夏目漱石「それから」本文と評論13-9「人の掟に背く恋」
◇本文
其夜代助は平岡と遂に愚図々々で分かれた。会見の結果から云ふと、何の為に平岡を新聞社に訪ねたのだか、自分にも分からなかつた。平岡の方から見れば、猶更 左様であつた。代助は必竟何しに新聞社迄出掛て来たのか、帰る迄ついに問ひ詰めづに済んで仕舞つた。
代助は翌日になつて独り書斎で、昨夕の有様を何遍となく頭の中で繰り返した。二時間も一所に話してゐるうちに、自分が平岡に対して、比較的真面目であつたのは、三千代を弁護した時丈であつた。けれども其真面目は、単に動機の真面目で、口にした言葉は矢張 好加減(いゝかげん)な出任せに過ぎなかつた。厳酷に云へば、嘘許りと云つても可かつた。自分で真面目だと信じてゐた動機でさへ、必竟は自分の未来を救ふ手段である。平岡から見れば、固より真摯なものとは云へなかつた。まして、其他の談話に至ると、始めから、平岡を現在の立場から、自分の望む所へ落とし込まうと、たくらんで掛(かゝ)つた、打算的のものであつた。従つて平岡を何うする事も出来なかつた。
もし思ひ切つて、三千代を引合ひに出して、自分の考へ通りを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もつと強い事が云へた。もつと平岡を動揺る事が出来た。もつと彼の肺腑に入る事が出来た。に違ひない。其代り遣り損なへば、三千代に迷惑がかゝつて来る。平岡と喧嘩になる。かも知れない。
代助は知らず/\の間に、安全にして無能力な方針を取つて、平岡に接してゐた事を腑甲斐なく思つた。もし斯う云ふ態度で平岡に当りながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委ねて置けない程の不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯してゐたと云はなければならない。
代助は昔の人が、頭脳の不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、自らは固く人の為と信じて、泣いたり、感じたり、激したり、して、其結果遂に相手を、自分の思ふ通りに動かし得たのを羨ましく思つた。自分の頭が、その位のぼんやりさ加減であつたら、昨夕の会談にも、もう少し感激して、都合のいゝ効果を収める事が出来たかも知れない。彼は人から、ことに自分の父から、熱誠の足りない男だと云はれてゐた。彼の解剖によると、事実は斯うであつた。人間は熱誠を以て当つて然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。夫よりも、ずつと下等なものである。其下等な動機や行為を、熱誠に取り扱ふのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠を衒つて、己れを高くする山師に過ぎない。だから彼の冷淡は、人間としての進歩とは云へまいが、よりよく人間を解剖した結果には外ならなかつた。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味して見て、其のあまりに、狡黠くつて、不真面目で、大抵は虚偽を含んでゐるのを知つてゐるから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかつたのである。と、彼は断然信じてゐた。
此所(こゝ)で彼は一のヂレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔に返るか。何方かにしなければ生活の意義を失つたものと等しいと考へた。其他のあらゆる中途半端の方法は、偽りに始まつて、偽りに終るより外に道はない。悉く社会的に安全であつて、悉く自己に対して無能無力である。と考へた。
彼は三千代と自分の関係を、天意によつて、――彼はそれを天意としか考へ得られなかつた。――醗酵させる事の社会的危険を承知してゐた。天意には叶ふが、人の掟に背く恋は、其恋の主の死によつて、始めて社会から認められるのが常であつた。彼は万一の悲劇を二人の間に描いて、覚えず慄然とした。
彼は又反対に、三千代と永遠の隔離を想像して見た。其時は天意に従ふ代りに、自己の意志に殉する人にならなければ済まなかつた。彼は其手段として、父や嫂から勧められてゐた結婚に思ひ至つた。さうして、此結婚を肯ふ事が、凡ての関係を新たにするものと考へた。 (青空文庫より)
◇評論
三千代を窮状から救うための談判は不調に終わる。「平岡と」「愚図々々で分かれ」、「何の為に平岡を新聞社に訪ねたのだか、自分にも分からな」い状態。「平岡の方から見れば、猶更 左様であつた」。「必竟何しに新聞社迄出掛て来たのか」わからず、互いに無駄な時間を過ごしたことになる。
翌日になっても代助は悶々とする。「独り書斎で、昨夕の有様を何遍となく頭の中で繰り返」す。「二時間も一所に話し」たのに、「自分が平岡に対して、比較的真面目であつたのは、三千代を弁護した時丈であつた」。さらに「其真面目は、単に動機の真面目で、口にした言葉は矢張 好加減(いゝかげん)な出任せ」であり、「嘘許りと云つても可かつた」。「真面目だと信じてゐた動機でさへ、必竟は自分の未来を救ふ手段」と認める代助。三千代を救うためという真面目な動機から、平岡をなんとか変えようと言葉をつないだが、心情を隠した言葉は、「いい加減」・「でまかせ」・「嘘」と言わざるを得ない。しかもそれらを突き詰めると、すべては三千代(と結ばれたい)という「自分の未来を救」うためのものだった。恋を成就させることで自分の未来を明るくするために無理やり発した言葉たち。当然それは、「平岡から見れば、固より真摯なものとは云へ」ず、「従つて平岡を何うする事も出来なかつた」。平岡にしてみれば、意図の不明な言説を縷々(るる)聞かされて、「一体こいつは何を言いたがために俺に会いに来たんだろう?」と思っただろう。
「もし思ひ切つて、三千代を引合ひに出して、自分の考へ通りを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もつと強い事が云へた。もつと平岡を動揺る事が出来た。もつと彼の肺腑に入る事が出来た。に違ひない。其代り遣り損なへば、三千代に迷惑がかゝつて来る。平岡と喧嘩になる。かも知れない。」
まず表現について、この部分は特殊な形になっている。「もっと~することができた」と繰り返された後に、「。に違ひない」や、「。かも知れない」という保留が句点とともに施される。ここに代助のためらいが感じられる。そうであるに違いない。しかしそう断定することも躊躇される。という、微妙な・揺れる心情が表れる。「三千代を引合ひに出して、自分の考へ通りを、遠慮なく正面から述べ立て」ても、「平岡を動揺」ったり、「もつと彼の肺腑に入る事が出来」るとは限らないという不安が、代助の頭をよぎる。「遣り損なへば、三千代に迷惑がかゝつて来る」し、「平岡と喧嘩になる」という最悪の事態に至る「かも知れない」。そうならないでほしい、そうなっては困る、という恐れの表れ。
また、これと同時に、代助はやはりそのような強い態度に出ることができなかったのだ。だから、その結果どうなるかは想像するしかない。強い態度に出たかったが出られなかった後悔の表れと読むこともできる。
代助の自責は続く。「知らず/\の間に、安全にして無能力な方針を取つて、平岡に接してゐた事」は「腑甲斐なく」、「斯う云ふ態度で平岡に当りながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委ねて置けない程の不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯してゐたと云はなければならない」。真に三千代を愛し心配するのであれば、真実を明らかにし、全責任をもって平岡に談判すべきだった。しかしそれができなかった自己「矛盾」を、「厚顔」と断ずる。これはまさに「実は利己本位の立場に居りながら、自らは固く人の為と信じて、泣いたり、感じたり、激したり、して、其結果遂に相手を、自分の思ふ通りに動か」そうとするのと同じだ。しかし「自分の頭」は、「その位のぼんやりさ加減」ではない。だから「昨夕の会談」でも、「もう少し感激して、都合のいゝ効果を収める事」はできなかった。
代助は「父から、熱誠の足りない男だと云はれてゐた」。彼は考える。「人間は熱誠を以て当つて然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではな」く、「夫よりも、ずつと下等なものである」と。「其下等な動機や行為を、熱誠に取り扱ふのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠を衒つて、己れを高くする山師に過ぎない」。このように「よりよく人間を解剖した結果」、代助は「冷淡」になった。「自分の動機や行為」「のあまりに、狡黠くつて、不真面目で、大抵は虚偽を含んでゐるのを知つてゐるから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかつたのである」。
「此所(こゝ)で彼は一のヂレンマに達した」。「自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔に返るか」。その「何方かにしなければ生活の意義を失つたものと等しい」。「其他のあらゆる中途半端の方法は、偽り」だ。二者択一を自らに迫る代助。
さらに代助は考察する。「三千代と自分の関係」は「天意」であり、それによって「醗酵させる事」は「社会的危険」である。「天意には叶ふが、人の掟に背く恋は、其恋の主の死によつて、始めて社会から認められるのが常であつた。彼は万一の悲劇を二人の間に描いて、覚えず慄然とした」。
自分と三千代の愛は「天意」であり、人はそれに背き抗うことはできないと代助は規定する。しかしそれによって進展する愛は、「社会的」には「危険」であり、その行き着く先は「死」だと語り手は述べる。ここで、愛をかなえた代助と三千代には死が待つという暗い暗示がなされる。
「天意」…①神の心 ②自然の摂理 (三省堂「新明解国語辞典」)
この「天意」は、以前出た「自然」に通ずるものだろう。自分の三千代の愛は神の意志・神が認めたものであり、しかし人間界では「人の掟」に背くことになる。代助の論理に従えば、神が人間の上位にあるならば、「人の掟」こそがそれに背いているということになる。神の意志には従っているが、人の掟には反する自分たちの愛。この規定は、それだけで既に不幸の道をたどらざるを得ないだろう。他者には決して理解されない愛を、ただひとり神だけが認めてくれている。この考え方は、他者とふたりを厳しく隔絶し、ふたりは陶酔のうちに死へと向かうことになる。
その「反対に」代助は、「三千代と」の「永遠の隔離」という「天意」も「想像して見」る。この場合は、「自己の意志に殉する人にならなければ済まなかつた」。「其手段として」は、「父や嫂から勧められてゐた結婚」「を肯ふ事が、凡ての関係を新たにするものと考へた」。
この時代助は、三千代との愛を成就させるか否かが、人生の分かれ目になっていると自覚する。果たして「天意」はそのどちらに傾くか、いずれに傾いても、自分たちには不幸しか待っていない暗い予感であり、暗鬱に包まれる代助だった。




