さらされている。「自然」・「天意」にとって「愚」なことは、三千代への思いを捨て去ることだ。
従って、ここでの「意志」は、通常用いられる「自己の考え(として尊重すべきもの)」ではなく、逆に「自然」を妨げるものとなる。
これまで、「結婚問題に就いて」「放り出して仕舞つ」ていた代助。「父からはまだ何とも催促され」ず、「呼び出されたら、父の顔色と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心 組みであつた」。「あらゆる返事は、斯う云ふ具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来るのが本当だと思つてゐた」。このように、自分の重大な命運を「放り出し」て先送りしていた代助だったが、今は違う。「三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前迄押し詰つめられた様な気持ち」の代助は、「今相手の顔色 如何に拘はらず、手に持つた賽を投げなければならなかつた」。「平岡に都合が悪からうと、父の気に入らなからうと、賽を投げる以上は、天の法則通りになるより外に仕方はな」く、さらに、「賽を手に持つ以上は、又賽が投げられ可く作られたる以上は、賽の目を極めるものは自分以外にあらう筈はなかつた」。「代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで定めた。父も兄も嫂も平岡も、決断の地平線上には出て来なかつた」。
ここで代助は、三千代への愛を押しとどめようとする「意志」だけでなく、「自然」・「天意」までも越えようとしている。だからここは、天に背くことになっても、三千代への愛を貫くかどうかを決めるのは自分だとした重要な場面だ。従って、「自然の児にならうか、又意志の人にならうかと代助は迷つた」という表現にとらわれてはいけない。代助は今、「自然」も「意志」も越えようとしている。最終的な決定権・「決断」は自分にあるとする代助。
しかしその決断とその断行にはやはりためらいが伴う。「彼の運命に対してのみ卑怯であつた」代助は、「此四五日は掌に載せた賽を眺め暮した。今日もまだ握つてゐた」。次の、「早く運命が戸外から来て、其手を軽く敲いて呉れれば好いと思つた」というのも、「天意」を越えようとしたにしてはやや気弱だし、「まだ握つてゐられると云ふ意識が大層嬉しかつた」というのも甘い。外力があって初めて決断し行動できるとする人物は、漱石の作品によく登場する。「こころ」の先生もそうだ。
「髯の濃い男」という情報に関連して、冒頭部に、「髭も髪同様に細く且つ初々しく、口の上を品よく蔽ふてゐる。代助は其ふつくらした頬を、両手で両三度撫でながら、鏡の前にわが顔を映してゐた」1-1 とあった。
代助は「一つ事をぐる/\回つて考へた」。それは、判断を決定する「努力よりも却つて楽になつた」。
代助は「不決断の自己嫌悪に陥」る。そうして、「三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断らうかと迄考へ」る。彼は、素直に「三千代と自分の関係を発展させる」ことができない男なのだ。「佐川の縁談を断」ることを「手段」にしないと、決断できない。
縁談を「断つた後、其反動として、自分をまともに三千代の上に浴びせかけねば已まぬ必然の勢力が来るに違ないと考へると、其所に至つて、又恐ろしくなつた」。三千代への愛の成就を、縁談を断った「反動」の力によるのでは、三千代に失礼な気がする。
「自分をまともに三千代の上に浴びせかけ」ることに「恐ろしくなつた」代助。自分の冷静な判断力を奪い、三千代へと向かわせる愛の吸引力の恐怖。
他力本願の「代助は父からの催促を心待に待つてゐた。しかし父からは何の便りもなかつた」。また、「三千代にもう一遍逢はうかと思つた。けれども、それ程の勇気も出なかつた」。会うだけならば、別に問題はないだろうが、代助はそれも回避する。
「一番仕舞に、結婚は道徳の形式に於て、自分と三千代を遮断するが、道徳の内容に於て、何等の影響を二人の上に及ぼしさうもないと云ふ考が、段々代助の脳裏に勢力を得て来た。既に平岡に嫁いだ三千代に対して、こんな関係が起り得るならば、此上自分に既婚者の資格を与へたからと云つて、同様の関係が続かない訳には行かない。それを続かないと見るのはたゞ表向の沙汰で、心を束縛する事の出来ない形式は、いくら重ねても苦痛を増す許である。と云ふのが代助の論法であつた」。
…もはや何を言っているのか、何が言いたいのかが不明瞭で無理なこじつけの論法。
・結婚=道徳の形式=自分と三千代を遮断する
・結婚=道徳の内容=自分と三千代の上に何らの影響も及ぼさない
◎この考えを前提にすると、たとえ自分が他の女と結婚したからといって、「道徳の内容」からは、自分と三千代との愛は変わらない、と言いたいらしい。結婚は、「心を束縛する事の出来ない形式」に過ぎず、自分が他の女と結婚するという「形式」を「いくら重ねても苦痛を増す許である」。
まず、「道徳の内容」が意味不明だ。道徳を、形式と内容に分ける不明瞭さ。この態度はそもそも道徳の軽視にならないか。そうであれば、初めから道徳を二つに分かたなくてもいいだろう。単純に、道徳を否定してはダメなのか。「世の道徳は、自分と三千代を隔絶しようと作用する。しかし私たちの愛は、そのようなもので妨げられるものではなかった」ではダメか。
あれこれぐるぐる考えた結果、「代助は縁談を断るより外に道はなくなつた」。




