夏目漱石「それから」本文と評論13-4「何だつてまだ奥さんを御貰ひなさらないの?」
◇本文
代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねて見た。三千代は例によつて多くを語る事を好まなかつた。然し平岡の妻に対する仕打ちが結婚当時と変つてゐるのは明らかであつた。代助は夫婦が東京へ帰つた当時既にそれを見抜いた。夫から以後改まつて両人の腹の中を聞いた事ことはないが、それが日毎に好くない方に、速度を加へて進行しつゝあるのは殆んど争ふべからざる事実と見えた。夫婦の間に、代助と云ふ第三者が点ぜられたがために、此 疎隔が起つたとすれば、代助は此方面に向つて、もつと注意深く働らいたかも知れなかつた。けれども代助は自己の悟性に訴へて、さうは信ずる事が出来なかつた。彼は此結果の一部分を三千代の病気に帰した。さうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与へたものと断定した。又其一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放埒から生じた経済事状に帰した。凡てを概括した上で、平岡は貰ふべからざる人を貰ひ、三千代は嫁ぐ可からざる人に嫁いだのだと解決した。代助は心の中で痛く自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した事を後悔した。けれども自分が三千代の心を動かすが為に、平岡が妻から離れたとは、何うしても思ひ得なかつた。
同時に代助の三千代に対する愛情は、此夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつゝある事もまた一方では否み切れなかつた。三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間柄は、どの位の程度迄進んでゐたかは、しばらく措くとしても、彼は現在の三千代には決して無頓着でゐる訳には行かなかつた。彼は病気に冒された三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は小供を亡くなした三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は夫の愛を失ひつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は生活難に苦しみつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。但し、代助は此夫婦の間を、正面から永久に引き放さうと試みる程大胆ではなかつた。彼の愛はさう逆上してはゐなかつた。
三千代の眼のあたり、苦しんでゐるのは経済問題であつた。平岡が自力で給し得る丈の生活費を勝手の方へ回さない事は、三千代の口吻で慥かであつた。代助は此点丈でもまづ何うかしなければなるまいと考へた。それで、「一つ私が平岡君に逢つて、能く話して見やう」と云つた。三千代は淋しい顔をして代助を見た。旨く行けば結構だが、遣り損なへば益三千代の迷惑になる許だとは代助も承知してゐたので、強ひて左様しやうとも主張しかねた。三千代は又立つて次の間から一封の書状を持つて来た。書状は薄青い状袋へ這入つてゐた。北海道にゐる父から三千代へ宛てたものであつた。三千代は状袋の中から長い手紙を出して、代助に見せた。
手紙には向かふの思はしくない事や、物価の高くて活計にくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云ふ事や、――凡て憐れな事ばかり書いてあつた。代助は叮嚀に手紙を巻き返して、三千代に渡した。其時三千代は眼の中に涙を溜めてゐた。
三千代の父はかつて多少の財産と称へらるべき田畠の所有者であつた。日露戦争の当時、人の勧めに応じて、株に手を出して全く遣り損なつてから、潔よく祖先の地を売り払つて、北海道へ渡つたのである。其後の消息は、代助も今此手紙を見せられる迄一向知らなかつた。親類はあれども無きが如しだとは三千代の兄が生きてゐる時分よく代助に語つた言葉であつた。果たして三千代は、父と平岡ばかりを便りに生きてゐた。「貴方は羨しいのね」と瞬(またゝ)きながら云つた。代助はそれを否定する勇気に乏しかつた。しばらくしてから又、「何だつて、まだ奥さんを御貰ひなさらないの」と聞いた。代助は此問にも答へる事が出来なかつた。 (青空文庫より)
◇評論
「代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねて見た」。
「三千代は例によつて多くを語る事を好まなかつた」…夫婦のことは当人たちにしかわからない事情がある。また、それを他者に語ってもどうしようもないことが多い。この態度は、三千代の控えめな性格からも来ている。
「然し平岡の妻に対する仕打ちが結婚当時と変つてゐるのは明らかであつた。代助は夫婦が東京へ帰つた当時既にそれを見抜いた」…平岡家を訪ねた時に、代助は次のような場面に遭遇する。
・平岡が「なにかせわしい調子で、細君をきめつけていた」(角川文庫P52)
・亡くなった赤ん坊の着物を出してきた三千代に向かって、「こら。まだ、そんなものをしまっといたのか。早くこわしてぞうきんにでもしてしまえ」と平岡が叱る。(角川文庫P84)
・二日酔いの平岡が「突然、人間はどうしても。君のような独身でなけりゃ仕事はできない。僕も一人なら満州へでもアメリカへでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次の間で、こっそり仕事をしていた」(角川文庫P162)
これに加えて経済状況の逼迫が、平岡夫婦を苦しめている。
これらによって代助は平岡夫婦の不仲を察している。
平岡夫婦の仲は、「日毎に好くない方に、速度を加へて進行しつゝあるのは殆んど争ふべからざる事実と見えた」。しかし、「代助と云ふ第三者が点ぜられたがために、此 疎隔が起つた」とは、「代助は自己の悟性に訴へて、さうは信ずる事が出来なかつた」。
次に代助は、夫婦の「疎隔」の原因を考察する。
1、「三千代の病気」→「肉体上の関係が、夫の精神に反響を与へた」
2、「子供の死亡」
3、「平岡の遊蕩」
4、「会社員としての平岡の失敗」
5、「平岡の放埒から生じた経済事状」
これら「凡てを概括した」結果、「平岡は貰ふべからざる人を貰ひ、三千代は嫁ぐ可からざる人に嫁いだのだと解決した」
→「代助は心の中で痛く自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した事を後悔」
「けれども自分が三千代の心を動かすが為に、平岡が妻から離れたとは、何うしても思ひ得なかつた」
「三千代の病気」による「肉体上の関係が、夫の精神に反響を与へた」の「肉体上の関係」とは、三千代が病気をしたことによって夫婦生活が営めなくなったということではなくて(それも多少はあるだろうが)、三千代の心臓の不調と快癒の見込みのないこと、それに伴う多額の治療費などが、平岡の「精神」の負担となったことだろう。愛する「子供の死亡」は深い傷となり、これらが「平岡の遊蕩」につながる。「会社員としての」「失敗」や「平岡の放埒から生じた経済事状」の悪化が、さらに平岡自身を追い詰める負の連鎖になってしまった。前に三千代は、自身の治療代はそれほどの額ではないと述べた。借金の大半は、平岡の放蕩によるものだ。
家族への心配や喪失感は平岡を追い詰め、それが仕事上の失敗につながり、放蕩の借金は家計を圧迫する。平岡がすべて悪いとは言えないが、やはり彼の弱さ・未熟さが招いた結果だろう。だから代助は、「平岡は貰ふべからざる人を貰ひ、三千代は嫁ぐ可からざる人に嫁いだのだと解決した」のだ。三千代は、平岡と一緒にいる限り不幸になる運命だった。代助は「自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した事を後悔」した。
しかしあくまでも平岡夫婦の「疎隔」は、「自分が三千代の心を動かすが為」ではないと考える。ふたりのこころが離れ離れになったのは、平岡の資質と運命によるものだと代助は考える。
なお、「自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した」という情報はここで初めてはっきりと示され、友情による自己犠牲という図式がはっきり表れる。(これは「こころ」の「私」とは正反対だ)
「同時に代助の三千代に対する愛情は、此夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつゝある事もまた一方では否み切れなかつた」…「疎隔」な関係にあり、それがさらに進む平岡夫婦の状況は、「代助の三千代に対する愛情」をいや増す。その事を代助は自ら認める。代助の三千代への愛の告白・肯定。
なおこの部分の述べ方は、語り手と代助の意識・思考がぴったりと重なり一体となっている。これはこの他の部分にもよく現れ、「それから」の表現の特徴だ。だから読者は、語り手による代助の心情の説明を疑わずに理解し、そのまま受け取る。
「三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間柄は、どの位の程度迄進んでゐたかは、しばらく措くとしても」…これは読者にとっては思わせ振りでその内容が気になる述べ方だ。また、これを承けてこの後に続く表現が、「彼は現在の三千代には決して無頓着でゐる訳には行かなかつた」とあり、これはますますふたりの関係は実際どうだったのかが知りたくなる。代助は昔、確かに三千代を愛していた。それに対して三千代はどうだったのかや、ふたりの関係はどこまで進んでいたのかが、この場面ではとても重要な事項だからだ。
次には、かつて愛していた三千代への愛の亢進が、素朴な表現で畳み掛けるように述べられる。「彼は病気に冒された三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は小供を亡くなした三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は夫の愛を失ひつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は生活難に苦しみつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた」。代助は、「たゞの昔の三千代」を愛していた。今はこの上さらに愛が高まっている様子。三千代を「気の毒」と思う憐憫の情が切々と述べられ、愛とともに保護の対象として彼女を見ている。
「三千代は困っている。弱っている。彼女を自分が助けてあげなければならない」と、当然代助は考えるだろう。
「かわいそうだた、惚れたってことよ」(夏目漱石「三四郎」)
三千代への愛の高まりには、慎重に保留が施される。「但し、代助は此夫婦の間を、正面から永久に引き放さうと試みる程大胆ではなかつた。彼の愛はさう逆上してはゐなかつた」。冷静な思考・判断のもと、三千代への愛は高まったということの強調。一方、自分の愛の正統性を述べたこの言葉に、読者は多少の言い訳を感じるだろう。愛は募るものだからだ。
「三千代の眼のあたり、苦しんでゐるのは経済問題であつた」。経済問題は、夫婦二人の問題であるはずなのに、平岡は「自力で給し得る丈の生活費を勝手の方へ回さない」ひどい夫だ。前に平岡が洒落た洋装をしている場面があったが、自分だけを飾り、三千代は大事な指輪を質入れしなければ家計が成り立たないという状況を作る平岡は、批判されてしかるべき対象だろう。ましてや代助にとっては愛する三千代だ。平岡への反感は増大する。生活費を回さないことを、さすがの三千代も代助に「口吻で」漏らすほどなのだから。
「代助は此点丈でもまづ何うかしなければなるまいと考へ」、自分が平岡に「逢つて、能く話して見やう」と言う。しかし「三千代は淋しい顔をして代助を見た」。代助は推測する。「旨く行けば結構だが、遣り損なへば益三千代の迷惑になる許だ」と。それで、「強ひて左様しやうとも主張しかねた」。
すると「三千代は又立つて次の間から一封の書状を持つて来た」。「北海道にゐる父から」の手紙を、三千代は代助に見せる。その内容は、
1、向かふの思はしくない事
2、物価の高くて活計にくい事
3、親類も縁者もなくて心細い事
4、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云ふ事
など、「凡て憐れな事ばかり書いてあつた」。
不憫を哀れんだ「代助は叮嚀に手紙を巻き返して、三千代に渡した」。「其時三千代は眼の中に涙を溜めてゐた」。進退窮まる三千代。
三千代の父は、「かつて多少の財産と称へらるべき田畠の所有者であつた」が、「日露戦争の当時、人の勧めに応じて、株に手を出して全く遣り損なつてから、潔よく祖先の地を売り払つて、北海道へ渡つた」。
「其後の消息は、代助も今此手紙を見せられる迄一向知らなかつた」。「親類はあれども無きが如しだとは三千代の兄が生きてゐる時分よく代助に語つた」。
「三千代は、父と平岡ばかりを便りに生きてゐた」。
経済的にも、こころの拠り所としても、平岡は三千代を支えなければならない。そうしなければ、心臓に不調のある三千代は、死んでしまうかもしれない。このまま放っておくことは、三千代を見殺しにするのと同じだ。
「貴方は羨しいのね」と、その置かれた環境への恨み言を言う三千代に、代助は「否定する勇気に乏しかつた」。しかしここで代助は、別の「勇気」を出さなければならない。それは三千代の命に関わることだからだ。「何だつて、まだ奥さんを御貰ひなさらないの」という問いにも、三千代への真の思いを吐露しなければならない。しかし「代助は此問にも答へる事が出来なかつた」。
不義密通のそしりを甘受し、ふたりでこれからの人生を歩むことは、単に代助の三千代への愛ということだけでなくて、三千代の命を守るという意味もあった。
繰り返しになるが、このままでは、心痛と病気の悪化で、三千代は死んでしまう可能性がある。代助の三千代への愛は、そのことからの救出も含んでいることを確認しておきたい。
三千代の「何だつて、まだ奥さんを御貰ひなさらないの」という言葉は、前後の繋がりもなく唐突に発せられる。従ってこの言葉は、代助の未婚を咎める恨み言ではなく、明らかに代助への愛の表現となる。三千代は代助に、「I love you」と言っているのだ。




