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夏目漱石「それから」本文と評論12-5「黒い鳶色の大きな眼」

◇本文

 兄の云ふ所によると、佐川の娘は、今度久し振りに叔父に連れられて、見物 旁(かた/″\)上京したので、叔父の商用が済み次第又連れられて国へ帰るのださうである。父が其機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結び付けやうと企だてたのか、又は先達(せんだつて)の旅行先で、此機会をも自発的に(こしらえ)て帰つて来たのか、どつちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかつた。自分はたゞ是等の人と同じ食卓で、旨さうに午餐を味はつて見せれば、社交上の義務は其所(そこ)に終るものと考へた。もしそれより以上に、何等の発展が必要になつた場合には、其時に至つて、始めて処置を付けるより(ほか)に道はないと思案した。

 代助は婆さんを呼んで着物を出さした。面倒だと思つたが、敬意を表するために、紋付の夏羽織を着た。袴は一重のがなかつたから、家へ行つて、父か兄かのを穿()く事に()めた。代助は神経質な割に、子供の時からの習慣で、人中(ひとなか)へ出るのを余り苦にしなかつた。宴会とか、招待とか、送別とかいふ機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分覚えてゐた。其中には伯爵とか子爵とかいふ貴公子も(まじ)つてゐた。彼は()んな人の仲間入りをして、其仲間なりの交際(つきあひ)に、損も得も感じなかつた。言語動作は何処へ出ても同じであつた。外部から見ると、其所(そこ)が大変能く兄の誠吾に似てゐた。だから、よく知らない人は、此兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じてゐた。

 代助が青山に着いた時は、十一時五分前であつたが、御客はまだ来てゐなかつた。兄もまだ帰らなかつた。嫂丈がちやんと支度をして、座敷に坐つてゐた。代助の顔を見て、

「あなたも、随分乱暴ね。人を出し抜いて旅行するなんて」と、いきなり()り込めた。梅子は場合によると、決して論理(ロジツク)()ち得ない女であつた。此場合にも、自分が代助を出し抜いた事には丸で気が付いてゐない挨拶の仕方であつた。それが代助には愛嬌に見えた。で、()ぐそこへ坐り込んで梅子の服装の品評を始めた。父は奥にゐると聞いたが、わざと行かなかつた。()ひられたとき、

「今に御客さんが来たら、僕が奥へ知らせに行く。其時挨拶をすれば()からう」と云つて、矢っ張り平常(へいぜい)の様な無駄口を叩いてゐた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口を切らなかつた。梅子は何とかして、話を其所(そこ)へ持つて行かうとした。代助には、それが(あき)らかに見えた。だから、(なほ)(そら)とぼけて(かたき)を取つた。

 其うち待ち設けた御客が来たので、代助は約束通りすぐ父の所へ知らせに行つた。父は、案のじよう、

左様(さう)か」とすぐ立ち上がつた丈であつた。代助に小言を云ふ暇も何も無かつた。代助は座敷へ引き返して来て、袴を穿()いて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこで(ことごと)く顔を合はせた。父と高木とが第一に話を始めた。梅子は(おも)に佐川の令嬢の相手になつた。そこへ兄が今朝の通りの服装(なり)で、のつそりと這入つて来た。

「いや、()うも遅くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席に就いたとき、代助を振り返つて、

「大分早かつたね」と小さな声を掛けた。

 食堂には応接室の次の間を使つた。代助は戸の開いた間から、白い卓布の(かど)の際立つた色を認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸(ちよつと)席を立つて、次の入口を(のぞ)きに行つた。それは父に、食卓の準備が出来上つた旨を知らせる為であつた。

「では()うぞ」と父は立ち(あが)つた。高木も会釈して立ち上つた。佐川の令嬢も叔父に()いで立ち上つた。代助は其時、女の腰から下の、比較的に細く長い事を発見した。食卓では、父と高木が、真中(まんなか)に向き合つた。高木の右に梅子が坐つて、父の左に令嬢が席を()めた。女同志が向き合つた如く、誠吾と代助も向き合つた。代助は五味台(クルエツトスタンド)(なか)に、少し斜めに()れた位地から令嬢の顔を眺める事になつた。代助は其頬の肉と色が、著しく後の窓から射す光線の影響を受けて、鼻の境に暗過ぎる影を作つた様に思つた。其代り耳に接した方は、明らかに薄紅であつた。殊に小さい耳が、日の光を(とほ)してゐるかの如くデリケートに見えた。皮膚とは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きな眼を有してゐた。此二つの対照から華やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方であつた。 (青空文庫より)


◇評論

先達(せんだつて)の旅行先で、此機会をも自発的に(こしらえ)て帰つて来たのか」

…代助と佐川の娘のお見合いをすでに設定済みであること。この場合は代助抜きに重要事項が決められたことになる。普通であれば反発が予想されるが、代助はあまり気にしない。「どつちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかつた」。簡単に断ることができると思ったのか。

明治時代の婚姻は、親同士の合意で決定されることが多く、今回のお見合いも、結婚前提に近いものだろう。


「自分はたゞ是等の人と同じ食卓で、旨さうに午餐を味はつて見せれば、社交上の義務は其所(そこ)に終るものと考へた。もしそれより以上に、何等の発展が必要になつた場合には、其時に至つて、始めて処置を付けるより(ほか)に道はないと思案した」

…聡明な代助らしからぬ甘い見通しと言わざるを得ない。「其時に至つ」たら、自分では「処置が付けられ」ず、どうしようもない状態になるだろう。この場面の「社交上の義務」は、結婚の義務を伴っている。


「嫂丈がちやんと支度をして、座敷に坐つてゐた。代助の顔を見て、「あなたも、随分乱暴ね。人を出し抜いて旅行するなんて」と、いきなり()り込めた。梅子は場合によると、決して論理(ロジツク)()ち得ない女であつた。此場合にも、自分が代助を出し抜いた事には丸で気が付いてゐない挨拶の仕方であつた。それが代助には愛嬌に見えた」

…このような嫂と義弟のやり取りがのどかで面白い。嫂は男性から見て愚かしくも好ましい女性性の一種を体現している。


「で、()ぐそこへ坐り込んで梅子の服装の品評を始めた。父は奥にゐると聞いたが、わざと行かなかつた。()ひられたとき、「今に御客さんが来きたら、僕が奥へ知らせに行く。其時挨拶をすれば()からう」と云つて、矢っ張り平常(へいぜい)の様な無駄口を叩いてゐた」

…代助ののんびりとした様子は、この後に控える緊張する場面と対照的。自分の運命を決することなのに、鷹揚に構えている様子がやや不審だ。この呑気さと見通しの甘さが、代助を窮地に陥れる。彼は考えているようで考えていない。世と他者を甘く見ている。

「今に御客さんが来たら、僕が奥へ知らせに行く。其時挨拶をすれば()からう」には代助の策略があり、後に父親が、「代助に小言を云ふ暇も何も無」いようにするためだった。


「食堂には応接室の次の間を使つた。代助は戸の開いた間から、白い卓布の(かど)の際立つた色を認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸(ちよつと)席を立つて、次の入口を(のぞ)きに行つた。それは父に、食卓の準備が出来上つた旨を知らせる為であつた」

…ここで詳しくは述べられていないのだが、料理人を出前し、洋食を作らせて提供させていることがうかがわれる。大事な顔合わせの場面とはいえ、大変な財産家の昼食会の様子。もしくは、西洋料理人が常駐していたのか。


〇午餐の配置

テーブルをはさんで、兄夫婦と代助・令嬢がX型に配置される。長井家と佐川家が密接に関係づけられる様子が、この配置にあらわれている。家と家との結婚なのだ。


五味台(クルエツトスタンド)」…酢、塩、コショウなどをいれた小瓶がまとめて置かれた卓上台。


〇代助が観察した佐川の娘の様子

・腰から下が比較的に細く長い

・頬の肉と色が、著しく後の窓から射す光線の影響を受けて、鼻の境に暗過ぎる影を作る

・耳に接した方は、明らかに薄紅

・小さい耳が、日の光を(とほ)してゐるかの如くデリケートに見える

・皮膚とは反対に、黒い鳶色の大きな眼

・此二つの対照から華やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方


この女性をCopilotに制作してもらいました。

「次の特徴を持つ、明治時代の20歳くらいの女性の画像を作って。「頬の色が、後の窓から射す光線の影響を受けて、鼻の境に暗過ぎる影を作っている。耳は薄紅色。小さい耳が、日の光を透してデリケートに見える。黒い鳶色の大きな目。顔の形は丸い。髪型は島田髷」」

答えはこれです。(画像はnoteをご覧下さい)

カワイイ……

この画像は、耳が大きく、島田髷ではないのですが、かわいくないですか? おまけに美脚だし。代助は何が不満なのでしょう?


次話では、令嬢の内面が描かれます。

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